食のプロの技が築き上げた“世界一の市場”
江戸時代の日本橋魚市場から、現在の築地に移転開場してから約80年。世界をも圧倒する築地市場の魅力に迫る。
食のプロが集まる市場
築地の一日は、日付が変わる頃から始まる。
深夜0時。次々とトラックが入場し、各地から運ばれてくる品物を降ろしていく。
夜明けが近づくとともに場内には、たくさんの人と運搬用のターレット車が行き交い、活気があふれてくる。
築地市場には選りすぐりの生鮮食料品だけでなく、食のプロたちも多く集まってくる。特に水産物に関しては、魚種によって専門が細かく分かれ、経験豊富な一流の目利きたちが揃っている。
深夜、築地市場に入ってくる水産物は、まず「大卸(おおおろし)」と呼ばれる卸売業者のもとに集められる。
そこから魚種ごとに「せり」による価格交渉や「相対(あいたい)売り」と呼ばれる売買が明け方からおこなわれ、市場内に店を持つ「仲卸業者」や自社流通を持つ「売買参加者」へと販売されていく。
仲卸業者の手に渡った商品は小分けにされて市場内の店頭に並べられ、品物を仕入れにきた小売店や飲食店などの「買出人」へと販売される。
産地から築地市場に届いた水産物は、こうした様々な魚のプロたちを通じて消費者の元へと届けられるのだが、そこに至るまでには、プロそれぞれに様々な勝負があるという。
我々は築地市場を舞台に日々闘う魚のプロたちに話を伺った。
水産物流通の心臓部を担う「大卸」
午前10時。普段なら市場が一日を終えようとする時刻だが、取材に訪れたこの日は台風が日本に上陸していたこともあり、せわしない空気が市場内に漂っていた。
「産地に今日の漁獲状況を確認し、明日の入荷情報を仲卸や売買参加者に伝えているんですよ」と教えてくれたのは、築地市場に所属する大卸7社のうちの一つ、中央魚類株式会社のせり人、柏葉勝巳さん。
聞くと、せり人の仕事とは、市場に入ってきた水産物をせりにかけるだけでなく、産地と密にやり取りをし折衝することで、仕入れる魚種やその量のバランスをとるという役目も担っているのだという。
「台風は海が荒れるだけでなく、交通をマヒさせ、物流がストップしたり、産地で水揚げをさばく人たちが出勤できなかったりするでしょ。そうすると台風が去っても荷物が届かないんです。気候以外にも地域によっては風習で漁を行わない期間があり、仕入れがストップすることもあります。海のことだけでなく陸の交通状況や、人員体制、地域の文化など丸ごと産地のことを分かっていないと仕入れはできません」。
また、仕入れるといっても、ただ数を揃えるだけでは仕事にならない。せり人の仕事は“いかに高い値を付けて売り切るか”ということ。
産地は築地市場だけでなく全国の市場の状況を見て、より高く売ってくれる市場に商品を入れる。そのため、せり人が実績をあげ、産地の信頼を勝ち取った市場に水産物が集まってくるというのだ。
実績をあげるためには、景気の動向や消費傾向もつかまないといけないと柏葉さんは話す。
「例えば台風が午前中で過ぎ去ってくれれば、都心では買い物や飲食店に行く人も増えるから魚は買われます。逆に夕方に台風が直撃すれば出歩く人はまずいない。そうなると仕入れても買い取ってもらえないんです」。
せりの場だけではなく、産地や消費の現場との駆け引きなど、せり人の仕事は世の中の動向を読み解く力の上に成り立ち、水産物を流通させる弁をもつ心臓のような役割を担っているのだ。
「仲卸」の確かな目利きが“築地”の強みとなる
築地場内には、マグロなどの大物鮮魚専門の店や、活魚がメインの店など、専門性の高い仲卸の店が所狭しと並んでいる。そのうちの二つの仲卸業者に、話を伺った。
まず訪れたのは、創業当時から生マグロにこだわる西誠(にしせい)。三代目代表の小川文博さんに、マグロを扱う際の知識と技について伺った。
「せりの前には、『下ヅケ』と呼ばれる事前チェックをおこないます。尻尾の断面で脂の状態を確認し、味を想像しながら下ヅケするんです。生マグロは時期を外すと見た目は一緒でも美味しくないこともありますし、いろんな知識をもとに値付けをしますが実際に切ってみたら予想と違った、ということもありますね」と小川さん。
大きなマグロは、解体も一筋縄ではいかない。解体用の包丁は何種もあり、大きいものでは150cmほど。さらに片刃になっていて、まっすぐ切るのも難しいが、プロの手と技によって丁寧に小分けにされ、店頭に並んでいく。
マグロは獲れる場所や時期により種類が異なり、味もまたそれぞれ。
「築地市場のすごさは、たくさんのマグロが入ってくることですね。その数はほかに類をみません。そのなかからお客さんの要望に合わせて、どういったマグロが良いかを考え、仕入れるのが私たちの仕事です」。
次に訪れたのは、文久8年(1868年)から続く老舗、加藤水産。もともとはエビを専門としていたが、現在は活魚全般を取り扱っている。
代表を務める安田賢二さんは、「仲卸の醍醐味は、安くて“良いもの” をせり落とし、お客さんに喜んでもらえること」だという。
“良いもの”とは、どうやって見極めているのだろうか。安田さんに尋ねると、一瞬で真剣な目つきに代わり「それは言葉では伝えられない」と返ってきた。
「言葉で説明できるのは、あくまで簡単なことだけ。目利きはもっと複雑で、感覚として身に付けるもの。毎日魚に触れていないとわからないことがあるんです。プロの目で魚を見るというのは、そういうことなのだと思います」。
築地市場が今日のように注目される市場となったのは、築地で働く仲卸たちによる、確かな目利きがあってこそ。何度も何度も魚に触れ、失敗と成功をくり返して得た技は奥深く、築地市場を唯一無二の市場として支えている。
うまい魚をこの手で届けたい
築地市場の「せり」や「相対売り」には、仲卸のほかにも参加する人たちがいる。通称「買参(ばいさん)」と呼ばれる、東京都の承認を受けた「売買参加者」だ。この売買参加者には、大手の流通や飲食店、加工業者などが名を連ねる。
都内で飲食店を展開する、にっぱん水産も売買参加承認を受けた企業だ。
「築地市場には独特の文化があって、最初は右も左もわからなくてよく怒られましたよ」と話すのは、副部長の佐藤保憲さん。
「築地は何よりも信頼関係が大切です。小さな信用を少しずつ重ね、“こいつのためなら何とかしてやろう”と思い合えることで、入荷が少ない時にもお目当ての品を手に入れることができるんです」と佐藤さんは話す。
にっぱん水産が築地市場での売買参加者に名乗りを上げたのには、“消費者に美味しい魚を届けたい”という熱い想いからだった。
代表取締役社長の貫田貢司さんはこう話す。「自分たちの役目は、美味しい魚を提供することで、消費者であるお客さまに喜びを感じてもらうこと。自分たちの目で確かな品を選び、この手で届けたいという想いから、築地市場で勝負を始めたのです」。
わたしたちが日々、何気なく口に運んでいる美味しい魚は、こうして市場で奮闘する人々の熱意が込められているのだ。
築地から受け継がれていくもの
築地市場に関わる様々な魚のプロたち。
そのプロたちが繰り広げる日々の真剣勝負、そしてその勝負を支える確固たる経験と技、信頼関係、その全てが築地市場を築き上げてきた。
現在、豊洲市場への移転が検討されているが、たとえ場所が移ろうとも、日本橋魚市場の時代から脈々と受け継がれ、食のプロが築き上げてきた伝統と文化は、これからも途切れることなく、受け継がれていくことを望む。