400年間富士の湧水で育つ伊豆の「水わさび」
![わさび田](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/6913b5d918429d67f39810acfd259dd8.jpg)
富士の湧水に育まれた静岡の水わさび
![伊豆半島渓流](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/cc144df231237b8cde442dfa66d12c9d.jpg)
わさびの“栽培発祥の地”とされるのは静岡県である。全国一位のわさび栽培面積を誇り、産地は静岡市周辺を中心に県内各地に展開。
わさびの栽培方法は「畑わさび」と「水わさび」に大別できる。畑わさびとは、その名が示すとおり林間の畑やビニールハウスで栽培されるわさびのこと。おもに加工品の原料として用いられる。栽培方法が違うが、両者は同じ品種が栽培されている。
一方の水わさびは、渓流や湧水を利用して栽培される。富士山や天城山(あまぎさん)、南アルプスといった山々からの清流が流れる静岡県では、水わさびの栽培が主流になっている。
![畳石式](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/5f6a5137f4e365d8ffa1bef70c3b043b.jpg)
世界のわさび栽培の歴史は、いまから400年前の慶長時代(1596〜1615年)にまでさかのぼる。静岡市の有東木(うとうぎ)地区に自生していたわさびを村人が採集。これを渓流で栽培し始めたのが、水わさびの原型になったといわれている。
有東木のわさびは各地で評判を呼び、駿府(すんぷ)に隠居する徳川家康にも献上されるまでに。わさびの風味を気に入った家康公が栽培方法を門外不出にしたという説も伝えられている。
![わさび](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/b3af8c686b48e8aab9675c86a98fad29.jpg)
やがて、現在の伊東市にある伊東港を経由して、わさびが江戸へ渡るようになる。すしの薬味に使われるようになったのは、文化・文政年間(1804〜1830年)に入ってから。ネタとしゃりの間にわさびを塗った握りずしが庶民の間で流行し、瞬く間に定着していったといわれる。
伊豆から始まった栽培方法「畳石式わさび田」
![畳石式わさび田](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/27268e6cba3c335fc28037f4f6bef6f7.jpg)
静岡県のわさび栽培に一役買ったのが、天城山の山守を務めていた板垣勘四郎だ。1744年、板垣勘四郎は、有東木の栽培方法を伊豆地域に伝承。これが端緒となり、伊豆地域の各地でわさびの栽培が始まった。
伊豆半島の先端に位置する下田市も産地のひとつ。市内には9つの海水浴場・ビーチが点在しており、夏は県内外からの海水浴客たちでにぎわう。土産物屋や飲食店が並ぶ中心市街地から車を走らせること15分。わさび農家が集まる山間部へと行きつく。
![わさび収穫](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/c510a9a5937ddc2e33329b8534a6ea0c.jpg)
このあたりのわさび農家の多くが栽培方法に「畳石式」を取り入れている。畳石式とは1892年ごろに中伊豆で開発された栽培方法で、最大の特長は棚田のように階段状になった「わさび田(た)」だ。山の斜面に沿って、大中小の石を階段状に積み重ねていき、清流から引いた水をかけ流す。
階段でいうところの“踏板”部分には砂や小石を敷く。この水深1~2センチの場所に苗が植えつけられる。砂や小石がろ過装置になって、上層から下層へ流れる水には淀みがない。栽培に最適な水温は10℃前後。川上に近いほど水温が保ちやすくなり、収量が増えるのだという。
![伊豆のわさび](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/f887d56975e3fe987affb489ef82172b.jpg)
苗は、例年4月に植えつけられる。収穫時期をずらして植えられており、最初の収穫を迎えるのは翌年5月ごろ。このころになると、根が出荷基準を満たす15センチほどに成長する。あとは出荷量を調整しながら、一年を通じて収穫される。
![わさびの花](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/334c166b8afb217feda0871b9063555f.jpg)
立春の寒波が流れこむ2月初旬に訪れた下田市のわさび農家は、収穫作業の真っ最中。周囲の葉を落とした木々とは対照的に、わさび田には瑞々しい緑の葉が茂っていた。農家は葉をかき分けて、丁寧に根を掘りかえす。掘りかえしたわさびは、すぐに洗浄。泥を洗い流し、表面のデコボコも削りとられる。
![葉わさび](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/a15c125778e533bcee2761590c560780.jpg)
根から切り離された葉やつぼみがついた花茎も無駄にはしない。葉や茎は「葉わさび」としておひたしやわさび漬けなどの加工品に利用される。年に一度、この時期にしか咲かない花やつぼみを食用にする「花わさび」は“旬”の味覚。地元では、さっと湯通しして三杯酢と和えたり、天ぷらにして食べられている。
すりたての生わさびを手打ちそばとともに
![天城そば](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/dd061d433ca1f507889477a4db24b006.jpg)
下田市の中心市街地に新鮮な生わさびを楽しめる店がある。伊豆急下田駅から徒歩三分のうどん・そば店「むさし」だ。創業は大正4年(1915年)。三代にわたって、手打ちのうどん・そばを提供してきた。天城山にちなんだ「天城」(750円)は、古くからの看板メニュー。注文すると、天ざるそばとともに、生のわさびとおろし板が付いてくる。
「わさびは弧を描くようにすりおろすと、空気と触れあい、より辛みが際立つといわれています。葉に近い部分は香りが強く、先端に近づくほど辛みが強くなるので、お好みで使い分けるといいでしょう」。
![正木真理子](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/172eecb97d6e5ff3ca18bf7d49af7bb5.jpg)
そう話すのは、女将の正木真理子さん。実家がわさび農家だという正木さんの言葉にならって、葉に近い方からわさびをおろしてみる。はじめはさらりとしていたものが徐々に粘り気を増していき、あの独特の香りがフワリとただよってくる。わさびの辛み成分は揮発性のため、おろしたばかりの状態が最も香り高くなる。
![山葵](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/5dff55f19ef986ebdd3544213b884838.jpg)
わさびをそばに乗せるのが、正木さんがおすすめする食べ方。口に運ぶと、ほんのりと香るそばの香りとわさびの香りが一体となって、口いっぱいにひろがる。鮮烈な辛さが鼻を抜け、まろやかな甘みがあとを引く。くせになる味わいは、多くのリピーターをとりこにした。
![ワサビ](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/3d3a30d0f9b7026f96175291700e06c7.jpg)
「ここ数年は、生わさびをご飯に盛った『わさび丼』を取り扱うお店も増えました。わさび栽培は伊豆だけでなく、静岡の伝統文化。自治体はもとより農家や飲食店も、創意工夫しながらわさびの魅力を発信しています」。
![わさび丼](https://shun-gate.com/wp-content/uploads/2021/05/d7f755a760db9e0d395b862c70ddba17.jpg)
現在、わさび農家の継承者不足が喫緊の課題になっている。畳石式わさび田の造作技術の継承も充分とはいいがたい。そんななか、明るいニュースも。2018年、静岡県の「静岡水わさびの伝統栽培」が国際連合食糧農業機関の「世界農業遺産」に認定されたのだ。世界的に注目を集める「和食」文化も大きな後押しに。400年ちかい歴史のなかで、静岡のわさび栽培は新たな局面を切り拓こうとしている。