春の風情を届ける、桜の塩漬け

神奈川県秦野市
桜の塩漬けの工程
(取材月: April 2022)
日本の春の風物詩、お花見。人々の心を魅了する桜の花は目で見て楽しむのはもちろん、各地で食用としても利用されている。神奈川県秦野市の千村地区は桜の塩漬けの一大産地。この地における生産の起源は江戸時代にあり、その製法は脈々と受け継がれてきた。開花シーズンの到来とともに、生産のピークを迎えた“八重桜の里”を訪ねた。

八重桜が咲き誇る、神奈川県唯一の盆地

神奈川県秦野市

都心からおよそ60km、神奈川県央の西部に位置する秦野市。県内唯一の盆地で、北部には1000~1600mの山々からなる丹沢山塊が東西南北数10kmに渡り連なっている。市街地の彼方に広がる風光明媚な山々は“神奈川県の屋根”と称されることも。

八重桜

古くから桜が多く自生していた千村地区は、現在、“八重桜の里”として知られている。八重桜とはその名の通り、八重咲きになる桜のこと。幾重にも重なって展開する花びらは、まるで牡丹の花のよう。一重咲きのソメイヨシノでは見られない、ふくよかな咲き姿が楽しめる。遅咲きの桜で、見頃を迎えるのは4月中旬から下旬にかけて。ソメイヨシノより1~2週間遅れて地区内の八重桜も花開いていく。

頭高山

渋沢駅から車で10分ほどの距離にある頭高山(ずっこうやま)は、地区内随一のお花見スポット。標高300mほどの小高い山で、山頂付近の休憩所には斜面を覆うように八重桜が並ぶ。競うように咲き誇る菜の花とのコントラストも見ものだ。

かつては葉煙草や菜種などの段々畑が広がっていたが、時代の流れとともに荒廃したという。しかし近年は地元有志によって整備され、八重桜の植樹も進められ現在の景観となったそうだ。

春を閉じ込めた、桜の塩漬け

桜の塩漬け

桜は、見て楽しむばかりではなく、実は食用としても楽しめる。その中で代表例ともいえるのが、花びらを塩や梅酢に漬けこんだ桜の塩漬け。千村地区は、年間15~20トンを出荷する一大産地で、国内シェアのおよそ8割を担っている。塩漬けに使う桜は、鑑賞用とは別に栽培されており、地区内のいたるところに点在。100軒を越える生産者が約2500本の桜を世話している。

頭高山

桜の塩漬けが千村地区の名物になった経緯は諸説ある。ひとつは、庶民の収入源だったとする説。江戸時代末期、地域のお祭りを開くために桜の塩漬けを売って費用を捻出していたものが、やがて暮しに根づいていった。

もうひとつの説は、矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)に由来したもの。江戸時代に整備された街道で、江戸城の赤坂門から三軒茶屋、長津田、厚木、御殿場を経て、東海道の沼津に合流する。その往還沿いにある千村地区の茶屋では、桜湯で旅人をもてなすのが慣例だったという。

真相は定かでないがいずれのエピソードも、千村地区の歴史に桜が密接に関わってきたことを示している。

春本番、収穫期を迎えた桜の塩漬けの産地へ

千村桜漬加工所

東京の気温が20℃越えを観測した4月中旬、千村地区の千村桜漬加工所を訪ねた。運営するのは生産者グループの千村若竹会加工部。

岩佐スエ子さん

「今年は、生産を前倒ししてスタートしました。花が満開になるまでの一週間で、一年分の出荷量を仕込まなくてはなりません」。

そう話すのは、加工部の代表を務める岩佐スエ子さん。

桜の塩漬けの工程

今年は例年通りの開花だったが、予想以上に一気にまとまって咲いたため、加工所は桜の塩漬けの生産に追われていた。岩佐さんをはじめとする加工部のスタッフが小山を囲むように座りこむと、やおら花を両手で軽く持ち、振るいはじめた。

八重桜

塩漬けには、濃いピンク色の花びらが目を引く関山(かんざん)という品種が使われる。お花見であれば満開が望まれるところだが、塩漬けに適しているのはつぼみがほころびかけた7~8分咲きの花。花びらがギュっと重なり合っていると発色が良く見栄えがするからだ。

この日、加工所に運び込まれた桜の花は15kgほど。ガクや葉は、収穫時にあらかじめ取り除かれている。すべてをゴザの上に広げると、桜色の小山ができあがった。これらは、すべて人の手によって塩漬けにされる。

桜の塩漬けの工程

時折、花を舞い上げたり、再びかき集めたり。こうすることで、まぎれこんだチリやほこりがパラパラと落ちてくる。この時に痛んでいたり、形の悪い花も選別。最後、ゴザの上には取り除かれた小枝や葉っぱだけが残された。

桜の塩漬けの工程

花を5kgずつ小分けにしたら塩漬けの工程に進む。樽の中に花、塩、梅酢、クエン酸などを投入して、丁寧に足踏み。表面に水分が上がってきたら重石をして保管庫へ。1か月ほど漬け込んだら、いよいよ完成だ。

50年以上に渡り塩漬けを生産してきた加工部だが、一度だけ伝統が途絶えかけたことがあった。平成の中ごろ、前リーダーが急逝。岩佐さんは、思わぬかたちで後任を務めることになった。

桜の塩漬けの工程

「その時、塩漬けのレシピが残されていなかったんです。だから、加工所のスタッフたちの記憶だけが頼りでした。引き継いでからしばらくは、手さぐり状態でレシピの再現に取り組みました」

生産が安定してからも岩佐さんたちは、独自に改良を重ねてレシピを磨いていった。いまでは、当時のレシピよりも発色のいい塩漬けが生産できるようになったという。

千村桜漬加工所

加工部の生産分は、JAを通じて例年6月上旬頃に出荷される。今年は受注が急増して約250kgの塩漬けを用意する予定だ。前年の2倍近い量にあたるが、岩佐さんによると「最盛期は800kg近く出荷していた」とのこと。

「今まで続けてきましたが、課題も少なくありません。高い木から花を摘みとるのは危険が伴いますし、人手不足も重なっています。加工品を増やすなどして、収益になる仕組みができれば後継者も増えていくのではないでしょうか」。

季節を感じる桜の塩漬けをあじわう

桜湯

市内の直売所では一年を通して、袋詰めされた桜の塩漬けが並び、売り場の一角に彩りを添える。水で戻すと、バラのような香りが立ち上がる。摘みたての状態にはない独特の香りを感じるのは、塩漬けによってクマリンという成分が生成されるためである。

用途は多彩で、食材にしてもよし、盛りつけの飾りにしてもよし。あんぱんの“へそ”に埋めこんだり、おむすびに添えたりするといいアクセントになる。祝いの席では、お湯に浮かべた桜湯が縁起物として提供される。

編集部では、ご紹介した“桜の塩漬け”を使ったレシピを考案した。フランス発祥のお菓子「ブランマンジェ」だ。今回は、桜の香りと風味をつけ、春らしい季節を感じるお菓子に仕上げた。

桜のブランマンジェ

★ おすすめレシピ

桜のブランマンジェ

フランス語で“白い食べもの”を意味するブランマンジェ。牛乳を甘く味付けし,ゼラチンで固めた冷菓だ。白とピンクの層が見ためにも華やかで、上品な甘さとなめらかな口あたりに、ふわっと桜の香りと風味が楽しめる一品。

有志たちによって、脈々と受け継がれてきた桜の塩漬け。凝縮された春の風情を堪能したいなら桜湯を。その香りを生かして、様々な楽しみ方にも挑戦したい。

華やかな香りとともに、ふわりと花見の記憶が蘇える。

Writer : NAOYA NAKAYAMA
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Photographer : KOJI TSUCHIYA

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