始まりは神々への供物。絹のように美しい日光湯波の歴史

栃木県日光市
湯波を引き上げている風景
(取材月: April 2021)
徳川家康公の霊廟である東照宮などが、世界遺産に登録されている日光。旧日光市には「湯波」を食べる文化が根付いており、そのルーツも寺社にあるという。今回は日光湯波の製造所・海老屋長造を訪れ、日光湯波の歴史を探った。

日光の寺社から広まった日光湯波文化

栃木県日光市

雄大な山々に囲まれた日光は、奈良時代に勝道上人(しょうどうしょうにん)が開山した山岳信仰の聖地だ。男体山、女峰山、太郎山の3つの山は御神体として崇められ、寺社仏閣が点在。世界遺産に登録されている輪王寺、東照宮、二荒山神社は、日光の参詣所として世界中の人々が訪れる。

そんな日光で脈々と受け継がれてきたのが「日光湯波」。海老屋長造は、1872年から湯波づくりを継承する湯波製造所だ。

元祖海老屋長造看板

「寺社への供物として広まったのが日光湯波の始まりです。『しの巻湯波』という巻物状の湯波を長いまま高坏(たかつき)に載せてお供えし、お祭りが終わったらみんなで料理をして食べていました。また湯波は、精進料理の食材としても使われます。」と、教えてくれたのは、六代目の森 直生さん。神聖な山々から流れてくる水でつくられる湯波は、供物から次第に家庭の食卓でも食べられるようになり、地元の食文化として根付いたそうだ。また、現在でも正月などハレの日の料理に欠かせない食材だという。

元祖海老屋長造_六代目森直生さん

直生さんがもう一つ「ゆば」という名前について面白い話をしてくれた。湯波そのものは奈良時代に遣唐使が日本に持ち帰ったとされるが、「ゆば」という名前で呼ばれ始めたのは江戸時代からではないかといわれている。いまでこそ日光では「湯波」、京都では「湯葉」という字が当てられるが、もともとの音は「湯婆」からきている説があるそうだ。

「京都は葉、日光は波。土地柄が出ていると思いませんか?」と、直生さんは笑う。

大正天皇も味わった元祖・海老屋長造の味

たぐり湯波製造風景

JR日光駅から東照宮へ向かう参道沿いに、店舗と製造所を構える海老屋長造。「元根 御湯波所(元祖日光湯波所)」と彫られた古い木看板がその歴史を物語る。

海老屋長造の湯波は寺社仏閣のほか、かつて大正天皇がこよなく愛した山内御用邸や田母沢御用邸へも献上された。なかでも大きな俵形をした「たぐり湯波」は、天皇の大膳職(食事を作る係)から直々のご用命で作った名誉な一品だ。

たぐり湯波

「大正天皇はお身体があまりご丈夫ではなかったようです。湯波は大豆製品のなかでは消化が良い食材なので、滋養をつけるために献立に取り入れられたのだと思います」と、直生さん。伝統の「たぐり湯波」は、必ず直生さんか五代目・敏一さんが作ることになっている。

元祖海老屋長造_七代目森慧一さん

直生さんの息子で七代目の慧一さんが、製造所を案内してくれた。「すごく暑いですよ」という言葉通り、中は重い熱気で満ちている。90℃の蒸気で、豆乳を絶え間なく湯煎しているからだ。夏場はこまめに休憩しないと倒れてしまうほど暑い。

湯波を引き上げている風景

お湯を張った大きなステンレス製の台に、豆乳が入った木枠が並ぶ。湯煎で火を入れるとだんだんと表面に薄い膜が張り、美しい湯波になる。慧一さんは指で優しく押しながら厚みをチェック。ちょうど良い厚さになったところで、細い金串のような棒を豆乳の表面にスッと通し、素早く湯波を引き上げて金竿にかけていく。一連の動きには無駄がなく、いつまでも見ていられる。

「うちの条件だと、一枚の湯波ができるまでにかかる時間はだいたい30分。けして効率は良くないですが、この時間が美味しい湯波を作るんです。最初にできる湯波には蜂蜜のような甘味があるんですよ」と、慧一さん。

湯波づくりの要は、いわずもがな豆乳づくりにある。海老屋長造がある一帯は、女峰山から湧き出る清らかな水に恵まれた土地。神聖な天然のミネラルウォーターを、豆乳にも湯煎にも惜しみなく使う。さらに原料の大豆は、タンパク質と脂肪分のバランスの良い国産の中粒種を厳選。現在は山形県や北海道、秋田県産のものがメインだ。

大豆

仕込みは早朝4時にスタート。前日から浸漬しておいた大豆を粉砕して炊き上げる。その際にタンパク質由来の泡が大量にでるため、以前は消泡剤という添加物を使っていたが、それをまるっきり止めたそうだ。ここに湯波の味を劇的に変えた直生さんのこだわりが光る。

「本当は豆乳になる部分も泡となって消えるため、歩留まりが悪くて、絞る時にも泡が立つので時間がかかります。でも初めて消泡剤なしで仕上げた湯波を食べた時に、作った本人も驚くほど美味しかったんです。変えてはいけない部分は変えませんが、変えられる部分は変えていくんです」と、直生さん。進化を続ける店の姿だ。

木枠に入った豆乳

できたての豆乳を飲ませてもらうと、意外にもさっぱりしていて驚く。ほんのり甘くて瑞々しい豆乳は、なめらかな湯波の食感を思わせる。

「濃度を濃くすれば短時間でどんどん作れますが、ムラができて綺麗な湯波にならない。配合は豆のタンパク質量に合わせて常に微調整します。しっかりしつつ、口の中でほどける湯波がうちの理想。そのために原料や水、気候などの条件を考えて、辿り着いた豆乳です」と、慧一さん。

豆乳の個性はその店の湯波の個性。直生さんは湯波を食べただけで、その店の豆乳の濃度がわかるそうだ。

「さしみ湯波」の誕生と地元名物・日光湯波料理

日光湯波料理

一言に湯波といっても、その形のバラエティは豊かだ。海老屋長造では前述した大正天皇のためにつくられた「たぐり湯波」のほか、地元で一番親しまれている「揚巻湯波」、寺社の供物にも使われる細巻きの「しの巻湯波」、四角いシートのまま乾燥させ色々な料理に応用できる「平湯波」、吸い物や麺類に浮かべるとかわいらしいリボン形の「島田湯波」がある。「揚巻湯波」と「しの巻湯波」は一度油で揚げており、煮物にして食べるのが一般的だ。

海老屋長造の看板商品の一つといえるのが、生のまま食べる「さしみ湯波」。いまでは湯波の食べ方としてポピュラーな印象があるが、もとは1975年に五代目・敏一さんが生み出したものだ。だし醤油風のタレをつけて食べると、クリーミーな甘味が口いっぱいに広がり、食感はとてもなめらか。いくらでも食べられてしまいそうだ。

日光を代表する「日光湯波料理」は1985年頃、この「さしみ湯波」など様々な形の湯波を使った料理を作れないかと、海老屋長造が料理店に提案したところから始まった。現在ではまちの至る所に湯波料理の看板を掲げる店ができ、訪れる観光客の楽しみの一つとなっている。

fudan懐石和み茶屋_店主村松隆次さん

東照宮への参道に店を構える『fudan 懐石 和み茶屋』では、海老屋長造の湯波を使った創作和食を散りばめた「ゆば懐石ランチ」が人気だ。さしみ湯波や湯波の味噌田楽、平湯波にシソで巻いた日光唐辛子を包んで揚げた天ぷらなど、様々な湯波料理は目にも楽しい。お膳の中央に載っている「揚巻湯波の煮物」は、旧日光市出身の店主・村松隆次さんのソウルフード的存在だ。

ゆば懐石ランチ

「揚巻湯波の煮物は、旧日光市街の人達にとって馴染み深い料理です。運動会のお弁当やおせち料理の一品として、小さい頃から食べてきました。うちのお店では出汁、みりん、酒と薄口醤油で、淡い色合いに甘辛く炊いたものをお出ししています。トロトロとした食感と大豆の風味が楽しめるよう、ゆっくりと時間をかけて煮込みます」と、村松さん。湯波は家庭の思い出の詰まった、おふくろの味でもあるようだ。

寺社文化から始まり、人々の生活に溶け込んだ日光湯波。日光の歴史に想いを馳せながら味わいたい。

Writer : ASAKO INOUE
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Photographer : KOJI TSUCHIYA

元祖 海老屋長造

元祖海老屋長造
所在地 栃木県日光市下鉢石町948
TEL 0288-53-1177
定休日 水曜
営業時間 9:00-18:00
URL https://www.nikko-ebiya.com/

※こちらの情報は取材時のものです。最新の情報は各店舗にお問い合わせください。

fudan懐石 和み茶屋

fudan懐石和み茶屋
所在地 栃木県日光市下鉢石町1016
TEL 0288-54-3770
定休日 水曜
営業時間 11:30-15:30

※こちらの情報は取材時のものです。最新の情報は各店舗にお問い合わせください。

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