季節の節目に楽しむ、お彼岸のぼたもち・おはぎ

お彼岸のぼたもち・おはぎ
春分の日と秋分の日を中日として、それぞれの前後3日を含む7日間ずつを指す「お彼岸」。お彼岸に日本全国で広く食べられているのが、ぼたもちやおはぎだ。今回は、お彼岸とぼたもち・おはぎの由来について、日本の食文化を研究する大久保洋子先生に伺った。

仏教と日本土着の信仰が結びついて生まれた「お彼岸」文化

近世食文化研究家の大久保洋子さん

「お彼岸は仏教用語に由来しますが、お墓参りをしたりお供え物をしたりするのは、他の仏教国にはなく、日本だけなんです」と、大久保先生。

苦悩と煩悩に満ちたこの世の「此岸(しがん)」に対して、悟りを開いて到達する境地を「彼岸」という。悟りの完成ということを表し、日本人は「彼岸」を極楽浄土と結びつけたようだ。日本古来の八百万の神に対する自然崇拝や太陽信仰、西に浄土があるとする仏教の西方浄土の考えが結びつき、真西の方角にぴったりと太陽が沈む春分の日と秋分の日は、極楽浄土と現世の距離が最も近づく日とみなされるようになったという。

行事としてのお彼岸の起源には諸説ある。一説には806年に行われた「彼岸会(ひがんえ)」が日本初といわれており、仏教による治世の手段として、為政者の間で始まった行事だったようだ。

「貴族社会の時代には仏教による儀式という側面が強くみられます。祖先信仰との関わりが強まるのは、江戸時代に入り、庶民に広まってからです」と、大久保先生。

日本では古くから農耕社会が営まれており、季節の移り変わりには行事が多く行われていた。江戸時代になり、貴族や武家の間の儀式が庶民へ広まると、季節に合ったものを神前に供え、それを家族や親戚とともに食べて楽しむという民俗的な節日と結びついた。お彼岸には祈りを捧げ、神人共食することによって神仏との結びつきを深め、自分たちも極楽浄土に行くことができるという解釈に変化していったと考えられる。農村共同体のなかでは、祖先に会う日という年中行事をムラで共有することで、農作業に必要なコミュニティの維持強化が図られたということも想像に難くない。

「ちなみに、お盆とお正月はご祖先様がこの世に帰ってくる日ですが、お彼岸にはご先祖様は帰っては来ず、こちらから手を合わせるだけ。例えるなら面会程度という違いがあるんですよ」。

日本のお供え物の信仰から生まれた、ぼたもちとおはぎ

もち米と小豆

お供え物の考え方にも国ごとの個性があり、中国と日本では異なる。日本人にとってお供え物とは米の収穫を神に祈るものであり、平安貴族は仏教の式典として形式化した。白い食べ物が無垢なものとして崇拝の対象となり、主に米、もち、酒、塩、がお供え物とされた。

 大久保先生曰く、「日本は、粘るものが好まれる、『もち文化』があります。中国で『餅』というと小麦粉でできたものを指しますが、日本人は白くて粘りけの強いもち米でつくった『もち』を、最上級のお供え物として好んだようです」とのこと。

ただし「もち」を作るのは大変な手間だった。一方、うるち米の粉でつくるだんごは、やや粘り気は少ないが容易につくることができる。100%もち米のもちをしっかり杵でつくよりも、もち米とうるち米をブレンドして炊き、つぶすだけのぼたもちやおはぎは簡単で作りやすかったこともあり、広く普及したと考えられる。お彼岸以外にもお産のお祝いなどにも作られ、近隣に配るということも行われていた。

また、紅白の組み合わせに見られるように、白だけでなく赤に対する崇拝もあり、「小豆」もお供え物によく使われる食材だ。神仏や祖先に供えた白いもちやだんごを下げて、人が食べるときに小豆をつけて食べたのが、ぼたもちの原型となったと考えられる。ぼたもちはお彼岸だけではなく、おめでたい時に配られた食べ物のひとつであった。

お彼岸以外でも広まるぼたもち・おはぎ

河鍋暁斎『東海道名所之内 権太坂』
河鍋暁斎『東海道名所之内 権太坂』
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

ぼたもちやおはぎが、お彼岸以外でも食べられていた記録は各地に残っている。

『東海道名所之内 権太坂』(1863年)の14代将軍家茂上洛の図では、侍たちが茶店の女たちにぼたもちやお茶を振舞われている様子が描かれている。

「権太坂の絵に描かれているのは、きなこのぼたもちです。また、神奈川県鎌倉の常栄寺では日蓮にちなんだ行事でぼたもち供養が行われています。こちらは黒ごまのぼたもちをたくさん作って9月12日に配る行事です。お彼岸とは関係ないぼたもちが結構あるようですね。しかも餡がいろいろです。庶民の間では、おはぎよりぼたもちと呼ばれることが多かったようです。近年はおはぎが多いようです」。

ぼたもちとおはぎの違い

こしあんとつぶあんのぼたもち
左がこしあん、右がつぶあん
一説によると、こしあんがぼたもち、つぶあんがおはぎ

ぼたもちとおはぎの違いについては、地域によって諸説ある。

よくいわれているのは、季節の花に由来するというもので、春のお彼岸は牡丹の「牡丹餅」、秋のお彼岸は萩の花にちなんで「お萩」からきているという説だ。

また、こしあんでつくるのが「ぼたもち」で、つぶあんでつくるのが「おはぎ」とする説。これは小豆の収穫時期が秋であることに由来し、まだ皮の柔らかい秋はつぶのまま、半年後の春には皮が固くなるので皮を取ってこしあんにするのが主流になったためとされる。このほか、「ぼたもち」はもち米8、うるち米2を普通に炊いてつくるもの、「おはぎ」はうるち米だけでつくるという説もある。

また、今でこそ「甘いもの」というイメージが強いが、かつては私たちのイメージとは異なる味だったという。

お彼岸のぼたもち・おはぎ

「江戸時代には白い砂糖は貴重品だったので、塩味だったと思われます。昭和40年代頃まで地域によっては塩餡のところもありました。甘くなったのは白砂糖が手に入るようになった明治期以降のこと。また、餡の材料に小豆以外のものも取り入れたことによって味のバリエーションが豊富になったのも、近代に入ってからのことです」。

きなこは比較的古いが、そのほか黒ごま、青のり、ずんだなど、地方ごとに好まれる味があるようだ。

人々に愛される食文化として連綿と続いてきたぼたもちとおはぎ。お彼岸には伝統をつむいできた先人たちを想像しながら味わってみたい。

Writer : HISAYO IWABUCHI
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Photographer : KOJI TSUCHIYA/YUMIKO FUJIKI

プロフィール

大久保洋子
近世食文化研究家。元実践女子大学教授。日本家政学会食文化研究部会副部会長。一般社団法人和食文化国民会議顧問。
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