多くの人をとりこにする醸造所の長期熟成「みりん」
我々は“ホンモノ”のみりんを知るために、愛知県碧南(へきなん)市でみりん醸造を営む小笠原味淋醸造を訪ねた。
“あたりまえ”をつらぬく、小さなみりん醸造所
天然湖沼の油ケ淵や矢作川、衣浦港などに囲まれた愛知県碧南市は、穀物の栽培がさかんだったこともあり、1700年代後半からそれを原料にしたみりん醸造が営まれてきた。200年以上の歴史があるが、現在、醸造所は4軒のみ。そのうちの一軒である小笠原味淋醸造は、従業員わずか2名の蔵元。手作業の製造を徹底した“ホンモノ”のみりんを提供している。
小笠原味淋醸造が創業されたのは、大正11(1922)年。現在は、代表の小笠原和哉さんが夫婦で切り盛りしている。幹線道路から小路に入った住宅街に構えた醸造所は、こぢんまりとしている。
みりんを専業に醸造する小笠原味淋醸造では、100%国産原料を使い、製造のほとんどが手作業で行われる。しかし、それを「こだわり」と捉えられるのは、小笠原さんにとって不本意のようだ。
「安価な原料を使い、オートメーション化してしまっては、うちのみりんの味が出せない。昔から続けられてきたあたりまえのことをやっているだけです」と、キッパリと言い切った。原料を輸入するメーカーも多い時代の流れに逆らうかのように、昔気質をつらぬく小笠原味淋醸造は稀有な存在なのだ。
少数精鋭で行われる、春先のみりんづくり
みりんは大きく分けて、麹づくり、仕込み、糖化、圧搾、熟成の製造プロセスを経て出荷される。なかでも麹づくりと仕込みは、その年に製造されるみりんの味を左右する重要な作業だ。
麹づくり、仕込み作業が行われるのは3月ごろ。平均気温15度前後のこの時期は、もち米の糖化が促され、みりんの甘みが増すという。
作業が始まるのは陽が昇る前の早朝5時。春先とはいえ、醸造所のなかはひやりと肌寒く、立っているだけでつま先から体温が奪われていく。定刻前、醸造所にはすでに小笠原さんと複数の職人が集まっていた。人手が必要になる仕込み期間中だけ、手伝いの人を招いているのだ。
今回は特別に現場に立ち会わせてもらい、みりんの製造プロセスを教えていただいた。
<小笠原味淋 みりんづくりの工程>
1)麹づくり
まず取り掛かるのは、麹づくり。釜状の蒸し器「小甑(しょうこしき)」にあらかじめ洗浄しておいたうるち米を投入。小甑にボイラーの蒸気を送りこみ、ゆっくりとうるち米を蒸していく。
一時間ほど蒸されたうるち米は、職人一同で放冷しながら、麹菌とていねいに混ぜ合わせられる。
麹菌を混ぜ合わせた蒸し米は「室(むろ)」と呼ばれる保温室で保管される。室温30度、湿度80%に保たれた室は、麹菌が繁殖するのに最適な環境。48時間かけて、麹菌は蒸し米のなかで繁殖し、やがてみりん造りに欠かせない麹になる。
保管している間も数時間おきに繁殖の経過を確認し、最適な状態が維持される。そのほか、蒸し米と麹菌をまんべんなく付着させる「床もみ」や麹菌が繁殖したためにだまになった蒸し米をほぐす「切り返し」など作業は尽きない。
2)仕込み
1)の麹づくりの合間に、「出麹(でこうじ)」の作業が行われる。48時間前から保管していた麹を室から取り出し、仕込み作業に備える。
午前7時、もち米の入った「大甑(おおこしき)」に蒸気が送られ、蒸し作業が始まる。もち米を蒸したら、麹づくりとおなじ要領で放冷機へ移し、仕込み作業が始まる。
出麹で準備していた麹ともち米が混ぜ合わせられ、焼酎(または醸造アルコール)とともにホースで貯蔵タンクへ送り込まれる。この一連の作業を40分ほど繰り返し、一日分の仕込みが終了。
貯蔵タンクの容量はおよそ5,000リットル。タンクいっぱいになるまでに、およそ2トンのうるち米、もち米を使用するという。
3)糖化
混ぜ合わせられた麹、蒸し米、焼酎(または醸造アルコール)は、タンクのなかで糖化・熟成が進み「醪(もろみ)」という状態になる。あらかじめ入れたアルコールの力で麹菌の活動をセーブしながらゆっくりと熟成することで甘みが強くなり、香りの成分とアルコールが調和し、みりん特有の風味になるという。
タンク内の醪は60~70日かけて熟成されるが、貯蔵から3週間後、タンクに櫂(かい)を入れて醪全体をかき混ぜる。タンク内の醪を均一化することでより質の高い仕上がりになるのだ。
4)圧搾
熟成を終えた醪は酒袋へ入れられ圧搾機にかけられる。このとき、醪から抽出された液体こそ、みりんなのだ。
5)熟成
みりんはすぐに出荷されるわけではなく、ふたたびタンクで熟成される。そして、一年以上の熟成を経てから出荷される。長期熟成の間、成分のバランスが整い、まろやかなテイストに仕上がるのだ。液体の色も、みりん風調味料にはない美しい琥珀色に変化する。
甘くまろやかな、ホンモノの味わい
すべての行程において、小笠原さんたちは「清潔」をモットーに作業に取り組む。仕込みの時期ともなると、手洗いの回数は一日数十回にも及ぶ。甑や放冷機など醸造所内の設備はどこもピカピカに磨かれ、塵ひとつ見当たらない。
「人の口にはいるものだから、衛生管理はとくに気をつかっています。出荷前のみりんを加熱殺菌する醸造所も多いけど、うちのみりんは生菌数がとても少ないから加熱が不要。だから、生詰みりんで本来の風味を損なうことがないんです」。
小笠原味淋醸造の主力製品は、本格みりんの「一子相傳(いっしそうでん)」と「みねたから」の二種類。
仕込みに国産の焼酎を使用した「一子相傳」は、一口ふくむと紹興酒をまろやかにしたような上品な甘みが口いっぱいに広がる。ほんの少量使うだけでも、料理の美味しさを引き立ててくれそうだ。
「みねたから」は、焼酎ではなく醸造アルコールをベースにしている。こちらもそのまま飲んでも美味しいみりん。「一子相傳」よりも香りや風味があっさりしており、どんな料理にも合わせやすい。
これらの製品は全国にリピーターがいて、人気ぶりに出荷が間に合わなくなることもあるという。市内の出荷ですら、数軒の小売店にしか行き届かない。
「小さなみりん醸造所だからね。出荷量にも限りがある。60歳近くなると作業も大変だよ。それでもがんばれるのは『小笠原さんのみりんが一番!』と言ってくれる人たちがいるから。自分たちのポリシーを曲げるつもりはありません」。
小笠原さんたちの多大な労力と情熱が注ぎ込まれた本みりん。一度、味わってみてはいかがだろうか。