三陸から“漁師の日常”を届ける
2011年3月11日に起きた震災によって、三陸沖の多くの地域が壊滅的なダメージを受けることになり、漁業文化も衰退していくかに思われたが、漁業関係者たちの熱意と団結によって多くの漁場が復活を遂げ、今では漁獲量も震災前の水準に戻りつつある。
そんな中、我々は三陸の漁師文化を多くの人たちに知ってほしいと、地域をあげて取り組んでいる場所があると聞き、現地へと向かった。
漁師の生活が詰まった“番屋”の復活
岩手県大船渡市三陸町の越喜来(おきらい)地区。
豊かな漁場で、ホタテ、カキやワカメの養殖や天然ウニやアワビの収穫などが行われてきた漁村だ。
迎えてくれたのは、三陸の海産物のインターネット販売を手掛ける三陸とれたて市場の代表取締役、八木健一郎さん。この地区で次々とユニークな事業を発信している仕掛人だ。
さっそく案内してくれたのが、“番屋”と呼ばれる漁港沿いにある木造の作業小屋。番屋とは漁師たちが海に出る支度をしたり、休憩をとったりする、漁の拠点となる建物のことをいう。
十畳ほどの部屋をのぞくと、番屋の作業台では地元の漁師がカキの養殖用にホタテの貝殻に付いた種ガキを素早い手つきで選別している最中。小上がりには仮眠用の布団が敷かれ、台所には年季の入った鍋ややかんが雑然と並び、暖炉の周りには吸い殻が溜まった灰皿が置かれている。味わい深い漁師独特の世界観に、ついつい惹き込まれてしまう。
また、この番屋には漁師の作業部屋とは別にもう一つ部屋が備わっている。
「実はこの番屋は漁師の作業小屋でありながら、一般の人が観光もできる番屋になっています。隣の部屋は交流スペースとなっていて、地元漁師と一緒に作業を体験できたり、その場で“漁師めし”をつまみにお酒を飲んだりと、漁師文化に触れることができるんです」と八木さんは教えてくれた。
この番屋は津波で流された後、八木さんらが中心となり、東京の企業からの支援金を元手に2013年に再建したもの。番屋で営まれる漁師の日常生活こそ、世の中にもっと伝えていくべき文化だと一般公開することにした。これまでに天然ウニの食い倒れイベントなどを開催し大盛況となるなど、多くの観光客が訪れる人気のスポットとなっている。
「荒ぶる自然と日々対峙している漁師の暮らしが番屋にはあって、漁師の体験談や生活の知恵で溢れている。自分がこの地域に来たとき、料理も含め、漁師文化のすべてが漁師ではない僕たちにとっては驚きの連続でした。この面白さには価値があって、その価値を多くの人に伝えたいと思ったんです」。
“よそ者”の人生を変えた、漁師文化の衝撃
八木さんは三陸出身の人間ではないという。
静岡県富士市に生まれ、医者の家系で育ったがその道には進まず、生物のメカニズムを探求したいと大学の水産学部に進学する。大学2年生の時、キャンパスが三陸にあるという理由でこの地域に移り住んできたそうだ。
「大学には入りましたが、水産の勉強に心の底からは興味がもてず、他の研究所に入り浸り、微生物の研究ばかりしていました(笑)。とはいえ、特に研究者になりたいと思うわけではなく、この先どうしようかなとフラフラしていたんです」。
そんな八木さんの将来を変えたのが、生活のすぐそばにあった三陸の漁業の存在。形よく身が詰まったカキを出荷するために種ガキの時点から殻を精緻に削りながら丁寧に育てる知恵や技。“肉は買わなければいけない”からと肉の代わりにアワビを具にしたカレーを家で食べる習慣など、自分とはまったく違う漁師たちの価値観に、よそ者の八木さんはすっかり魅了されてしまったという。
2004年、知り合いから魚介類のインターネット販売サイトの制作を頼まれたことをきっかけに三陸の地で起業。サイト名を「三陸とれたて市場」とし、自分が感じた三陸の漁師文化の面白さも含めて届けたいと、船上から漁業のライブ中継を試みたり、殻が付いたままのウニを海水に入れて販売したりするなど、これまでにない斬新な発想で三陸の漁業を発信してきた。
また、三陸での八木さんの生活に大きな影響を与えたのが、越喜来地区の番屋を切り盛りしてきた、熊谷カヨさんとの出会いだ。
50年以上カキの養殖に携わり、番屋を訪れる人を温かく迎えては、即席で漁師めしを振る舞うカヨさんの姿は番屋の文化そのものだった。
「番屋で出てくるカヨさんの料理は、これまで見たことも聞いたこともない料理ばかりで衝撃でした。しかも、魚を見てから料理を決めるんです。魚のコンディションに合わせて、焼き魚にするのか、刺身にするのか。僕らとは発想の順番が違う。カヨさんの頭の中には四季折々に合わせた無数のレシピが存在していました」。
美味しさを損ねるからとイカの身の部分はあえて入れずに、イカの耳と足を刻んで、内蔵と一緒に炊いて味噌で味付けした「イカのふぞから焼き」、寒い時期には毛ガニをふんだんに使って出汁をとったスープに固めのほうとうを入れて食べる「かにばっとう」など、次から次に教えてもらう漁師料理に八木さんは三陸だけにしかない独自の食文化の可能性を思い知らされたという。
震災の津波で番屋が流されてしまった後、八木さんやその仲間たちで考えたのは、カヨさんにもう一度番屋に戻ってもらうこと。そして、料理を中心にカヨさんたちが継承してきた三陸の漁師文化を多くの人に伝えていくことだった。
そうして番屋は新たな形で再建し、カヨさんの姿も戻ってきたのだ。
最新冷凍技術で“漁師料理”をそのまま食卓へ
番屋再建と並行し、八木さんは新たなプロジェクトも始めている。
CAS(Cell Alive System)という最先端の凍結技術を駆使して、三陸の漁師料理をそのまま消費者に届けるという試みだ。
CASは細胞を壊さないまま凍結できる技術であり、本来の旨みや香りを保ったまま保存することができる。この技術を活かし、地元の漁師や浜のお母さんたちと、新たな商品開発にも励んでいる。すでに200種類以上のレシピを考案したというから驚きだ。
「消費者がまだ知らない価値のある漁師文化をそのまま食卓に届けたい。CASという一つの手段を手に入れたことで、その可能性は広がりました」と八木さんは話す。
地元の漁師が長年継承してきた漁業の礎に、八木さんたちの新しい発想が加わることで漁業の未来が拓きはじめている。
ぜひ一度、三陸を訪れ、まだ知らない漁師文化を五感で体験して欲しい。