島の景色と人が滲む本格焼酎、東京の島酒
九州からの流人が伝えた焼酎づくり
東京本土から南東へ約280km、伊豆諸島の南に位置する八丈島。八丈富士と三原山という2つの火山に囲まれ、周囲はおよそ69km。JR山手線の内側とほぼ同じ広さの土地におよそ7500人が暮らす。火山と黒潮暖流の影響もあって年間平均気温18℃と温暖な気候で、主に農業や沿岸漁業、観光業などを産業の基盤としてきた。
そんな八丈島で焼酎づくりが始まったとされるのは1853年。江戸時代、鹿児島の商人であった丹宗庄右エ門(たんそうしょうえもん)が琉球との密貿易の罪によって八丈島への流刑となったことが発端。伊豆諸島特有の火山島土壌に向く作物として、さつまいもが島内で盛んに栽培されていることを知った庄右エ門は、九州ではこの芋を使って酒をつくっていると説き、地元から蒸留機を取り寄せて島民に焼酎づくりを教えたというのがその起源とされる。
その後、伊豆諸島の他の島々へと焼酎づくりの技術が伝播され、島酒の歴史が紡がれていった。現在は、各島でそれぞれの蔵が個性豊かな酒づくりをおこなっており、青ヶ島でつくられる希少性の高い「あおちゅう」をはじめ、東京の島酒が近年注目され始めている。
島の恵みを麦麹で仕込む、唯一無二の焼酎
島内で、いまも4社の焼酎蔵元が稼動している八丈島。最も古い蔵元として、100年以上の歴史を誇るのが八丈島酒造だ。
「島酒は島の暮らしと深く結びついたお酒です。家庭でもそうですが、古くから島の人は何か祝いの席や人が集まる機会があるたびに酒を酌み交わす慣習があって、その場に欠かせないのが焼酎です。少し前までは島の各家庭のかめに焼酎を量り売りしていたこともあるぐらい。島酒のルーツは島の人たちが生活の中で日常的に飲むための焼酎だったんです」。
そう語って迎えてくれたのは八丈島酒造の3代目、奥山清満さん。主力銘柄の芋焼酎「八重椿」の他、芋と麦のブレンド比率を変えた銘柄など、計4種の焼酎をつくっている。昔ながらの製法で、すべての工程が現在も丁寧に手作業でおこなわれている。
奥山さんが焼酎づくりにおいて何よりもこだわっているのが主原料である芋と水。使用する芋はコガネセンガンや紫芋など、八丈島で栽培された品種のみ。赤芋は、酒造のすぐ横にある自前の畑で栽培したものを使っている。
四方を海に囲まれ、八丈富士と三原山に挟まれた土壌には、海水からのミネラルが豊富に注がれているため、養分をしっかりと蓄えた味の濃い芋が育つのだそうだ。実際に仕込みに使う芋は、手作業で丁寧に選別する。湿気が多い島では、芋に雑菌が繁殖しやすいため、少しでも傷んだ芋が混在するだけで、焼酎に雑味が広がってしまうからだ。
そして九州での焼酎づくりと決定的に異なる特徴が、麦麹をベースにつくること。一般的に芋焼酎は米麹を用いて仕込みことが多いが、島では米が貴重な作物であったことから酒づくりには回さず、代わりに麦麹を用いるのが伝統とされてきた。
「麦麹を使っているので、さわやかで飲みやすい口当たりでありながら、原料の八丈島の芋の良さもしっかりと出る。個性がありながらも飲みやすいことが島酒の魅力ですね」。
かつて島内に6社存在していたという蔵元も、島の人口減や後継者不在で減少傾向にある中、奥山さんは自身の代から製造する銘柄を増やすなど新たな取り組みにも積極的だ。
現在は、息子の武宰士さんが後継ぎとして焼酎づくりを修行中。島で生まれ育ったが、10代からは一度島を出てJリーガーとして活躍していた経歴も持つ武宰士さん。外での生活を経験したことで、改めて島酒のポテンシャルを感じているそうだ。
「九州などの焼酎と比べると、良い意味で癖があまりないので、島酒は日常的に飲める焼酎だと思っています。毎日飲んでも飲み飽きることなく楽しめるのが島酒らしさかなと。もっと若い世代の人たちにも島酒の魅力を感じてもらえるように、いま新しい企画を温めているので、楽しみに待っていて下さい」と、頼もしく語ってくれた。
小さいがゆえに、革新的な蔵元
伊豆諸島の真ん中に位置する新島でも焼酎づくりは健在だ。人口約2000人が暮らす新島で唯一の蔵元が、1926年創業の株式会社宮原。新島の飲食店であれば必ずや目にする芋焼酎「嶋自慢」を看板として、麦焼酎、米焼酎など6種の焼酎を製造している。
代表を務めるのは3代目の宮原淳さん。先代から引き継いだ当初は母親と二人で製造していたが、10年ほど前から、仕込み、蒸留、瓶詰め、ラベル貼りなど、製造工程の全てをほぼ1人で担当してきた。現在では社員が1人加わったものの、手作業での少量生産を貫いている。
近年、島内での消費が落ち込む中、宮原さんは東京島しょ地域の蔵元で組織される東京七島酒造組合の活動として、島酒文化全体の今後を見据え、島外でもこれまで以上に島酒の認知を高めようと普及活動にも力を注ぐ。
「すっきりとした味わいの島酒は、ロックでも、お湯割りでも、水割りでも、ソーダ割りでも、年間を通じて、様々なシーンで楽しめるのが強み。それぞれ小規模で独立心の強い蔵元なこともあって、実験的な焼酎づくりにも積極的なので、これからもっと島酒が面白くなると思いますよ」と、宮原さん。
株式会社宮原でも、本来は余分な油分など不純物を取り除くために製造工程の最後に濾過をしてつくるものを、あえて濾過せずに、原料の旨みを最大限に引き出すべく、無濾過のまま出荷する焼酎を開発したり、新しい島酒の可能性を貪欲に追求している。
豊かなストーリーを紡ぐ島酒は可能性の宝庫
つくり手とは違う立場から、島酒の価値を信じ、それを島内外へ伝え続けているのが、八丈島にある酒店である山田屋だ。島民や観光客が途切れることなくやってくる活気のある店では、島の酒屋としては珍しく、大手メーカーの商品だけでなく、小規模の生産者がつくる自然派ワインやクラフトビールなど、嗜好性の高いお酒も幅広く取り揃えている。
もちろん、主力商品として扱っているのは島酒だ。地元である八丈島から青ヶ島、伊豆諸島や小笠原諸島でつくられるほぼ全ての島酒の銘柄が入手可能。店主の山田達人さんが、それぞれの味わいだけでなく、つくり手の人柄や蔵元ごとのこだわり、歴史など、その背景まで含めて島酒の魅力を丁寧に説明してくれる。
八丈島出身の山田さんは、専門学校を卒業後、都内の大手ビールメーカーに数年勤めた後に、家業である酒屋を継いだ。当初は、その頃に愛飲していた自然派ワインばかりに注力していたそうだが、海外の生産者と出会い交流を深めて行く中で、次第に地元の酒の価値に気付かされたそうだ。
「フランスのワインの生産者さんは、いつもワインの自慢をせずに、ワインがつくられる地元の風土のことを自慢するんですよ。風土の魅力を僕らがワインに変えているだけだと。それは島酒も同じだ、と気が付き衝撃を受けました。こんなに島酒の近くで暮らしているのに、今まで全然目を向けていなかったな、と」。
いまでは島酒の伝道師として、誰よりも熱心にその魅力を発信している山田さん。飲食店にアプローチをかけたり、イベントへの出店はもちろん、都心の飲食店や消費者からの、味わいや価格帯についてのフィードバックを常につくり手と共有するなど、蔵元と二人三脚となって島酒文化を支えている。
「美味しいのはもちろん、ユニークな歴史があって、島の風土を体現した酒で、個性的なつくり手がいてと。いま、多くの人が自然派ワインやクラフトビールを支持している理由と同じようなストーリーが島酒にはある、と思っています。僕と同じように島酒を好きになってくれる人は必ずもっといるはずです」と、山田さんは語る。
その昔、思いがけずに流人を通じて九州から伝えられ、170年近い歴史を紡ぐ島での焼酎づくり。島固有の自然環境の中で、つくり手たちが知恵やアイデアを絞りながらたくましく継承してきた。一口飲んだ瞬間に、島の景色が広がりつくり手の表情が思い浮かぶような、独自の焼酎文化は、これからも新しい文化を創造していくであろう。
東京の個性豊かな島酒。まだ飲まれていない方は、ぜひ一度、島の情景に思いを馳せながら、その個性豊かな味わいを体験してみて欲しい。