文化の原点に立ち返る。こだわりの「あわびの煮貝」
「あわびの煮貝」は、古くは、沖で獲れたあわびを醤油の入ったタレで煮込み、甲斐(山梨県)の地まで馬の背に乗せて運んだことから生まれたといわれており、今では、結婚や出産、入学など、祝事の席で食べられることが多いという。その伝統を今も引き継ぎ、山梨県で「あわびの煮貝」の製造、販売をおこなう信玄食品を訪ねた。
世界有数の魚市場、築地の目利きが選んだ選りすぐりのあわび
現在、信玄食品では、「あわびの煮貝」の原点に立ち返り、素材の仕入れから加工、売り方に至るまでを見直した「本煮貝」の販売をはじめた。
この「本煮貝」に使用するのは、多くの目利きが集まる東京の築地市場で仕入れた国産の天然あわびのみだ。信玄食品では、とにかく大きくて身質が良いものにこだわって仕入れているという。
信玄食品が「本煮貝」で使用するあわびを買い付けている、築地の仲買人、やま幸の堀川さんにお話を伺った。
「築地市場には日本全国からさまざまなあわびが集まってきます。外国産のものに比べて、国産のあわびは圧倒的に大きくて身質が良いものが多いです。あわびは地域によって“旬”の時期も細かくわかれていますが、今年の一番は千葉県大原産の『マダカアワビ』でしたね。殻付きの状態で1.3kgぐらいあり、一般的に大きいとされるあわびの3倍以上はありました」
大きさは見てわかるかもしれないが、身質の良し悪しはどこで判断するのだろうか。「あわびの身質は、身の真ん中を指でぐっと押してみるとわかります。熱を入れると身が小さくなるので、身が分厚く弾力があるものが良いです。信玄食品さんのために選んだあわびは、どれもずば抜けて大きく、身質も最高のものばかりです」と堀川さん。幼い頃から港町の近くで育ったという目利きの言葉からは、あわびに対する絶対的な自信を感じた。
加工の工程一つひとつを見直す
そして、築地で仕入れた新鮮なあわびは、海水に浸した状態で山梨の工場まで運ばれ、加工される。まずはあわびを蒸し器に入れて蒸すところから始まるが、なんとその製法は、銀座の一ツ星のお寿司屋さんと同じ手法を用いているという。これまでは蒸し時間は一定にしていたそうだが、「本煮貝」では、素材の大きさや状態に応じて一番美味しく食べられるよう、蒸し時間を変えている。工場長自らが銀座の寿司店に勉強しに行き、ちょうど良い蒸し時間を体得したそうだ。蒸し上がったら殻を外し、流水で洗う。蒸したあわびは柔らかいので、肝が破れないように一つひとつ手作業で丁寧に洗っていく。
次は味付けだ。「本煮貝」は、使用する調味料にもこだわり抜いているという。まずは、北海道の利尻産の肉厚な昆布を一晩かけてじっくりと出汁をとる。そして大きな寸胴にお湯を沸かし、鹿児島県枕崎産の鰹節をたっぷり入れる。酒は山梨で古くから続く酒造メーカー、七賢の大吟醸を惜しげもなく使用し、醤油は、富士山のわき水から出てくる、銀名水という水を使って作った、2段仕込みの最高級甘露醤油を使用。特に醤油選びにはこだわったそうで、今回の製造にあたり、数多くの選択肢の中から、「本煮貝」に適したものを選んだそうだ。出汁ができたら少し冷まして、あわびを入れた袋に注入する。沸騰前の温度を保ちながら、低温殺菌の状態でじっくりと味を浸透させていく。
この道26年という工場長の内田さんは、この全ての工程において、こだわり抜く「本煮貝」作りにワクワクしながら取り組んでいるという。「素材から加工まで、とことんこだわり抜いています。素材は一番良いときに仕入れて、調味料もあわびが一番美味しく食べられるものになっていると思います」と語ってくれた。
とことんこだわった煮貝には、山梨の魅力が詰まっている
甲府駅の近くにある「岡島百貨店」にオープンしたばかりという信玄食品の直営店に伺った。ここ「岡島百貨店」では信玄食品の商品を幅広く取り扱っているが、なんといっても目玉となるのは、特別に買い付けてきた選りすぐりのあわびが並ぶ「本煮貝」の量り売りだ。この売り方は、かつては山梨県でよく見られたものだという。
信玄食品の営業本部長の保坂さんにお話を伺った。「あわびは特別な食べ物で、神事にも使われてきたものです。山梨の家庭では、あわびの煮貝は特別な存在でした。お客様を迎えるときなどに、魚屋さんに買いに行き、人数分を切って出してもらい、みんなで食べていたのです。今ではそういった家庭も少なくなって来たように思います。信玄食品は、煮貝をつくりはじめて50年になりますが、もう一度原点に立ち返り、看板商品のあわびの煮貝をもう一度見直して、製法にこだわり、昔ながらの方法で売ることにしたのです。私たちは山梨伝統の食文化を担っていることをしっかりと認識し、発信していくことで、地元のお客様だけでなく、日本中のお客様に『あわびの煮貝』を知っていただきたいと思っています」
「本煮貝」は、量り売りで、素材にしたあわびの大きさによって価格が変わるため、値付けは時価になる。そのため、一番高いものは1つ7?8万もの値段をつける高級品になるが、売り出すことに不安はなかったのだろうか。
「以前、企業の方などが集まるパーティーの場で『あわびの煮貝』を参加者の方々にお土産としてお渡ししました。後日、参加者の方々からの注文があり、驚いたことに、ほとんどの方が一番高い商品を注文されていたのです。その時に、本当に良いものを作り、その価値をわかってくださる方は、納得の上で良いものを選んで買ってくれるということに気づきました。私たちの煮貝は、価格だけで見ると高いですが、その時の市場で食べられる最高のものを提供することを目指しています」と保坂さん。
贈答品としての魅力をさらに上げる試みもはじめたそう。「あわびのカラの内側に洋金箔を貼り、お皿として販売もしています。しかも、オーダーメイドで純金箔を貼る事もできます。山梨の伝統工芸でもある水晶研磨細工の職人さんに特別にお願いして、ツヤツヤに磨いていただき、置物にしても良いほどの美しさです。そして、極めつけに桐箱に入れ、風呂敷で包みます。殻まで付くと2段になるので、非常に高級感のあるセットになります」
どこまでも商品を突き詰めて行く姿勢からは、あわびの味だけでなく、煮貝文化を盛り上げ、しいては山梨県を活性化させたいという気持ちが強く伝わってくる。
山梨県という内陸の風土と知恵が生んだ食文化。その食文化の原点を見つめ直し、こだわり抜いた食材を提供していくことによって、さらなる発展を目指していく信玄食品の想い。「最高のものを目指して、その価値にあった価格設定をしています」という信玄食品の言葉から、我々は山梨県への自信と誇りを感じるとともに、日本の食文化の大きな可能性を感じた。