にっぽんの駅弁。 ―北海道室蘭市「母恋めし」
四季折々の景色を眺めて味わう駅弁は格別であり、その瞬間にしか体験できない“旬”の旅を演出してくれる。
その地域ならではの駅弁との出会い。それは旅のひとつの楽しみともいえるだろう。
北海道室蘭市 小さな駅で愛される名物駅弁「母恋めし」
北海道室蘭市。製鉄所や造船所が多く、「鉄のまち」として発展してきた地域。1970年代頃の最盛期と比べると活気が失われたとはいえ、湾に沿って立ち並ぶ工場群は圧巻。綺麗な工場夜景が楽しめると、観光客や工場見学愛好家がよく訪れる町だ。
ここ室蘭市に、全国の駅弁ファンから長年愛されている駅弁がある。それが北海道JR室蘭本線の母恋駅(ぼこいえき)で販売している「母恋めし」だ。地元夫婦の創作愛が詰まった、とてもユニークな駅弁だ。
室蘭市内を走るJR室蘭本線の終点、室蘭駅の一つ手前に母恋駅がある。
1935年に開駅した小さいレトロな木造駅舎では、ストーブを囲む待合室で地元のおばあさんや中学生がのんびり談笑し、時間が止まったかのような錯覚になる。変わった駅名の影響か、母の日には記念品として入場切符がよく売れるという。そんな愛らしい駅の一角にある売店で「母恋めし」は販売されていた。
薄ピンクの風呂敷に包まれた「母恋めし」。ふたを開けてみると、その中身に驚かされる。10cm以上の大きなホッキ貝が丸ごと詰め込まれているのだ。殻の中にはホッキ貝の炊き込みご飯のおにぎりがすっぽりとおさまっている。おかずには、燻製たまごとスモークチーズに漬物。お口直しなのか、小さなハッカ飴も付いている。
おにぎりを頬張ると、肉厚のホッキ貝の食感に、出汁の染みた炊き込みご飯のやさしい香りと、ほんのり感じる甘さが口いっぱいに広がる。りんごの木で燻したというスモークチーズも絶妙な燻製状態で、程よい歯応えとクリーミーさが癖になってしまう。
「母恋めし」は母恋駅の他に室蘭駅でも販売されているが、すべて手作りのため1日限定40食ほど。全国各地からこの駅弁を求めに室蘭まで訪ねてくるファンが後を絶たず、売り切れになる前に電話でお取り置きするお客さんも多いという。今ではその噂が海外まで広がり、アジアを中心とした海外からの観光客が「母恋めし」を目当てに室蘭に訪れるそうだ。
きっかけは余ったホッキ貝 〜「母恋めし」誕生秘話〜
「母恋めし」を作っているのは室蘭市内に住むご夫婦、関根勝治さんと久子さん。聞くと、お二人の本業は弁当屋ではなく、シルバーアクセサリーなどを作る創作工芸作家だという。「母恋めし」の販売をはじめたのは15年前。なぜ駅弁をはじめようと思ったのかを勝治さんに聞いてみた。
「ホッキ貝の殻を使っていろんなアクセサリーを作っていたら、中身が余って困っていたんだよ(笑)」と勝治さん。
実は、母恋という地名は、アイヌ語の「ポク・オ・イ」から名付けられたといわれており、その意味は「ホッキ貝がたくさんある場所」。昔から室蘭や苫小牧では大きなホッキ貝がよく生息する地域として知られ、殻も厚いことからアクセサリーの素材に適していると、勝治さんは工芸用として使っていた。
その中で、山のように余るホッキ貝の身の処理で活躍したのが久子さんだ。ホッキ貝の身をムダにせまいと、ホッキ貝を使った家庭料理を次々と考案していく。刺身にバター焼き、カレーライスにオムライス、しゃぶしゃぶにシチューなど。そんな時に、室蘭市内で開催される郷土料理コンクールの存在を知った。
「当時、2人の子どもが好きだったホッキ貝の炊き込みご飯をおにぎりして弁当にしたらどうかと思って応募してみたんです」と久子さん。すると、その「母恋めし」と名付けられたホッキ貝の炊き込みご飯のおにぎりが弁当部門で最優秀賞を受賞したのだ。
「母恋めし」の評判は広がり、地域の住民から、町の中でも食べられないのかという声が殺到。どこかよい販売場所はないかと探していた矢先、母恋駅の売店が空いていることを知り、そこで駅弁として売り出すことに決まったのだ。
夫婦の人柄が一箱に凝縮される
ホッキ貝のインパクトばかり注目されがちな「母恋めし」だが、実はその細部にまで、駅弁としてのこだわりが行き渡っている。
おかずがそれぞれ袋に個包装されているのは、箸を使わなくとも手づかみで食べられるように。そして、電車の中で全部食べきれなくても残りを包んで持ち帰れるようにと関根さん夫婦の配慮がカタチになっている。
また、使う食材や調味料についても北海道のものにこだわっている。ホッキ貝はもちろんのこと、コメは北海道のユメピリカ。酒や蜂蜜も北海道産を使っている。出汁を取る昆布にいたっては室蘭で獲れる「ややん昆布」を使用している。多くの昆布を試してみたが、地元の昆布がもっとも「母恋めし」にあっていると勝治さんはいう。
我々がお口直しかと思っていた小さなハッカ飴にまで開発秘話があった。「お口直しという意味だけではないんだよ。ある時、電車に乗って、ハッカ飴をなめながら車窓を眺めていたら、リラックスして景色を楽しめたんだ。だから、その時になめていたハッカ飴を駅弁にも入れたんだよ。『母恋めし』を食べた人の旅が少しでも楽しくなるようにね(笑)」と勝治さん。
「母恋めし」の販売をはじめて10年以上が経ついまも関根さん夫妻は毎日、休みなく朝4時に起きて駅弁作りを続けている。1日40食程度の生産とはいえ、体力的には辛くなってきたと関根さんは話す。そうした中、いまも「母恋めし」を作り続ける理由を勝治さんに尋ねてみた。
「何回もやめたいと思ったけど、簡単にはやめられないっていうのが本音だね。全国からこの駅弁を求めて室蘭にやってくる人がいるわけだから。そして、『おいしかった』、『また食べたい』といってくれるわけだから。必要とされる限りは、続けていかないとね。それだけだよ(笑)」と勝治さんは照れくさそうに話してくれた。
地域の名産と関根さん夫婦の人柄が詰まった「母恋めし」。
我々は「母恋めし」に出会ったことによって、またひとつ、旅の楽しさを知ることになった。