ハレの日もケの日も食べる。近江八幡の名物「赤こんにゃく」
赤色の由来は、こんにゃく競争に勝利したから?
レンガ色とも言える鮮やかな色が美しい赤こんにゃく。赤い理由については諸説あるが、多くの人が語るのは、織田信長が派手好きだったために赤色にさせたという説や、地元の大祭「左義長(さぎちょう)まつり」の赤い衣装に由来するなどの説だった。しかし乃利松食品の代表が八幡町史を調べたところ、新たな有力説を発見したのだそう。
「明治の始めに八幡と大津の瀬田とが、こんにゃく作りを競い合っていたそうなんです。それで八幡が勝利したので、せっかくだからなにか特徴を出そうという近江商人の提案で、赤く染めようとなったという記述があったらしいです」と、教えてくれたのは、代表の息子さんの妻・吉井美喜さん。ちなみに乃利松商店の創業年も、長年謳ってきた1891年(明治24年)ではなく、1836年(天保7年)だったという驚きの事実が八幡町史によって判明したそうだ。
真相はさておき、近江八幡の地で脈々と受け継がれてきた赤こんにゃく。乃利松食品は地元で唯一残っているメーカーで、その生産を一手に担っている。半世紀以上前は20軒ほどお店があったが、重労働であることや後継者不足などで次々と廃業。とはいえ地元では“赤こん”という愛称で親しまれており、スーパーのこんにゃく売り場も真っ赤。家庭ではおでんや煮物、冠婚葬祭やおせち料理などハレの日もケの日も食べるため、「こんにゃくは赤いもの」だと思っている地元の人もいるそうだ。
人の手で作ることで、味染みの良い赤こんにゃくができる
赤こんにゃくづくりは体力勝負。さらに乃利松食品では手作業の工程を残すことで、昔ながらの味を守っている。
まずはパウダー状になったこんにゃく芋を50度以上のお湯でとき、赤色の元となる三二酸化鉄を混ぜたら、四角い箱の中に羽がついた「バタ練り機」という機械で練っていく。今では使うメーカーが少なくなったそうだが、バタ練り機で練ることで程よく気泡が入り、味染みの良いこんにゃくに仕上がるという。赤いペースト状になったらステンレスの枠に流し込み、今度は80度のお湯に漬けてひと晩寝かせる。漬けている間にアクが出ていき、赤こんにゃくがひきしまる大切なひと手間だ。
「こんにゃくは水みたいなものですからとにかく重たいです。すべてオートメション化することもできますが、大事なところは人の手を入れるというのが代表のこだわりなんです」
近江八幡の城下町の一角にある直営店では、さまざまな形の赤こんにゃくを販売。一番人気は一丁まるまるの「八幡赤こんにゃく」で、ほかにも糸こんにゃく、突きこんにゃく、白いこんにゃくと合わせた紅白の玉こんにゃくなどがあり、料理によって選ぶのが楽しそうだ。聞けば食育にも力を入れているそうで、壁には工場見学に訪れた子供たちの寄せ書きが何枚も飾られている。
「毎年小学生は工場見学、中学生は職場体験をやっています。給食用にも卸していて、滋賀だけでなく関西の他の地域からも注文が入りますよ。大人になってからも覚えてくれていて、お店に来てくれるとうれしくなりますね」
新しい食べ方で楽しむ赤こんにゃく
乃利松食品 吉井商店からほど近く、日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)の境内にある「たねや 日牟禮乃舍」では、乃利松食品の赤こんにゃくを使った御膳や、赤こんにゃくの刺身が名物に。古き良き和の空間の茶屋は、豪勢な町家造りでとても風情がある。
小鉢がいくつも並ぶ「たねや膳」には、赤こんにゃくと近江牛を甘辛く炊いたものや、細かく刻んだ赤こんにゃく入りの華やかなおこわが並ぶ。出汁で炊いてから薄くスライスした赤こんにゃくに、オリーブオイルを回しかけて食べる「赤こんにゃく刺身」は新感覚。弾力のある赤こんにゃくの食感と、しっかり染みたお出汁の風味、オリーブオイルの香りが良く合って、こんな食べ方があるのかと驚く。
「うちで使わせてもらっている赤こんにゃくには、特別に小豆の皮を混ぜてもらっているんです。うちは和菓子屋なので、こし餡をつくる時に出てしまう小豆皮を、乃利松さんにお願いして使ってもらっています。食感がおもしろいでしょう」と、話すのは店次長の村田輝さん。村田さんいわくすき焼きや煮物など、赤こんにゃくと牛肉の組み合わせは鉄板だそう。そういえば乃利松食品の吉井さんも、赤こんにゃくの肉巻きをおもてなし料理としてよく作ると話していた。
「全国には赤こんにゃくのことを知らない方も多いと思うので、一度食べてみていただきたいですね。うちもいつまで続けられるかわかりませんが、続く限りは美味しい八幡の赤こんにゃくを作りたいと思います」と吉井さん。
近江八幡を訪れたら、購入するもよし、提供する飲食店で食べるもよし。ぜひ赤こんにゃくを味わってみてほしい。