「涼」をもたらす、夏の郷土菓子6選

夏の郷土菓子
ぷるっとした食感がくせになる「葛餅」から、華やかな盛りつけが目を引く「白熊」まで、夏の郷土菓子は多種多様。清涼感のある味わいは、今も昔も変わらない夏の贅沢だ。誕生の背景に迫ると、土地土地の文化や庶民の知恵が見えてくる。

先人たちの知恵が凝縮された、夏の郷土菓子

土地土地の歴史とともに、食文化を紡いできた郷土菓子。現代ほど保存手段や物流が整備されていなかった時代、特産品を使った郷土菓子は四季と密接に結びついていた。なかでも、冷たい菓子は暑い夏を乗り切るために欠かせない。

その一部は様々なアレンジが加えられ、現代でも広く親しまれている。いわば、郷土菓子は今なお進化を続けているのだ。そんな郷土菓子から、今回は夏にうってつけの6品をご紹介する。

葛餅(奈良県)
画像提供元:株式会社井上天極堂

葛餅(奈良県)

奈良県全域で広く親しまれている「葛餅」。透明感のある見た目がなんとも涼やかで、プルプルとした食感がくせになる。原料となる葛はマメ科の多年草で、北は北海道から南は九州まで日本全国に広く分布。その名は、奈良県の吉野地方に住んでいた山の民・国栖人(くずびと)が葛粉の生産を担っていたことにルーツがあるとされる。

「葛粉」は手間暇かけてつくられる。葛の根に含まれるデンプンを地下水で繰り返し精製。2~3ヵ月にわたる乾燥工程を経て完成する。葛デンプン100%の葛粉は「吉野本葛」と呼ばれ、江戸時代から続く伝統製法「吉野晒(よしのざらし)」も今なお健在だ。

「葛餅」は地元で通年手に入り、お好みできな粉や黒蜜をかけて食べる。葛餅入りのアイスやかき氷、葛入りぜんざいなどアレンジも自在。つくりたて状態で、中にほんのり温かみが残る程度に氷水で締めると、もちもちふわふわとした口あたりになる。

かんざらし(長崎県)
画像提供元 : (公社)長崎県栄養士会

かんざらし(長崎県)

「かんざらし」は、長崎県島原市に伝わる郷土菓子。白玉粉でつくった団子を湧水で冷やし、それに砂糖や蜜をかけて食べる。今でも一般家庭で食べられているが、シンプルなレシピゆえにその味わいは千差万別。市内にある飲食店でも様々な「かんざらし」が楽しめる。

「かんざらし」は、島原に住む人々の生活の知恵から生まれた。年貢で米を徴収されていた庶民はくず米を主食にしていた。くず米を米粉の状態で保存していたが、夏はどうしても腐りやすくなる。そこで、米粉を団子状にして湧水のなかで保存することを思い立った。

また、1792年に起こった火山災害「島原大変」の影響で、地下水が豊富に湧出するようになったことも普及を後押しした。さらに、島原一帯の特産であった砂糖は蜜づくりに活かされた。やがて、蜜をかけた米粉の団子で夏場の来客をもてなす習慣が生まれ「かんざらし」の原型が形づくられていった。なお、その名は「寒ざらし」が語源にあるとされ、大寒の日前後に米粉をつくっていたことに由来する。

白熊(鹿児島県)
出典 : うちの郷土料理

白熊(鹿児島県)

鹿児島県の名物「白熊」は、かき氷の一種。削った氷に練乳をかけ、その上にチェリーやレーズン、みかん、パイン、小豆、寒天などをトッピングするのが基本的なスタイルだ。昭和20年代創業の飲食店が発祥とされているが、発売当初は白蜜、赤蜜をかけたシンプルなかき氷だったという。その後改良を重ねて、練乳ミルク風味のシロップをかけたり、色とりどりのフルーツなどを盛りつけたりするようになった。一風変わったネーミングは、トッピングを上から見た時に「白熊」の顔に似ていたからなのだとか。

一般的なかき氷が一杯20円ほどだった時代、「白熊」は50円もする高級品だった。しかし、今では気軽に食べられる夏の風物詩に。チョコレートがかかった「白熊」やプリンを乗せた「白熊」など、様々なアレンジメニューに派生している。

蕨餅(奈良県)
画像提供元 : 株式会社吉方庵

蕨餅(奈良県)

「蕨餅(わらびもち)」は、蕨粉を使った和菓子。蕨粉、水、砂糖などを混ぜた生地を加熱したのち、冷し固めてつくる。奈良県では「蕨餅」が名物となっており、春から夏にかけてよく食べられている。その歴史は長く、東大寺大仏殿の参拝者が1709年に残した参詣記には「八幡前には蕨餅の茶屋あまたたてにけり」との記載があるほどだ。

なぜ、「蕨餅」が奈良県の名物になったのか。奈良市春日野町地区には、次のような言い伝えが残っている。昔々、若草山山頂にある鶯塚古墳から出る妖怪を、山を焼くことで追い払えると信じられていた。迷信を恐れた人々による放火が後を絶たず、その危険は東大寺境内や近隣の寺院にも及んだ。

「放火禁止」の立て札も効果がなかったため、とうとう、東大寺・興福寺・奈良奉行所が結託。三者立ち合いのもと山を焼くようになり、放火を防ぐようになった。やがて、山焼きの跡地にはワラビが生えはじめ、蕨粉の産地に発展。これを原料にした「蕨餅」がつくられるようになった。現在、この山焼きは「若草山焼き」として早春の伝統行事になっている。

宇治金時(京都府)
出典 : うちの郷土料理

宇治金時(京都府)

「宇治金時」とは、宇治抹茶のシロップをかけたかき氷のこと。ポピュラーなフレーバーで、小倉あんや白玉などをトッピングするのが定番である。

宇治抹茶の原料となる「宇治茶」は、日本を代表する高級茶。1191年、栄西禅師が宗から茶の種子を持ち帰り、明恵上人が京都市右京区の栂尾(とがのお)の地で栽培をはじめたと伝わる。室町時代に入ると茶の栽培が推奨され、宇治市に茶園が開かれた。そこから喫茶の習慣が花開き、この地で栽培される「宇治茶」は贈答品に用いられる一級品扱いに。

さらに、座敷飾りや茶道具を鑑賞する「茶の湯」が大衆にも波及する。江戸時代中期には、永谷宗圓が独自の手もみ工程を交えた「宇治製法」を確立。それが江戸で評判となり、全国各地に知れ渡った。現在は、宇治市や京都府南部の山城地域などが主な産地となっている。

水まんじゅう(岐阜県)
出典 : うちの郷土料理

水まんじゅう(岐阜県)

15もの一級河川が流れる岐阜県大垣市。「水の都」とも評されるこのまちに夏の訪れを告げる和菓子が「水まんじゅう」である。葛粉と蕨粉でつくった生地であんを包みこんだ、清涼感あふれる一品。おちょこに入れた「水まんじゅう」を地下水で冷やすのが、昔ながらの風習だ。

「水まんじゅう」は、明治時代にはすでに食べられていた。当時の家庭には、地下水を貯めておく「井戸舟」があり、今でいう冷蔵庫がわりになっていた。「この井戸舟を活用した冷たいお菓子を」と、開発されたのが「水まんじゅう」だとされている。

開発当初は、葛粉のみを主原料としていたそうだが、葛粉は水に溶けやすいうえに、水で冷やすとかたくなってしまう。その解決策として蕨粉を混ぜたところ、冷してももっちりとした食感を維持できるようになった。

「水まんじゅう」が大垣市内の菓子店に並ぶのは例年4月から9月にかけて。店頭の水槽に沈められた「水まんじゅう」はひんやりとしており、つるりと喉を滑り落ちていく。

冷蔵庫やエアコンなどがない時代、先人たちは食生活を工夫して「涼」を取り入れてきた。時代は流れ、今では嗜好品として親しまれるようになった冷たい郷土菓子。誕生の背景に思いを馳せると、美味しさもひとしおだ。

Writer : NAOYA NAKAYAMA
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Photographer : SATOSHI TACHIBANA

農林水産省Webサイト「うちの郷土料理」をもとに作成

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/index.html

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