冬の鍋料理 今なお進化を続ける「おでん」
寒い季節の風物詩・おでんの意外なルーツ
寒い季節になると、無性に恋しくなるおでん。熱々のおでん種を口に運ぶと、身も心も芯から暖まる。身近な食材で作れるうえに、調理方法もシンプル。レトルト食品も充実しているので、一年を通して親しまれている。
おでんの起源とされる田楽豆腐は、串焼きにした豆腐に味噌を塗って食べる料理。おでんとは似ても似つかぬ田楽豆腐が、どのような経緯で鍋料理へと発展したのか。辻調理師専門学校日本料理教員の大引伸昭先生はこう話す。
「田楽豆腐が普及したのは室町時代とされています。宮中に使える女房の間では、頭語に『お』を付けた『お田楽』と呼ばれており、それが転じて『おでん』になったのだとか。おでんといえば、今は煮こみスタイルをイメージしますが、その前には田楽を指す時代が、長く続いていたんですね」。
江戸時代になると田楽バリエーションも増えていき、こんにゃくやナス、魚といった具材も使われるようになる。大引先生によると、現在のおでんのスタイルに近づくのは江戸後期からだという。田楽から派生して、串に刺した食材をお湯で煮こむ、湯煮の田楽が登場。はじめは醤油や味噌をつけて食べていたが、のちに醤油味の煮汁を使う煮こみの調理方法が確立される。
「当時の田楽は、屋台や茶屋が提供するファストフードのようなもの。店が効率を重視したため『焼き』から『煮こみ』に派生したのかもしれませんね。結局、煮こみ田楽の方がおでんと呼ばれるようになり、田楽は別物として残り続けます」。
煮こみ田楽改めおでんは江戸っ子たちから人気を集め、明治から大正にかけて各地に伝播。関西に伝わると「関東煮(だき)」の名で発達する。これは、関西では味噌田楽がおでんとして根づいていたため。和歌山県出身の大引先生にとっては、おでんより関東煮が馴染み深い。
「うちの地元では『かんとだき』でしたね。母がよく作ってくれました。現在は関西でもおでんと呼ぶ方が主流なのではないでしょうか」。
おでんを食べるシチュエーションも時代とともに変化してきた。おでんと聞くと“一家団らんの食卓”を連想する人も少なくないだろう。しかし、大引先生は「そのイメージは昭和以降にできあがったもの」と、話す。
「江戸時代は一人一人が個別の膳で食べるのが主流でした。明治時代にちゃぶ台が登場し、大正から昭和にかけて普及すると、状況が変わります。家族で卓を囲んで食事をする機会が増えたんです。その過程でおでんのような鍋料理や大皿料理が食卓に上がるようになったと考えられます」。
郷土の味覚を活かしたご当地おでんの多様性
おでんは各地に広がっていくなかで、独自の進化を遂げていく。例えば、関東地方と関西地方を比べると、出汁文化の違いがおでんのスタイルにも表れていることがわかる。
東京のおでんは、かつお節の出汁をベースに濃口醤油で味つけするのが一般的。対する関西は、昆布出汁が味の決め手になっている。薄口醤油で味を調えるので、つゆに透明感があり、食材の持ち味を生かす味つけになる。
また、東京のおでん種は、はんぺんやつみれといった練りものが人気だが、関西では牛すじやタコ、ひろうす(がんもどき)などが好まれている。
関東・関西の文化圏から離れた中部エリアともなると、おでんもより多彩に。例えば、静岡風おでんは鍋の底が見えないほど汁が真っ黒。食べ方もユニークで、黒はんぺんや豚もつに魚粉をかける。味噌文化が発達した愛知県では、おでん種に味噌をつけたり、味噌煮込み風にして食べたりする。
そのほか、白子の入った北海道風や豚足が入った沖縄風などの変わり種も。味つけから食材に至るまで、地域によって千差万別。もはや“正解”を見出すことも難しい。「この多様性こそ、おでんの面白さ」と、大引先生も思わずうなる。
「すき焼きにも関東風・関西風がありますが、どちらも完成形は似通っています。しかし、おでんは地域ごとの個性が強く、自由で独創的です。土地土地の食文化が投影されるので、郷土料理としての奥深さもあります。かと思えば、トマトのような新しいおでん種も登場する。正解がないからこそ、今なお進化を続けているのでしょう」。
自由度の高いおでんだが、ちょっとした工夫でより美味しく食べられる。大切なのは出汁・食材・火加減だ。
「まずは使いたい出汁を決めましょう。出汁の味わいを基準にして、それに合う食材を選ぶと全体の味がまとまります。練りものはうま味を含み、それが出汁に出るのでおすすめです。その出汁を、染み込ませておいしくなるのが根菜類。練り物の弾力がなくなったり、豆腐が硬くなったりしないよう、弱火でコトコト煮るのがポイントです。慣れてきたら、タイ風おでんや中国風おでんなど、自分なりの切り口を探してみてください」。
逆境をバネに再起を図る、老舗おでん店の矜持
およそ百年間に渡って、伝統の味を守り続けてきたおでん店がある。場所は東京・日本橋、商業地の一角に店を構える「日本橋 お多幸本店」である。1923年に銀座で創業し、2002年、現在の地に移転してきた。
厨房に面したカウンター席に座ると、すぐ目の前におでん鍋が。立ちのぼる湯気を眺めているだけで、食欲にスイッチが入る。おでん種は、20数種類を用意。大根、たまご、焼きちくわ、とうふ、はんぺん……と、目移りするほどの品揃えだ。
「はんぺんは、日本橋の老舗・蒲鉾店『神茂』さんから仕入れています」。そう話すのは、店長を務める依田淳也さん。午前中から食材の仕込みをはじめ、客がひっきりなしに訪れる夜営業に備える。数あるおでん種のなかでも大根が不動の人気を誇るが、魚の練り物を油揚げで包んだ「しのだまき」もファンが多い。
褐色のつゆは関東風で、甘辛な味わいがクセになる。甘すぎても辛すぎても、お多幸本店の味は再現できない。毎日鍋を睨みながら、絶妙なバランスに仕上げるために心を砕く。
「つゆは、何十年も継ぎ足しして使っています。味のベースは、かつお節の出汁、昆布の出汁と醤油、砂糖。そこに様々なおでん種のうま味が溶けて、うちの味になる。味のチェックは自分の舌だけが頼りなので、いつも気が抜けません」
日本橋で名の知れた存在のお多幸本店も、コロナ禍では休業を余儀なくされた。長期間耐え忍んで2022年2月、満を持して営業を再開。依田さんも店の再起に燃えている。
「しばらく提供を止めていた名物の『きゃべつまき』も復活させます。古き良き伝統のスタイルも活かしながら、新しい風も取り入れていきたいです」
田楽豆腐をルーツにもつおでんは、本家とは別物の鍋料理として発展。地域の食文化を丸ごと受けいれる寛容さを見せ、多様に枝分かれした。ご当地おでんの広がりも老舗の可能性もまだ未知数。令和の時代においても、おでんの進化は止まらない。