“旬”の食材を引き立てる「出汁文化」 ―時間と手間をかけて作られる鰹節
その「和食」の味を支えているといっても過言ではない出汁は、料理の香りと旨みに奥行きを与えるとともに、“旬”な食材の味をより一層引き立ててくれる。
日本の出汁の原材料には、主に鰹節や、椎茸、昆布などが使用されているが、いずれも収穫したものをそのまま煮出すだけでは出汁にはならない。乾燥や燻製、熟成など様々な工程をたどり、手間をかけることによって、旨みが凝縮され、出汁を取れる素材となる。
なかでも鰹節は、鰹の頭や内臓を取り、三枚におろし、中骨に沿って背側と腹側に身を切り分ける「生切り」に始まり、旨みを閉じ込める「煮熟」、「骨抜き」や身の成形、燻し乾燥させる「焙乾」、熟成させる「カビ付け」に天日で乾燥させる「日乾」まで、出汁の素材になるまでの工程の多さに驚かされる。
生の鰹を、時間と手間をかけて丁寧に加工していくことによって、初めて出汁の素材、鰹節となるのだ。
「出汁文化」を守り伝える 久右衛門
いくつもの工程を経て、丁寧に作りあげられる鰹節の出汁の魅力に迫るため、明治18年(1885年)に創業、福岡の老舗鰹節専門店 林久右衛門商店(以後、久右衛門)を訪ねた。
久右衛門の鰹節は日本一の鰹節生産量を誇る鹿児島県枕崎市で作られる。この枕崎は、300年以上も前からカツオ漁が盛んな土地であり、水揚げされた鰹を直接仕入れ、新鮮なまま港近くで加工できる。まさに、枕崎は鰹節づくりにとって理想の環境である。
鰹節は、削ると急激に風味や鮮度が損なわれる食材ということもあり、かつては、日本の家庭に置いてあった「鰹節削り器」で、使用する直前に削っていた。だが、削り方法と保存方法が工夫され、削っても風味や鮮度を保つことが可能になると、久右衛門をはじめ多くの鰹節屋が「削り節屋」と名乗るようになる。
久右衛門の削り工程では、職人が素材を見極めながら刃の調整を行い、丁寧に削っていく。削りの現場に訪れると、ちょうど「花かつお」を削っており、華やいだ鰹節の香りが部屋全体に漂っていた。
「最近の家庭では、丁寧に素材から出汁をとることが少なくなってきました。このような時代でも、私たちは、より多くの食卓へ出汁文化を届けるべく工夫を重ねています」と久右衛門五代目店主の林剛一郎さんは話す。その工夫を反映する商品の一つとして「おめでたい」という久右衛門の人気商品がある。鯛のカタチをした最中のなかに、鰹出汁の入った鯛のお吸物が詰め込まれており、お湯をかけるだけで本格的な味わいが楽しめる。時間がない時でも手軽に出汁文化の良さを堪能できる一品だ。このような工夫が生まれるのも「本物の出汁、そして出汁が持つ日本の文化的意義も大切にして、伝えていきたいという想いがあるから」と林さんは語ってくれた。
福岡の料亭「嵯峨野」が魅せる出汁の奥深さ
久右衛門の鰹節はミシュラン3つ星を獲得した福岡の料亭「嵯峨野」でも愛されている。ここ「嵯峨野」で生まれる出汁には、鰹節の最高峰、血合い抜き本枯節の他に、久右衛門が取り扱う羅臼産の昆布が使われている。
「様々な鰹節や昆布を試行錯誤して、最も自分が求める出汁がとれるのが、久右衛門さんの鰹節と昆布でした」と料理長の内木雄一さんは語る。
そして、内木さんは我々に出汁ができるまでを見せてくれた。
水の入った鍋に羅臼産の昆布を浸し火にかける。鍋が温度を上げ昆布の旨みがでたところで、昆布をそっと箸ですくい上げ、美しく削られた本枯節を静かに鍋に散らしていく。
決して煮立つことがない鍋を注意深く見つめること数分、頃合いをみて、晒(さらし)をかけた別の鍋に移し替える。これで出汁の完成だ。ここまでの内木さんの一連の静かな動作は、まるで能を見ているかのように流麗だった。
内木さんの手によって生まれた、透き通った琥珀色の出汁。その美しい出汁を使った品々を賞味させていただいた。料理を口に運ぶと、鰹節と昆布の良い香りがほんのりと鼻腔をくすぐり、主張しすぎない薄味の出汁の上品な味わいが静かに口中に広がっていく。素材の旨みをさりげなく引き出し、料理に幾層にも重なるような深みを与えていた。出汁によって演出される「和食の粋」を感じさせられる品々だった。
水に、素材の旨みと香りだけを移すといったシンプルな調理でできあがる出汁だが、そこに込められた、こだわりと奥深さを考えされられたひとときであった。
家庭から料亭まで、和食を味わうベースとして重宝され、その香りや旨みが素材をより美味しくする「出汁」。食事の場では決して前にでてこないが、味の要であり、その存在は日本の食文化には欠かせないものである。
昔ながらの技術と経験を伝承し、手間ひまかけて作られる久右衛門の鰹節は日本の食文化を支える存在でありつづける。