松本の飴文化を後世に。山屋御飴所の「板あめ」と新たな挑戦
山屋御飴所の看板商品「板あめ」について、おすすめポイントをご紹介しよう。
300年以上前から続く伝統製法
「松本最古」の山屋御飴所では、昔と変わらぬ製法で「板あめ」を手づくりしている。
地のものから生まれる「板あめ」
「板あめ」は安曇野でとれたお米や松本市内を流れる湧水からつくられる。
どこか懐かしいお米由来の甘み
お米由来の甘味料「米飴」を使うことで、白砂糖にはない素朴な甘さが楽しめる。
江戸時代から続く新春の風物詩「松本あめ市」
長野県のほぼ中央に位置する松本市。平安時代には国府が置かれ、中世は信濃守護の拠点になった。江戸時代に入ると松本藩の領地に。新潟県の糸魚川に通じる「千国(ちくに)街道」にはじまり、「善光寺街道」や「野麦街道」などが集まる交通の要衝で、松本城下は交易・交流で大いににぎわった。
そんな松本市の名物行事が新春開催の「松本あめ市」である。市の当日は中心市街地が歩行者天国になり、「全国あめ博覧会・即売会」や物産市といった多彩な催しが開かれる。400年以上の歴史があるとされ、もともとは「あめ市」ではなく「初市」だったとも「塩市」だったとも伝わる。
江戸の町人が1816年に残した日記ではすでに「あめ市」と呼称されており、そのほかの資料からは市で飴が縁起物として売られていたことが読みとれる。
そんな飴の一大産地として知られ、20軒以上の飴屋が集まっていた松本市だが、明治時代をピークに生産量は減少。現在は、老舗3軒を残すのみとなっている。
そのうちの1軒が「松本最古」の山屋御飴所だ。1672年創業、今町通りの脇道にある販売店は、1933年に建築されたもの。スクラッチタイルを施したファサードは建築当時の佇まいをとどめており「松本市近代遺産」にも登録されている。
販売店の屋根には「阿吽のかえる」像が鎮座。太平洋戦争中、山屋が旧松本歩兵第50連隊に携行食用の飴を提供していたことから「兵隊さんが無事に“かえる”ように」などの思いがこめられている。
小気味いい歯ごたえがくせになる「板あめ」
なぜ、松本市に飴の文化が根づいたのか。山屋の十四代目・太田喜久さんは次のように話す。
「信州の乾燥した気候が飴づくりに適していたからだと聞いています。市内を流れる湧き水や安曇野でとれるお米など、地の利を活かして質のいい材料も調達できる」
太田さんが語るように、松本の飴には「米飴」が使われる。米飴とは、蒸したもち米をお粥状にして麦芽を混ぜ、適度な温度で一定時間寝かせて糖化、それを絞った液汁を煮詰めて作る昔ながらの甘味料。山屋では仕込みから糖化、絞り、煮詰めて完成する迄に31〜32時間かけて素朴な甘さとコクを引き出している。
その米飴の持ち味を堪能できる一品が「板あめ」である。その名のとおり、板状に薄く伸ばした飴で、大粒のピーナッツが混ぜ込まれている。せんべいのようなパリッとした食感が小気味よく、米飴のほのかな甘みがピーナッツの風味ともベストマッチ。1枚食べると、ついつい2枚目に手が伸びてしまう。
山屋の「板あめ」は、いまでも手づくりを徹底している。販売店近くの工房は、朝の喧騒が響く前からフル稼働。太田さんを含めた4人体制で飴づくりに精を出す。
飴づくりは時間との勝負。1人がどろどろに溶けた米飴をのし台に乗せると、すかさず太田さんが打ち粉がわりのでんぷん粉をまぶして、めん棒で一気に伸ばしていく。
「飴が固まる前に、均一の厚みにしなくてはなりません」と、太田さん。薄さにして1㎜ほど。厚すぎるとあの独特の食感が出せないし、薄すぎると割れてしまう。一連の工程をからだに覚えこませた今でも気を抜くことはできない。
続けざまに太田さんは飴を専用の器具で長方形に裁断。それを残りの2人がトレイに隙間なく並べて……といった具合に黙々と作業をこなしていく。
「板あめ」は単品でも販売するほか、米飴にミルクとバターを練りこんだ「堂々飴」や、米飴を飴玉状にした「白玉飴」と詰め合わせになった「御飴詰合せ」も用意。個性豊かな3種を食べ比べすると、飴づくりの奥深さを味わえる。
松本の飴文化に新たな価値をもたらす
太田さんは、新商品の開発にも積極的だ。例えば、「板あめ」を粒状に砕いた「板あめクラッシュ」はアイスクリームやトーストのトッピング用に考え出された一品で、地元のジェラート店でも使われている。この「板あめクラッシュ」をチョコレートで包んだ「カリっとショコラ」は贈答用としても人気。今はなんと、忍者の携行食「兵糧丸」を復活させるプロジェクトが進んでいるという。
2018年には、江戸時代からライバル関係にあった飴屋3軒が結束。「松本飴プロジェクト」を立ち上げた。「飴のまち 松本」を広く知ってもらうべく、コラボ商品を開発したり、全国各地の飴が楽しめるイベント「松本あめさんぽ」を開催したり。あの手この手で、プロモーションに努めている。
「うちで飴づくりの体験教室もはじめました。松本の飴文化を後世に伝えていくためにも、飴の面白さや奥深さを多くの人に知ってもらいたいです」
次なる目標は、購入者が自宅で使える飴づくり体験キットをつくること。飴文化が残る他の地域とのコラボレーションもやってみたいなど、伝統を託された太田さんのアイデアはまだまだ尽きない。