歴史から知る千差万別の味「やきとり」
文献からみるやきとりの起源
「やきとり」の歴史を文献から読み解くと、鳥を焼いた料理が最初に登場するのは鎌倉時代の随筆『徒然草』(成立年不明/一説には1331年)でのこと。ここでは雉(きじ)を焼いた料理について記されている。
「やきとり」という表記についていえば、江戸時代の日本最古の料理本『料理物語』(1643年)にみられるが、「串焼き」という表記が別にあるため、この時代の「やきとり」は串に刺さっておらず、単純に鳥を焼いた料理だった可能性が高い。
串に刺して焼く鶏料理として、初めて文献に登場するのは、様々な卵料理が紹介された『万宝料理秘密箱』(1785年)の中の、「長崎鳥田楽」という料理だ。
串に刺して焼いたやきとりが一般に普及するのは明治維新後のこと。古来より日本では肉食に対する穢れの意識があり、明治維新後の文明開化で牛肉食が“ハイカラ”とされても、抵抗がある人も多かった。
そうした障壁を超えたのは、貧しさからの飢えだった。屠殺場から捨てられる内臓肉をもらって来て、臭みをごまかして食べるのはあまりお金がかからず、当時としては栄養のつく食事だった。
また、関東より東の地域では「やきとん」「もつ焼き」などの豚の臓物料理もやきとりと称されよく食べられていた。関東ではトンカツを中心に豚肉が良く食べられており、廃棄される豚の贓物が、安く手に入ったからだ。串に刺してタレをつけてしまえば見た目にはわからないこともあり、やきとんもやきとりと呼ばれるようになったといわれている。
大衆料理として広がる「やきとり」
やきとりが大衆料理として広まったのは、1923年関東大震災の後からだという。焼け野原で生きていくために臓物などの安価な食材が重宝された。
また、終戦後のヤミ市でも肉と焼き台さえあれば営業できるため、やきとり屋は数多く生まれた。
その親しみやすい味が庶民に愛され、ヤミ市が形成された新橋、有楽町、新宿、渋谷などには今でも多くのやきとり屋が残る。
1960年代には「ブロイラー(食肉専用の鶏)」が登場し、食用の鳥と言えば鶏を指すようになった。大量生産可能なブロイラーの登場は、やきとりを飛躍的に普及させた。さらに比内地鶏、名古屋コーチン、さつま地鶏などの一定の条件を満たした「地鶏」と、美味しさを求めて飼料などを工夫しこだわって育てられた鶏である「銘柄鶏」の出現によって、鶏のブランド化も進んだ。
こうして、日本のやきとり文化は、多様な広がりをしていった。
土地土地に根差す全国各地のやきとり
やきとりは各地で独自の食文化を形成してきた。全国の特徴的なやきとりを見てみよう。
鶏一羽丸ごと味わう、贓物の塩焼きが起源のやきとり ―北海道美唄市(びばいし)
代表的な食材:モモ肉、レバー、ハツ、砂肝、内卵、皮、タマネギ
鶏のモモ肉、内臓、内卵、皮、といった様々な部位と、特産のタマネギをひとつの串に刺し、塩・コショウで焼き上げる。串元には皮を使い、最後にはモモ肉を刺すのが一般的。皮は串の動きを留めやすく、鶏の旨みが一番感じられるモモ肉を最初に味わってほしい、そんな心づかいが込められている。
発祥は昭和30年(1955年)頃。当時やきとり店で廃棄していたモモ肉、ムネ肉以外の内臓や皮を何かに使えないかと思った三船福太郎が内臓を使った「モツ串」を売り出した。
美唄市では、明治の開拓時代に国からつがいの鶏が支給されていたという。各家庭では鶏を大切に育て、特別な日には余すところなく食べていた。そんな鶏を大事に食べる文化が定着している土地ならではのやきとりだ。
養豚の歴史と地域の食材・風土が結びついた豚肉の「やきとり」 ―北海道室蘭市
代表的な食材:豚の肩ロース肉、タマネギ、洋辛子
豚肩ロースと串切りにしたタマネギを交互に刺し、甘辛いたれを絡め、洋辛子をつけて食べる。
昭和10年代、日中戦争が起こると食料増産や軍靴の皮の材料とするために全国で養豚が奨励された。室蘭市では、豚の残った部位は市内で消費して良いこととし、地元の屋台で豚肉が多く取り扱われるようになった。その流れがあり、いまの豚の肩ロース肉とタマネギ、洋辛子という組み合わせが定着した。北海道の特産品であるタマネギの方が長ネギより安価で、また冬は雪に閉ざされるため長期保存できること、豚肉との相性が良いことなども一因となっている。
今も残る、味噌をつける豚肉の「やきとり」 ―埼玉県東松山市
代表的な食材:豚のカシラ肉、長ネギ、辛味噌
東松山市のやきとりで使用する肉は鶏ではなく豚のカシラ肉だ。カシラとは豚のほほとこめかみの部分をさす。
埼玉県では古くから豚が飼育されており、戦後まもなく豚肉を使ったやきとりが誕生した。昭和30年代、あまり食肉としては使われなかったカシラ肉は近くの食肉センターから安価で新鮮なものが手に入った。この肉を焼いて出したのが始まりとされる。カシラ肉は鮮度が大事。よくしまった筋肉で独特の歯ごたえと旨みがある。味噌だれはそれぞれの店独自の味で、唐辛子を効かせた辛味噌が主流。地元では味噌をやきとりにのせて食べる。
古来の食の流れを汲む野鳥のやきとり ―京都府京都市
代表的な食材:雀(すずめ)、うずら
『続日本紀』(797年)には雉、鴨、鶏は肉を食べるものと紹介されている。現在でも、京都府京都市伏見稲荷大社の参道では野鳥のやきとりが食べられている。
ここで食べられるのは雀、うずらを丸のまま串に刺し、山椒を振って食べるやきとりだ。雀を食べるようになったのは、五穀豊穣を司る神を祀る伏見稲荷大社における穀物を食い荒らす雀退治を起源とする説、神様や神棚に供えられ、そのおさがりを食したとする説など諸説ある。
串に刺さない鉄板焼きのやきとり ―愛媛県今治市
代表的な食材:鶏の皮
今治のやきとりは、鉄板に鶏の皮を並べ、さらにプレスと呼ばれる持ち手つきの鉄板で上から押さえて焼く。
炭焼きや直焼きより提供時間が短く、安くて美味しい今治やきとりは、発祥の店「五味鳥」に倣った店が誕生し、鉄板焼きスタイルが地域の料理として発展し広がっていった。
今治やきとりといえばこの「皮」の他にもうひとつ、「せんざんき」が欠かせない。せんざんきは今治地方で食べられる鶏の唐揚げ。「皮に始まり、せんざんきで終わる」という作法も存在するほど親しまれている。
馬肉文化の歴史と創作やきとりブームが生み出す多様なやきとり ―福岡県久留米市
代表的な食材:鶏、豚、牛、馬の肉、内臓、野菜など
創作巻物が多く、鶏、豚、牛、馬の肉、臓物のほか、野菜も串を刺せばやきとりになる。かつて軍事施設があった久留米市では、軍馬が飼育されており、福岡と熊本との物資輸送の中継点として発展した経緯から、馬肉食文化が形成されている。店に入るとまず酢ダレのかかったキャベツが出され、注文の際には「ダルム」「ハルツ」など聞きなれない単語が飛び交う。久留米やきとりにこうしたドイツ語に由来する名前がついているのは、九州医学専門学校(現・久留米大学)の医学生がやきとりをドイツ語で注文したからと言われている。
近年は、久留米市内の「焼とり 鉄砲」が「アスパラガスの肉巻」を日本で初めて手がけ、市内各店で創作やきとりブームが起きた。
また、ほかにも山口県長門市のガーリックパウダーをつけるやきとりや、長野県上田市のにんにく醤油だれをつけて食べるやきとりなど、地域ごとにその歴史や特色がある。
日本全国で食されるやきとり。地域によって材料や調理方法は様々で、屋台や飲食店、家庭の食卓など、幅広い場所で食され続けている。やきとりは多くの人に愛される、「日本を代表する料理」の一つになっている。