潜伏キリシタンの里で密かに育まれた、幻の柑橘「ゆうこう」

何百年もの時を超え発掘された、新種の果実

皮は淡い黄色、手のひらサイズで真ん丸な形をした「ゆうこう」。「柚子に近い品種で、山の中で自生するうちに突然変異で生まれたんじゃないかと言われています」と話すのは、長崎市木場町の仁田集落でみかん農家を営む中尾順光さんだ。
佐賀藩の領地だった土井首(どいのくび)地区と外海(そとめ)地区、五島列島の一部などでわずか100本ほどの「ゆうこう」の原木が自生していた。江戸時代後半には同じ地域の民家の庭に植えられていた可能性があるが、はっきりとしたルーツは謎に包まれている。

「ゆうこう」が新種の果実であることがわかったのは2001年。市の職員が地域の調査をしている時に、たまたま道端で貰った柑橘を食べたところ、その独特の味わいに驚き、専門家に調査を依頼したことで判明した。中尾さんは「ゆうこう」の存在を知ってから独自に研究を進め、長崎県の特産品として「ゆうこう」を守り広めるべく、2007年に長崎市ゆうこう振興会を結成。自ら会長を務め、栽培に協力してくれる農家を集めて苗木を配る一方で、飲料や食品などの加工品開発、PRにも取り組んでいる。
潜伏キリシタンを支えていたかもしれない「ゆうこう」
江戸時代に日本が鎖国をしていた期間も、唯一の海外貿易港として開いていた長崎。海外から新しいものが入ってきては広がっていく土地柄にもかかわらず、何故「ゆうこう」は広がらなかったのか。多くの専門家は、潜伏キリシタンと関連があったのではないかと推測する。

「ゆうこうの原木があった土井首や外海といった地域は、禁教時代に弾圧から逃れようとした潜伏キリシタンが多く住んでいた場所です。彼らは居場所を隠すために火をおこすこともできず、生き延びるために果実や木の実、魚や貝を生のまま食べていました。山の中で自生していたゆうこうは、そんな彼らの食生活を支えていたんじゃないかと言われています」と中尾さん。「ゆうこう」には殺菌や抗菌作用のあるフラボノイドという成分が豊富に含まれており、食用以外にも風邪薬や化粧水としても使われていた可能性もあるそうだ。

「ゆうこうと潜伏キリシタンの話をすると涙する人もいるんですよ」。禁教令が続いた250年もの間、自らの信仰を貫いた潜伏キリシタン。2018年には長崎と熊本・天草の潜伏キリシタン関連遺産が、ユネスコ世界遺産にも登録されている。「ゆうこう」と潜伏キリシタンの関連はあくまでも仮説に過ぎないが、長崎の歴史に思いを馳せるきっかけになるのではないだろうか。
芳醇な香りと上品な酸味。山育ちの強い果実
土井首地区、外海地区に加え、現在は東長崎地区、茂木地区でも栽培されている「ゆうこう」。山の中で自生していた品種なので病気や冬の寒さにも強く、中尾さんの畑でも元気に黄色い実をつけていた。通常は12月中に収穫するが、見学に来る人のために1月以降もいくつか実を残しているそうだ。

中尾さんが木からもぎった「ゆうこう」を切ると、果肉はみずみずしく、種の多さは柚子に似ていた。皮には甘さと酸味の混ざった芳醇な香りがあり、果汁は穏やかな酸味。レモンよりも甘味があり上品な印象だ。聞けば糖度は10度以上あるそう。肉料理や魚にぎゅっと絞って食べると香りも良く、脂がさっぱりすると中尾さんは話す。

地元では「ゆうこう」を使ったカクテルをバーで楽しめたり、料理やお菓子をつくる店も増え広がりを見せているそうだ。また、国内の大手メーカーが缶チューハイを開発したり、スコットランドでは「ゆうこう」を使ったクラフトジンをつくる人も登場。中尾さんの果樹園の近くにある福祉施設では「ゆうこう」の果汁を絞って卸しており、地域の雇用創出にも繋がっている。

「ゆうこうはこれからもっと人気が出ると思います。おいしく発信してくれる専門家を増やすのと同時に、熱心な生産者も集めて、さらに広めていきたいです」と、中尾さん。長崎だけにしかない未知の柑橘。地域の魅力を伝える恵みとして、これからも力強く育っていってほしい。
長崎市のゆうこう
情報提供:長崎市ゆうこう振興会会長 中尾順光さん
“旬”の時期
12月下旬から1月中旬
目利きポイント
皮は淡く明るい黄色をしており、張りがあってキメが細かいものを選ぶと良い。形はきれいな真ん丸で、持った時に重量感があるものは果汁が豊富。
美味しい食べ方
レモンのように肉料理や魚料理に絞って食べる。皮は香りが良いので果肉といっしょにマーマレードやドリンクに使ってもおいしい。