先人たちの知恵を現代に受け継ぐ「南高梅」

和歌山県日高郡みなべ町
(取材月: June 2022)
梅の収穫量・全国一位を誇る和歌山県。生産の大部分を担うみなべ町では、江戸時代から梅栽培が営まれてきた。戦後は、最高級品種「南高梅」の産地として有名に。2015年には、地域独自の生産サイクル「梅システム」が世界農業遺産に選ばれた。その軌跡を辿るべく、みなべ町を代表する梅農家のもとを訪ねた。

400年前に始まった、みなべ町の梅栽培

南高梅の実

日本人の食卓に欠かせない果実「梅」。加工品が充実しており、定番の梅干しをはじめ梅酢や梅シロップ、ねり梅……と、じつに多彩だ。あの特有の酸っぱさはクエン酸によるもので、疲労回復や食欲増進効果があるとされている。その効能は古くから知られており、長期保存できる梅干しは旅の携行食としても重宝された。平安時代に編まれた医学書「医心方」には「梅干しは三毒を断つ」との記述もある。

国内において、梅の生産量日本一を誇るまちがある。和歌山県のほぼ中央、紀伊半島西南に位置するみなべ町である。2020年の収穫量18,600トンは、全国シェアのおよそ2割を占めている。梅に携わる就業人口は8割を越え、役場には全国的に見ても珍しい「うめ課」が置かれている。例年2月に見ごろを迎える「南部梅林」は、地域屈指の観光名所で「一目百万、香り十里」とも称される。

南高梅栽培

みなべ町で梅の生産が始まったのは江戸時代から。一帯はもともと平野部が少なく、土壌も養分が乏しい礫質(れきしつ)で農業には不向きだった。時の藩主・安藤帯刀はこの窮状を打開するために、地域に自生していた「やぶ梅」に着目。この生命力の強い梅をやせ地や山の斜面で栽培するよう奨励した。

この土地ならではの気候風土も梅栽培にうってつけだった。瓜渓石(うりだにいし)を含んだ土壌は、梅の成長に必要なカルシウムが豊富。また、まちの南西に望む海域「紀伊水道」に黒潮が流れこむ影響から、一年を通じて梅が好む温暖な気候が保たれる。

藩主は、梅を栽培している農地を免税し、普及をさらに後押し。やがて、江戸で梅干しの人気が高まると、みなべからも樽詰めにされた梅が出荷されるようになった。

明治時代に入ると、地元農家の内本幸右ヱ門と内中為七が晩稲(おしね)地区に「内本梅(うちもとうめ)」の畑を開墾。これがみなべ町における梅畑経営の走りだと伝わる。のちに、為七の長男・源蔵が地区内に梅の加工場を建設し、事業化を推し進めた。

梅栽培が地場産業になっているみなべ町やその隣町の田辺市では、昔から梅を中心にした循環型の農業システムが受け継がれてきた。その名も「みなべ・田辺の梅システム」。

梅を栽培している斜面の周辺に、ウバメガシやカシなどの薪炭林を残して崩落を防止。炭焼き職人が薪炭林を管理・整備することで里山が保全されるほか、択伐された木材は備長炭の原料に利用される。

梅林や薪炭林によって土壌の保水力も保たれるため、河川に流れこむ雨水の量も安定する。
洪水を防ぐほか、浄化された水が山間のため池や里地の水田に流れこむ。さらに、薪炭林に住み着くミツバチが梅の受粉を手助けし、梅は花の蜜を提供する。

自然界のサイクルを上手く利用した「みなべ・田辺の梅システム」は、2015年、世界農業遺産に認定されている。

産官学の叡智を集めて選定された最優良品種「南高梅」

南高梅の実

みなべ町は、最高級品種ともいわれる「南高梅」の発祥地としても知られる。南高梅はほかの品種よりも大粒で、4Lサイズだと直径5cmほどになる。果肉が厚く、香りもフルーティー。爽やかな酸味の青梅は梅酒や梅シロップ、甘露煮などに。実が柔らかい完熟梅は梅干しや梅ジャムに適している。

南高梅が誕生したのは1950年のこと。それ以前、みなべ町では114種もの品種が栽培されており、品質も安定していなかった。そこで、当時の農業協同組合は市場の安定を目的に、優れた固有種の選別に着手。南部高校園芸部の竹中勝太郎教諭を委員長に迎え、産官学の叡智を集めた「優良母樹調査選定協会」を設立した。

選定協会は、37品種の優良種を絞りこみ、5年がかりで調査を実施。調査2年目は14品種、3年目は10品種といった具合に、選定は慎重に進められた。最終的に最優良品種と認められたのは、高田貞楠が明治時代に発見した「高田梅」。1965年、この品種は調査に尽力した南部高校に敬意を評して「南高梅」と命名された。

梅農家たちに受け継がれる先人たちのチャレンジ精神

山本康雄さん

「やぶ梅、内本梅、高田梅、南高梅……と、それぞれの品種に歴史があります。先人たちの挑戦や苦労が、今のみなべの梅栽培に通じている。周囲から冷ややかな目で見られることもあったでしょう。それでも、地域の将来のために意志を貫いた」。

南高梅の木

そう話すのは、みなべ町の晩稲地区で山本農園を営む山本康雄さん。親子二代の梅農家で、2021年の春まで紀州みなべ梅干生産者協議会の会長も務めていた。

農園を訪れたのは、近畿地方が梅雨明けしたばかりの6月下旬。厳しい暑さのなか、山本さんが完熟梅の収穫にいそしんでいた。丹精込めて育てた南高梅は、紅色と黄色のグラデーションカラー。枝もたわむほどにたくさんの実をつけ、あたり一面に甘酸っぱい香りを放っていた。

地面に落ちた南高梅

「稲穂だけじゃなくて、梅も実るほどに頭(こうべ)を垂れるんだよ」。山本さんが得意の冗談をはさみながら、地面に落ちた梅をタモでヒョイと掬い上げる。手摘みする青梅とは異なり、完熟梅は自然に落下したものを収穫する。地面にネットを敷きつめているのは、実が落下した際に表面を傷つけないためだ。

コンテナに入れた南高梅

梅が落ちているポイントを目指して、斜面を上がったり下ったり――。ほんの10数分ほどの作業で、20キロ入る収穫用コンテナが満杯になる。梅の加工は鮮度が命。軽トラの荷台がコンテナで埋め尽くされたら、その日のうちに近くの加工場へ運びこまれる。これを一日に何度も繰り返す。

軽トラ

収穫は、5月下旬から7月上旬かけて続くが、完熟梅を収穫できるのは後半の数週間しかない。豊作の年は、早朝4時から夜の23時までフル稼働した日もあったという。

収穫後の梅は、選別、洗浄、階級分けされ、粗塩に20日から25日間漬けこまれる。その後、数日間天日干しにしたら、塩分濃度の高い「白干し梅」が完成。この段階を「一次加工」といい、加工業者によって脱塩・調味された「調味梅干し」を「二次加工」という。みのべ町では、7月下旬から10月下旬にかけて「一次加工」を行う梅農家が多いという。

畑で話す山本さん

そのほか、立春と立秋に行われる施肥作業や冬の土づくり・剪定作業など、農家は一年を通じて梅と向き合う。露地栽培が基本だから、天候不良や害虫に悩まされることも少なくない。この道30年の山本さんでも「本当に満足の行く年は、10年に一度あるかないか」だという。

「土づくり、気候、梅雨入りのタイミングなど、必要とされる条件がバッチリ揃う年があります。まさに『いい塩梅』というやつ。こうした年にできる梅は見事な球体で、思わず見惚れてしまいますよ」

南高梅の木

紀州みなべ梅干生産者協議会は生産のみならず、みなべ町の梅栽培や南高梅のPRにも積極的。地元の小中学校に給食向けの梅干しを提供したり、梅干し付きのグッズをカプセルマシーンで販売したり。2021年6月に企画された「梅収穫ワーケーション」では、県外から訪れた経営者やテレワーカーとともに収穫を行った。

梅栽培を切り拓いた先人たちのチャレンジ精神は、現代においても地域の梅農家たちに脈々と受け継がれている。

Writer : NAOYA NAKAYAMA
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Photographer : SHIOMI KITAURA

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