りんごの郷の未来を照らす、もりやま園の“摘果果”シードル
そうしたりんご栽培の歴史が深く息づく地で、これまでのりんご農家の在り方に危機感を抱き、次々と革新的なアイデアで常識を覆すりんご園がある。弘前で100年以上続く「もりやま園」だ。
りんご農家の根本的な課題に向き合う挑戦者
岩木山や白神山地など、険しい山々に囲まれた弘前一帯は、秋から冬にかけて急激に冷え込むなど季節のメリハリが強く、昼夜の寒暖差も大きいことからりんご栽培には適した気候条件を持つ。
収穫期の9月〜11月にかけて、岩木山を背景に辺り一面たわわに実る赤い果実の斑点模様は、りんごの郷を象徴する圧巻の風景である。
このりんごの郷で100年以上続くりんご園「もりやま園」。4代目の森山聡彦さんは、10ヘクタールの農園を管理し、先代らの慣習を踏襲しながらりんご栽培に取り組んできたが、次第にりんご農家の根本的な構造に疑問を抱くようになった。
「昔はこのりんご1個1個が農家の手を離れるまで10回も人の手が触れていました。省力化した今でも5回は触れています。リンゴ農家というのは少しでも高く売れるなら、手間暇惜しまないんです。父の代まで『家族は手伝って当たり前』という風習で、無償の労働力という扱いでした。生産効率がとにかく悪いんですね。しかも自然災害のリスクも高すぎる。リターンがリスクに見合うならまだしも、リターンが少な過ぎです。りんごの名産地とはいえ、現実的には地元りんご農家の数は年々減ってきています。子供に継がせようと思えない気持ちは痛いほど理解できます」。
りんご栽培は、9月〜11月に迎える収穫と出荷のタイミングを除けば、1年を通じて、ほとんどの労力が枝の剪定や果実を間引く摘果など、いわば “捨てる作業” に充てられる。当たり前だが、その労力をお金として回収できるのは、出荷期間だけ。しかも台風やひょうなどの自然災害が発生し、果実が少しでも傷付いたり汚れたりすれば、その商品価値は恐ろしいほど下落する。贈答用でなくても、生食用のりんごは、味だけでなくその見た目も同程度に評価されるからだ。
なかでも、森山さんが強い問題意識を抱いてきたのが、摘果作業。
摘果作業とは、6月〜8月頃にかけて、りんごの実が、まだゴルフボール程度のサイズのうちに、状態の良い実だけを残すように、その他の実を次々とむしり取る作業。一つの樹木からの養分の奪い合いを避け、大振りのりんごを育てるためには欠かせない工程ではあるが、なんと、この摘果されるりんごは全体の約9割にも及ぶという。摘果されたりんごは、そのまま地面に落としておくか、廃棄する以外に方法がなかったそうだ。
「摘果して捨てるりんごの量もさることながら、摘果にかける労働時間が膨大でもったいないと常々感じていました。計算すると、年間で約3000時間もの作業を摘果に充てていることが分かったんです。それは年間労働時間のほぼ3割。この膨大な手間を何とか有効活用できないものかと、毎日毎晩のように考えていました」。
そんな森山さんが、試行錯誤を続けて辿り着いたのが、摘果果(摘果されたりんご)を使ってつくるシードルだ。
国内では、シードルは成熟した生食用りんごを用いて製造されるのが一般的であり、まだ熟していない摘果果を使ったシードルづくりは困難を極める試みであった。しかし、森山さんは5年もの歳月をかけて、遂に摘果果のシードル「テキカカシードル」の商品化に成功した。
「品名の“テキカカ“とは、摘果作業で捨てられる未熟果のことです。この未熟果には、成熟果の約10倍のポリフェノールが含まれています。よく誤解されますが、『テキカカシードル』で使用する摘果果は摘果して地面に落とされた実を回収して作っている訳ではありません。地面に落とさず収穫して加工しています」。
前代未聞!摘果果でつくるシードルの商品化に成功。
シードルは、りんごの搾汁に酵母を加えてつくる微発泡のりんご酒。日本では、ビールやシャンパンに代わる食前酒として一部の愛好家からジワジワと注目を集めている。アメリカやヨーロッパでは、既にクラフトビールなどに次ぐ安定した人気を誇り、多くの銘柄、多くのファンが存在している。
「もう20年前ですが、カナダに長期滞在していた経験があって、そこでよく妻と一緒にシードルを飲んでいたんですよ。特に妻が気に入って、りんご農家なんだからシードルを作って販売しようとずっと言っていたんです。それで、私は摘果したりんごを活用できるんじゃないかなと」。
テキカカシードルに使う摘果果の収穫時期は7月の1ヶ月間。通常のりんごの収穫時期よりも1ヶ月以上収穫時期が早まるため、普通の栽培方法のままでは農薬の安全が確保されない。そこで、森山さんは、2013年から摘果作業で間引かれる摘果りんごを、ちゃんと安全な農産物として収穫可能にする栽培管理手法を新たに生み出す格闘が始まった。
1年目は無農薬栽培から始め、病害虫の問題が周囲にも及んだため、無農薬は難しいと判断した。2年目からは農薬の使用回数を地域基準の50%以下に削減した特別栽培に切り替え、認証を取った。特別栽培の認証を取ったのは、外部の人間にトレーサビリティを公開して安全性に客観性を持たせるためだ。
また、農薬だけに頼らない昆虫フェロモンの交信攪乱技術をフルに活用し、天敵昆虫を保護し、実害の出ない病害虫は自然に任せるなどの試行錯誤を繰り返し、5年目でようやく摘果果の収量が安定するようになった。
そして、シードルの試作は2015年から地方独立行政法人青森県産業技術センター弘前工業研究所に摘果の果汁を持ち込んで、様々な酵母と組み合わせてシードルの試作に取り組むことになる。
とはいえ、それはかつて誰も思いも寄らなかった挑戦。未熟な摘果果では酸味が強くなりすぎたり、理想の味を引き出す最適な酵母が中々見つからなかったりと、発売の半年前まで暗中模索の日々が続いたそうだ。
「最初の試作品は2014年に弘前シードル研究会でつくったものでした。衝撃的に不味かったです。成熟果の試作品も平等に。これが本当にいい商品になるのかな?と思ったなかでも摘果で作ったのが一番無難な感じはしていたんです。このままいくと摘果果のシードルが一番いいんじゃないか?と感じていました」。
森山さんには、そんな状況でも諦めなければ必ず道は拓けると信じる根拠があった。それは2013年10月のシードルの本場、フランスのノルマンディー地方への視察であった。
現地のシードルで使われていたのが、ゴルフボールサイズの渋くて苦くて酸っぱいりんご。生食用ではなくシードル用に栽培された品種であった。フランスのシードルは紅茶のように渋味が効いていて、含むと舌が乾く感じがする。甘さが抑えられたドライかつ深みのある味わいで絵画のように美しい情景が広がる。日本で飲まれている、甘さが前面にたった食前酒としてのシードルとは別物だったのだ。
「驚きましたね。自分がつくりたいシードルの味はこれだと思ったと同時に、渋くて酸っぱい、摘果したりんごこそ、実はシードルづくりに一番適しているのではないかと、その時に確信したんです」。
廃棄していた摘果果を有効活用してシードルをつくることだけが目的ではなく、美味しいシードルをつくるために、摘果果を使う。自らの進むべき道に迷いがなくなった森山さんは、急ピッチで試作を重ね、弘前シードル研究会で知り合った青山富士子さんの協力もあってシードルに最適な酵母とも巡り合い、ようやく理想の味に近いシードルを完成させた。
その後、商品化を実現するため、摘果時期のりんごに農薬が散布されないように年間の栽培スケジュールを調整。多額の投資を惜しまず、りんご畑の傍らにシードル醸造工場も整備。2017年から「テキカカシードル」として、日本で初めて、摘果果を使ったシードルの販売を開始した。
評判はジワジワと広がり、シードル愛好家が選ぶ「ジャパン・シードル・アワード」のテイスティング部門で2つ星を獲得。当初は瓶詰めだけの販売であったが多くのリクエストを受けて飲食店向けの樽詰めでの出荷もスタート。
ゆっくりとではあるが、森山さんの積年の努力が、着実に実を結ぼうとしている。
効率化と収益化で農業を成長産業へ
森山さんは、摘果したりんごを有効活用したシードルづくりの他にも、ITを駆使して従来のりんご農家の生産性を改善する取り組みも実践している。
果樹栽培に特化したアプリケーションを開発し、りんごの果樹1本1本にQRコードが記載されたタグを取り付け、個体情報はもちろん、剪定や摘果、袋掛けなどの作業プロセスや作業時間、農薬の散布状況などをすべてスマートフォンを使い記録。栽培状況を可視化し、スタッフ全員が共有できることで、作業の大幅な効率化が見込めるのだ。
森山さんは自身で開発したそのアプリを一般にも販売する予定だ(2019年4月予定)。りんご農家に限らず、その他の果樹栽培に従事する生産者らにも活用して欲しいと考えている。
「地元のりんご農家の数が減っていることももちろん、日本の一次産業からどんどん人が離れて行っている状況を何とか変えたいという思いが根っこにはあります。“農家は儲からないから都市部に出る”ではなくて、僕はものづくりに真摯に向き合う人が報われる仕組みを構築したい。農業ってまだまだ伸びしろがあって、面白い分野なんだって思ってもらいたいんですよ」。
りんご栽培に革新をもたらし、一次産業を成長産業に転換させる。日本のりんご栽培発祥の地で、これからのりんご栽培の未来を支える萌芽は力強く育ち始めている。