十勝のチーズ工房がつくる こだわりのラクレット
ラクレットの生産を牽引するのが北海道の十勝地方だ。広大な平野に、湿度が低く寒暖差のある気候は、チーズづくりが盛んなヨーロッパ地方に近い環境。こうした恵まれた環境を背景に、十勝のチーズづくりはいまも進化を続けている。
有志が生んだ、十勝だけのラクレット
いま、十勝地方のチーズづくりに新たな動きが起きようとしている。そのきっかけになったのが、2015年に発足された「十勝品質事業協同組合」だ。「十勝産のチーズを世界ブランドへ」を標榜する組合は十勝地方にある複数のチーズ工房と連携して、ラクレットの統一ブランド「十勝ラクレットモールウォッシュ」を開発した。
各チーズ工房から集められた熟成前のチーズは、共同チーズ熟成庫で一元管理。熟成中のチーズは、十勝の地下深くに湧き出る温泉水「モール泉」で磨かれ、従来よりも香り高くまろやかな味に仕上がるという。ブランド名に冠する「モールウォッシュ」も、この独自製法に由来したものだ。
「共同熟成庫の運営をはじめたのは、フランスの酪農家たちの生産体制をヒントにしました。十勝には約40軒のチーズ工房があります。ほとんどが小規模な工房のため、それぞれの生産量もそれほど多くありません。しかし、ブランドや設備を共有すれば安定供給が可能になり、リスクも軽減できることになります」。
そう話すのは、組合事務局長の下里洋司さん。ブランド設立を手がけた功労者のひとりだ。下里さんは十勝産チーズの販路拡大、プロモーションのために各地を奔走する。
現在、熟成庫は6軒のチーズ工房が利用している。ブランドで統一した製造レシピはあっても、製造者が異なればチーズの仕上がりにも微妙な差が生まれる。組合ではこれを工房それぞれの個性と捉え、ブランドの売りにした。
「ブランドが指標にしている味はありますが、工房によって香りが豊かだったり、あっさりした風味になる。各工房の特性を把握して、その味に適した場所、消費者に届けるのが組合の仕事です。『十勝ラクレットモールウォッシュ』を足がかりに北海道内外に向けて、十勝の味を発信できればいいですね」。
十勝産チーズの立役者、共働学舎新得農場
個性豊かな味、香りで消費者の舌を楽しませる、「十勝ラクレットモールウォッシュ」。特に「濃厚な味わいで、チーズ通をうならせる出来ばえ」と評される工房が新得町にある「共働学舎新得農場」だ。
共働学舎新得農場がチーズをつくり始めたのは、1983年のこと。共働学舎新得農場は開設当初より、社会福祉活動として心身に障がいのある人や社会生活が困難な人をスタッフに迎え入れている。しかし、作業員が増えるにつれ次第に農場は経営難に。当時は牛乳の販売が中心だったが、それに替わる新事業確立を余儀なくされた。そこで、注目したのがチーズづくり。当時の状況を代表を務める宮嶋望さんに伺った。
「うちは心身にハンディのある人も働いているから、従来の機械化や効率化が難しい。低温殺菌の瓶詰め牛乳とかアイスクリーム、ヨーグルトなどは流行りすたりが著しく、作業員も翻弄されてしまうでしょう。だから、作業がゆっくりな人でも製造できるチーズが最適だと考えたんです」。
ハンディのある人が数年かけて一人前になっても、流行が過ぎていては意味がない。いつの時代でも消費者から必要とされるチーズをつくることが、共働学舎新得農場に残された選択肢だったのだ。
チーズづくりの極意「牛乳を運ぶな」
宮嶋さんは、チーズづくりのためにブラウンスイス種の乳牛を6頭導入し、放牧を始めた。ブラウンスイス種の乳はコクと甘みのあるチーズになり、同量の乳からホルスタインよりも2割以上多くのチーズをつくることができるという。
1989年には、フランスチーズ界の大家であるジャン・ユベール氏を招いて、製造の指南をあおいだ。「ここ十勝で、どんなチーズをつくればいい?」という宮嶋さんの問いに、ユベール氏が真っ先に挙げたのがラクレットだった。
「フランスと十勝の気候風土が似ていたからでしょうね。カマンベールチーズよりも比較的簡単につくれるというのも大きかったと思いますよ」。
製造方法におけるユベール氏の教えは「牛乳を運ぶな」だった。果たして、どんなメッセージが込められていたのか。
「『牛乳を運ぶな』には2つの意味があります。まず自分たちの牧場で絞った牛乳だけを使い品質、安全を保つこと。もうひとつはポンプなどの機械を使わずに牛乳を取り扱うこと。機械を通すと牛乳に雑菌が増えて劣化してしまうからです。余計な手を加えず、牛乳そのものを活かすことが大切なんだと教えてくれました」。
ユベール氏の教えを徹底し、搾った牛乳は土地の傾斜による自然流下で、工房に送り込まれる。搾乳室と工房の立地は距離にしておよそ20メートル。汚水やにおいの問題から、両施設は50メートル以上離すのが一般的だが、宮嶋さんは衛生環境を整えることで、その課題をクリアした。
経験と勘が活かされるチーズづくり
ラクレットの工房の室温は高く、熱気につつまれる。前日夕方と当日朝に搾乳された牛乳は、パステライザーという機械で低温殺菌したのち、発酵に必要なスターター(乳酸菌や微生物)によって熟成される。凝乳酵素で牛乳が固まってくると、裁断・撹拌して粒状に。粒の大きさを揃えることで、チーズになったとき味が均一になるのだという。
撹拌や凝固によって出た余分な水分は排出され、やがて牛乳は木綿豆腐のように固くなり「カード」という状態になる。カードは裁断され、それぞれを型枠でしっかり固定して円盤状に成型。型にはめてからも圧縮が繰り返され、水分が排出される。
工程のほとんどが作業員の手作業で進められる。重さ6、7キロもあるカードを反転したり、成型するのは体力勝負。しかし、手作業だからこそ牛乳の質が保たれ、発酵の具合や水の抜け方など細かな部分にまで目を向けられるのだ。
成型されて一晩寝かした若いチーズは、一日塩漬けにされて、それからさらに2日間寝かされる。表面の水分が乾燥したら、石造りの熟成庫へ。約三ヶ月の熟成期間を経て、いよいよ出荷のときを迎える。
世界に認められた共働学舎新得農場
宮嶋さんの意気込みとは裏腹に、ラクレットは世間に受け入れられるまでに長い歳月を要した。転機が訪れたのは、1998年に開催された「第1回オールジャパン・ナチュラルチーズコンテスト」。そこで共働学舎新得農場のラクレットが最優秀賞を受賞したのだ。
「90年代、ラクレットは日本人にとって馴染みのない食べもの。販売から数年間は売上げが振るわなくて、苦しい時期でした。そんなときの受賞だから、“とうとう報われた!”という感じでしたね」。
これまでの苦労は工房の製造体制にも影響を与えているようだ。工房の作業員は、まだ20代前半と思しき若者も目立つ。聞けば、一人につき担当するチーズが決まっており、製造管理も任されるという。
「製造はある程度、作業員の自主性に任せています。失敗してもいいけど、なぜ失敗したのかを自分で考えて、そして改善策を提示してもらう。もちろん、経営上のリスクもあります。けど、ホンモノをつくるってそういうことですよね」。
おいしいチーズをつくるために汗を流し、頭を悩ませ切磋琢磨する。そんな若き作業員の姿に、宮嶋さんはありし日の自分自身を重ね合わせているのかもしれない。
コンテスト受賞で火がついてからは、共働学舎新得農場のラクレットはたちまち知れ渡ることとなり、2010年には「ワールドチャンピオンチーズコンテスト」の「ウォッシュしたセミハード部門」で銀賞受賞。国内外のコンテストで受賞を重ねて、不動の地位を確立していく。
以降、熊笹を巻いたカマンベールタイプの「笹ゆき」や十ヶ月以上熟成されるハードタイプの「シントコ」など、ラクレット以外の製品も次々と展開。塩漬けの桜の花をあしらったクリーミーな「さくら」は、フランスで開催された「第2回山のチーズオリンピック・フランス」で銀メダルを受賞。翌年のスイス大会では金賞を受賞した。とうとう本場からも認められ、世界に共働学舎のチーズを知らしめた。いまではチーズづくりを学びに国内外からの視察者が多く訪れるほど注目されるチーズ工房となった。
土地に根差した品質と価値を追求し、日々進化する十勝のチーズ生産者たち。十勝品質事業協同組合が掲げる「十勝産のチーズを世界ブランドへ」の標榜は、こうした生産者たちによって着実に実現へと向かっている。