先人の知恵とオホーツク海が育てる帆立
冬場、オホーツク海に流れ着く流氷についたプランクトンは海を豊かにし、極寒の海中で帆立はたっぷりと栄養分を蓄える。そのためオホーツク海では身が肉厚で大粒、濃厚な甘みの帆立が育つのだ。近年では海外への輸出量も増え、その美味しさと品質の高さは世界でも評価されている。
地域が繋ぐ「つくり育てる漁業」
帆立漁には大きく分けて二つの方法がある。稚貝を放流して漁獲する”地撒き式”と、稚貝の耳の部分に穴をあけ海中に吊し成長させる”垂下式養殖”だ。
まず、我々は”地撒き式”の漁の現場を見るため、北海道北東部に位置する網走漁港に向かった。
日の出を迎え間もなくして、帆立漁が始まった。帆立の漁期は6月から10月末までの約5ヶ月間。我々が同乗させてもらった漁船の船頭、磯野利夫さんは15歳の時から漁師をしているベテランだ。
「一番忙しいのは7月と8月。水温が上がると身の甘みが増して貝柱も大きくなるから、8月頃に揚がった帆立が一番うまいね」と、磯野さんは教えてくれた。
稚貝放流の帆立は天然に近い状態で成長していくため、身が締まった帆立が育つという。
漁獲ポイントに到着すると、磯野さんが見定めた場所に“八尺”という熊手のような金属がついた網を海に投げ入れる。海底60~70mに“八尺”を沈め、800mほどを走らせたところで引き上げると、大量の帆立が揚がってきた。
乗組員はデッキに放たれた山積みの帆立を寄り分けつつ、次の漁獲ポイントでも“八尺”を下ろしては上げての繰り返しが約3時間続く。我々は全身を貝殻まみれにしながら帆立を揚げ続ける漁師たちの迫力に圧倒されてしまった。
「帆立漁はハードな仕事だよ。乗組員は若い衆じゃないと務まらないぞ(笑)」と磯野さんは豪快に笑った。
オホーツク海では「つくり育てる漁業」という考え方がある。自然の再生産力だけに頼ることなく、地域の人たちが力を合わせ、オホーツク海の資源を次代へと繋いでいくために日々、努力を重ねているのだ。
帆立の稚貝は4年間かけて、じっくり育てられる。そして、稚貝を放流する漁場は4つのブロックに分けられ、毎年順番に漁獲と放流を繰り返し、4年サイクルで1ブロックずつ獲っていくというわけだ。
毎日の水揚げ量も決まっており、この「つくり育てる漁業」の実践があるからこそ、我々はオホーツク海の恵みを受けた美味しい帆立をいつでも食べることができるのだ。
帆立養殖発祥の地“常呂町”
次に、我々が向かったのはオホーツク海とサロマ湖に面し、帆立養殖発祥の地と呼ばれる常呂(ところ)町。
サロマ湖はオホーツク海と繋がった面積約152km2の巨大な湖で、湖水の塩分は海水に近い。ここでは帆立を稚貝から養殖するほか、育てた稚貝をオホーツク海に放流もしている。
偶然にも町で出会った漁師の工藤さんにサロマ湖の養殖現場を見せてもらうことができた。養殖現場では、水面に浮かぶロープに網状のポケットがいくつも吊り下がっており、その中に直径5cmほどの小さな稚貝が入っている。
工藤さんは、2年間育てた帆立の殻を豪快に剥くと、「食べてみな」と我々に手渡してくれた。わずか2年間で育ったとは思えないほどの肉厚のある帆立を食べてみると、濃厚な甘さと程よい海水の塩気が絶妙なバランスで口の中に広がっていった。養殖は砂が入らず貝殻も傷つかないので、姿形も美しい帆立が出来上がると工藤さんはいう。
常呂町で今もこうして続く帆立養殖の栽培漁業の確立に貢献したのが、明治24年(1891年)に常呂町で創業した帆立屋しんやの二代目・新谷廣治氏だ。
昭和8年(1933年)、当時、常呂漁業協同組合の組合長も兼ねていた廣治氏は”常呂の帆立”の安定生産を目指し、当時の水産庁北海道試験場と協力して、サロマ湖での帆立養殖事業への取り組みを始めた。
現在の帆立屋しんやの代表取締役社長、新谷有規さんは、その歴史について語ってくれた。
「一番困難だったのは越冬する技術だったと聞いています。オホーツクの厳しい自然環境を乗り越える方法を試行錯誤し続けて、やっと形になったのが昭和50年(1975年)頃。約40年かけて帆立の栽培漁業を確立したんです。こうした多くの試練を乗り越えて、今では常呂で生まれたこの養殖技術は北海道だけでなく、多くの地域でもおこなわれています。ここ常呂が帆立養殖発祥の地と呼ばれる町になったのも先人たちの知恵と努力のおかげです」。
そして、帆立の栽培漁業の確立によって安定的に帆立が獲れるようになると、廣治氏は帆立を美味しく食べる製品作りにも着手し始めた。そこで生まれたのが帆立屋しんやの「帆立燻油漬(ほたてくんゆづけ)」だ。
森の香りをまとった海の恵み
冷蔵や加工の技術が未発達だった当時、干貝柱にするしかなかった帆立を日持ちさせつつ、美味しく食べる方法として考え出されたのが“燻油漬け“という製法。「帆立燻油漬」は昭和36年(1961年)の誕生以来、今でも帆立屋しんやの代名詞ともいえる商品として人気を集めている。
「帆立燻油漬」で使う帆立はサロマ湖産の帆立貝柱。砂などの異物が混入しない養殖帆立は燻油漬にぴったりだという。
そして、「帆立燻油漬」の味の要となるのが燻製の作業である。塩ゆでした帆立は素材本来の味わいを損なわないように香りの強すぎないナラの木のチップでじっくりと燻製していく。黄金色になった燻製帆立を一晩食用油に漬け込んだら完成となる。
食べてみると、帆立の風味に燻製の香りがコクを与え、噛むほどに旨みがじんわりと染みわたり、シンプルなつくりだからこそ素材の良さがダイレクトに伝わってくる。この一粒に先人たちの想いが詰まっていると思うと、美味しさもひとしおだ。
「最近は空港などで海外の観光客の方にも好評なんです。こうして、海外の方にも常呂の帆立を食べていただけるとうれしいですね」と新谷社長。
日本一の水揚げ量を誇るオホーツク海の帆立。今、その美味しさは日本だけではなく海外の人たちからも評価されるまでとなった。
世界に誇るオホーツク海の帆立は「つくり育てる漁業」といった先人たちの次代に資源を残す努力と、オホーツク海の恵みそのものの美味しさを届けたいと想う知恵が礎となっている