手から手へ、雪国で受け継がれるうどん作り
農閑期の冬に栄えた「稲庭うどん」
奥羽山脈に属する栗駒山の近く、澄んだ空気と清らかな水に恵まれた稲庭町では寛文5年(1665年)から稲庭うどんが作られるようになった。
稲庭うどんは「手綯(てない)」と呼ばれる、手でヨリ(ねじり合わせること)をかけて麺を伸ばす独自の製法で作られている。このように手間ひまをかけて作る稲庭うどんの生産量は限られていたため、当時は藩主への上納品として納められることが多く、一般の人が口にする機会は少なかったという。
また、稲庭うどんは稲庭地区の人たちだけが携わる家内制手工業で作られていたこともあって、生産者もごくわずかしかいなかった。しかし、冬の農閑期に入ると農作業を行えない農家の若者たちがうどん作りを手伝いはじめるようになり、次第にその風習が広がっていくことで稲庭うどんの生産者は増えていった。このようにして、うどん作りが産業として、この地に根付いていった。
伝統の技術を守り伝える寛文五年堂
稲庭地区で、はじめてうどんを量産できる体制を整えたのが、寛文五年堂だ。高台にある稲庭城を臨む場所に本社と工場をかまえ、現在約70人の職人がうどん作りをおこなっている。寛文五年堂の営業部長、阿部保彦さんにお話を伺った。 「稲庭うどん作りは昔は天候に左右されることが多く、とにかく手間がかかっていました。生地作りは、その日の温度と湿度で微妙に配合を変えて固さを調整し、乾燥は冬場に雪が降ることが多いので、必ず室内で行いました。また、量産するためには、製造現場の敷地もある程度の広さが必要となるので、昔の製造現場の環境のままでは難しいものがありました」。
多くの苦労を乗り越え、現在では年間を通じて環境を一定に保った工場で生産している。
とはいえ、製造現場の環境が整っただけでは美味しい稲庭うどんはできない。そこには職人たちが受け継いできた繊細な技術と経験がと必要される。
手を加えては寝かせ、時間をかけて独特のコシが生まれる
稲庭うどんの原料は、小麦粉、水、でんぷん、そして塩のみ。まずは原料を混ぜ合わせて生地を作るのだが、ひとかたまりになったうどん生地を人の力で捏ねて行く。生地作りでうどんの良し悪しが決まっていくので、この作業ができる職人は限られているという。
「全体重をかけて力いっぱい練り込みます。こうすることで、余分な空気を押し出すことができ、独特のしっかりとした歯ごたえを生むことができます」と説明してくれたのは、工場長の佐々木貢さん。
捏ね終わった生地は温度と湿度が一定に保たれた部屋の中で約1日寝かせる。十分に寝かせたら、まるまった生地を紐状にカットし、丸い桶に円を描くようにおさめ、さらに寝かせる。ここで重要なのが“でんぷん”の存在だ。稲庭うどんは、打ち粉にでんぷんを使用する。麺がくっつかないようにするためだが、それ以外にも、でんぷんをまぶして寝かせることによって、うどん生地がでんぷんを吸収して、茹でたときにツルッと滑らかな稲庭うどん独特の喉越しを生む。 「そうめん作りでは、麺を伸ばす工程などに油を使うことが多いですが、稲庭うどんはでんぷんを使います。もし、でんぷんを使わなければ、食感のないボソボソしたものになってしまい、稲庭うどんらしくなくなってしまいます」と、佐々木さんはでんぷんの重要性を力説する。
そして、引き延ばされたうどん生地を、より細く伸ばしながらヨリをかけ2本の棒に八の字にかける「手綯」の作業に移る。
「手綯は、稲庭うどん作りのなかでもっとも重要な工程のひとつです。ヨリをかけながら伸ばすことで、独特のコシの強い食感を引き出していきます」と、佐々木さん。
職人の経験と想いが創り出す美味
職人が向かい合って黙々と手綯をする姿は、まさに一心不乱という言葉がぴったり当てはまる。人によって手綯の動きはさまざまだ。独特な技術のため、やり込んでいくうちに、職人ごとにスタイルが違ってくるという。うどん作りに携わって約30年という大ベテランの職人、小南こと子さんにお話を伺った。
「最初は手綯がうまくできずに苦労しました。でも、続けていくうちにだんだんできるようになるものです。やはりうどん作りは経験が一番大事だと思います。工場では、一人の職人が、いろいろな工程に携わるのですが、私は手綯の作業が一番好きですね。右から左へ、集中して作業するので時間が経つのも忘れて、あっという間に半日が過ぎていきます。手綯の作業は見ていて綺麗だし、すごく楽しいですよ」と、目を輝かせながら語ってくれた。
手綯が終わると、平押しをしてさらに生地の余分な空気を抜きながら麺を伸ばし、およそ1時間寝かせて熟成させる。その後、干し台にかけてさらに伸ばして最後の乾燥に入る。寛文五年堂では、一気に乾燥するのではなく加湿しながらじっくりと時間をかけて乾燥させていく。そうすることで、乾燥した状態で曲げても折れることのない、しなやかで上質な麺が作り出されるのだ。
最後に麺を検品し、梱包となるが、ここにも稲庭うどんならではのこだわりがあるという。
「手綯で伸ばしていくことで、うどん一本一本の太さが微妙に違ってきてしまいます。太いものが混じっていると、茹でたときに口当たりを邪魔してしまうため、製品として認めることはできません。そのため、必ず人の目でチェックし、少しでも曲がっていたり、太かったり、短いものはすべてはじきます。最終的に製品になるのは、全体の6割ぐらいです。非効率ではありますが、もともとの献上品文化の精神をいまでも大事にして、美味しいうどんのみを出荷しています」。
稲庭うどんに魅せられた職人が繋ぐ伝統
稲庭うどん作りはメーカーによって製法が微妙に異なるという。工場長の佐々木さんは、幼い頃に食べた寛文五年堂の「いなにわ手綯うどん」が忘れられなかったと話す。「生まれて初めて食べた稲庭うどんの美味しさに感動し、うどん作りに携わりたいと思いました。そう考えた当初、稲庭うどんは全部同じだと思い、最初は別の工場に就職したのですが、入ってみると昔食べたうどんの味と明らかに違いました。その後、昔食べていたうどんは、寛文五年堂のものだったことを知り、思い切って転職しました。さまざまな稲庭うどんがありますが、寛文五年堂のものは、食べたときの食感と喉越しが絶妙なんだと思います」。
手作業の工程が多い稲庭うどんだからこそ、メーカーによっても味が違うことは稲庭うどんのひとつの特長ともいえるだろう。そして、その味に惚れ込んだ職人たちが、昔からの味を守り、引き継いでいくことによって稲庭うどんの伝統は続いていく。
地元でしか味わえない。数量限定の生麺
今でこそ流通技術が発達し、乾麺の状態ならば、日本全国でその味を楽しめるようになった稲庭うどんだが、地元でも希少価値の高い生麺も存在する。寛文五年堂では、この生麺を完全受注生産でオーダーすることもできるそうだが、秋田市内の秋田駅近くにある直営店の寛文五年堂秋田店でも食べることができる。もっちりとした食感の生麺を使ったオリジナルメニューは、地元だからこそ味わうことのできる味。また、乾麺と生麺の食べ比べや、秋田の郷土料理も楽しむことができる。秋田を訪れた際には、秋田の名酒と一緒に稲庭うどんを味わうことで、秋田の魅力を堪能してみてはいかがだろうか。
人の手の感覚がうどん作りを左右する稲庭うどん。雪国の稲庭の地にはうどん作りの技と、そこに携わる人々の想いが、発祥当時と変わらぬ形で人から人へと、今も受け継がれている。