“素材への敬意”から生まれる銘菓「あも」
丹波のブランド「春日大納言小豆」を求めて
丹波霧とも呼ばれる朝霧が降りたつ美しい日本の農村風景が広がる丹波市。内陸型気候のため、昼夜間の気温差が大きいこの地域には、ここでしか獲れない春日大納言小豆がある。この小豆は、希少性もさることながら、大粒で、光沢が美しく甘みに優れ、さらには表皮が薄く煮崩れしない特性があり、古来より高く評価されてきた。
我々は、丹波の地で、春日大納言小豆を栽培する荻野千歳さんの畑を訪ねた。丹波の地は、小豆の実を甘く熟させるのに適している。
荻野さんは、雨に弱い大納言小豆を育てるには苦労が多いという。「梅雨明けを待ってから種を撒きますが、梅雨明けが遅いとヤキモキしますよ」
また、収穫時期は11月頃ということだが、そのタイミングも難しいのだとか。
「まだ若い莢(さや)に霜がおりてしまうと、中の水分が凍ってしまって小豆がダメになってしまうんです」そのため、成熟状態を待たず、霜が降りる前に収穫を行う必要があり、その時期の天候には非常に敏感になっているとのこと。
収穫した莢の生育状態はバラバラなため、一つひとつ手作業でチェックする必要がある。「莢の茶色いものは中の小豆が成熟しているが、若い莢は数週間ほど乾燥させ、成熟を待ちます。この作業は機械ではできず、小豆の状態を見抜くこの過程が品質を保つために非常に重要といえます」また、乾燥状態が良ければ良いほど、見た目も美しく、甘みも増していくとのこと。
飽くなき品質の追求 小田垣商店
荻野さんの育てた春日大納言小豆の多くは、地元、丹波市の小田垣商店へと出荷される。1734年に創業され、明治元年より、黒大豆や大納言小豆の卸売業を営む老舗である。我々は小豆選別工場を訪ね、選別工程を見学させていただいた。
工場では、春日大納言小豆の粒の乾燥状態と形をチェックしたうえで、ふるい機にかけ、小豆を厳選していく。しかし、これでは終わらない。ここから更なる品質チェックを行うために、「手撰り(てより)」と呼ばれる伝統的な手作業によって、機械では選別の難しい、少しでも品質が劣るものを取り除いていく。
「手撰り」は、小豆をテーブルの上で転がしながら一つひとつ撰り分けて行く大変な作業だ。
この工程によって除かれる小豆は、全体のごく僅かだという。「ほんの数パーセントを取り除くだけですが、常に高品質の春日大納言小豆をお客様にお出しするには、少しでも状態の悪い小豆が混ざるようなことはあってはなりません」小田垣商店では最高の品質への追求に余念がない。
素材への敬意 滋賀の和菓子匠「叶 匠壽庵」
兵庫県丹波市で、収穫、厳選された春日大納言小豆は、叶 匠壽庵の代表銘菓「あも」になる。叶 匠壽庵は、要となる餡を作るための最良の小豆を追い求めた末、春日大納言小豆にたどり着いたという。
我々は、この小豆が、どのように菓子として姿を変えていくのかを知るために、滋賀県大津市にある叶 匠壽庵の本社、「寿長生の郷(すないのさと)」を訪れた。
寿長生の郷にある工場で22年に渡り菓子の餡を炊く、職人中居浩一さんにお話をうかがった。中居さんによると、通常、餡を炊く時はそのまま炊きあげるが、叶 匠壽庵では仕込みの段階で1日かけるという。
「まず、小豆を洗って水で炊きます。小豆が膨らんだところで、一昼夜にわたり糖蜜に漬け置きます」この作業が最適な糖の浸透を生み、じっくり時間をかけて小豆の中まで満ちていくのだという。そうすることで、深い甘みを持ったおいしい餡になるそうだ。
毎日のように餡を炊いている中居さんは周りから「小豆の声を聞くことができる職人」といわれている。そのように評されるほどの、長年の経験を持つ中居さんだが、炊き加減は年間を通じて同じ日は、ほとんどないという。「春日大納言小豆を収穫できるのは年1回。収穫したてのものと、10ヶ月たったものでは、小豆の状態が違うため炊き方を変えなくてはなりません。また、季節によっても変わってきます」これは、小豆を炊き始める時の水温が異なるからだ。「季節によって温度が違うので、炊き時間が変わってきます。そうすると、蒸らしや冷やす時間も変わってきます。温度はもちろん、様々な条件に合わせて小豆の炊き加減を変えています。その向き合っている姿が、『小豆の声を聞いている』ように見えるのかもしれませんね」と中居さんは笑う。
こうして、こだわり抜かれた春日大納言小豆一つひとつに敬意を持って向き合う職人の手によって、さらなる品質に磨きをかけた「あも」ができあがっていくのだ。
農工一体 寿長生の郷での和菓子づくり
叶 匠壽庵が、自然豊かな丘陵地に「寿長生の郷」をつくり工場を構えたのは、昭和60年のこと。大津の街中から里山に工場を移したのは、自然と菓子づくりは切っても切り離せないものだからだという。ここでは、農工一体の概念のもと、菓子づくりに関わるいろいろなことに取り組んでいるという。
琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川のほとりに位置する、6万3千坪ある広大な敷地内には、約1,000本からなる梅林が広がり、ここで獲れた城洲白梅を使って菓子を作っている。その他に、柚子の樹園、菓子のあつらえに用いる和紙や陶器の工房、炭焼き処まである。茶道や花道を学び、菓子づくりのために自然と向き合うことを大切にするという想いが詰まった空間だ。
「私たちは野山に工場を設けることで、購入するだけでは分からない素材の生育過程にも関わり、自然と共に、感性を磨きながら菓子づくりが出来ます」季節感を表現することを大切にしている和菓子づくりは、自然と向き合うことが大切なのだ。
叶 匠壽庵の代表銘菓「あも」が、春日大納言小豆と出会ったのは、偶然ではなく、素材に敬意を払い、自然と向き合いながら菓子を作るこだわりが引き合わせた必然だったのだろう。
自然豊かな「寿長生の郷」は一般客にも開放されていて、郷内では、農園や野山の散策などをはじめ、茶席や、菓子づくりなどの様々な体験を1日かけて楽しむことが出来る。また、年間を通じて季節のイベントも開催されており、その時々に合った楽しみ方ができる場所だ。滋賀に訪れた際には、「寿長生の郷」で、自然の恵みを感じながら、「あも」を始めとしたお菓子を五感で味わってみるのというのはいかがだろうか。