「房総太巻き寿司」の創作柄にこめられた、おもてなし精神
房総エリアの食文化に影響をもたらした海苔養殖
太巻き寿司に欠かせない食材といえば、海苔である。「房総太巻き寿司」のルーツを辿る前に、まずは千葉県における海苔養殖の歴史を紐解いておこう。
歴史の始まりは、房総エリアの内房地域、君津市にある。文政5年(1822年)、江戸の「海苔仲買人」である近江屋甚兵衛が市内を流れる小糸川に着目。君津市人見で協力者を得て、浅瀬を利用した海苔の養殖に成功し、「上総のり」として江戸で評判を呼んだ
江戸の食文化として栄えていた寿司は、この時期から房総エリアに伝わり、冠婚葬祭の場でふるまわれるようになった。袖ケ浦市にあった江戸幕府直轄地の代官所に残る古い記録には、文政12年(1829年)に地域で執り行われた結婚式で「はなずし」がふるまわれたとある。また、天保4年(1833年)の記録には、「のりずし」が病気のお見舞いに用いられていたことが記されている。当時、海苔も白米も高価で貴重だったため、それを用いた寿司は特別な場にふさわしい食べ物だった。
小糸川流域で生まれた「上総のり」は、内房地域を中心に産地を拡大。明治時代に入ると、木更津市や袖ケ浦市、市原市などでも海苔養殖が行われるようになった。内房沿岸で生産量は上がり、産地ならではの出荷できないキズ海苔や、養殖場から強い風で飛ばされ海岸に流れ着いた海苔を拾う「拾い海苔」などによって、一般家庭でも徐々に海苔巻きがつくられるようになり、冠婚葬祭などの特別な日の振る舞い料理として作られるようになったのだ。
海苔巻きが広まるなかで考案されたのが、細巻きを束ねてつくる「太巻き寿司」である。細巻きの本数や使う具材によって「太巻き寿司」の断面は多彩に変化。大正から昭和初期にかけて、「二つ巴」や「三つ巴」「三色巻き」といったシンプルな絵柄の「伝承ずし」が編み出された。
海苔と米の産地で花開く、多彩な太巻きずし文化
内房地域の中でも市原市では、明治33年に千葉県水産試験場の調査で養老川の河口が海苔養殖の最適地と認められ、以降、海苔の一大生産地として栄えた。海苔に加え、米や、かんぴょうなども採れたことから、太巻きずしの文化は一般家庭にも浸透し発展していく。
その後、大正から昭和初期にかけて、主婦たちによって様々な絵柄の「太巻き寿司」が考案されていった。「チューリップ」や「二つの花」「サザエ」「渦巻き」などのカラフルな絵柄などが登場。戦後、豊かな時代になるとともに、競うように絵柄が複雑化していき、現代の「デコ弁」にも通じる華やかさとなった。
そして昭和40年代に入ると「太巻き寿司」は大きな転換期を迎える。君津市出身の水野衣音さんが創作柄を次々と考案し、新風を吹きこんだのである。「赤ずきん」「えびす様」「パンダ」といった独創的なアイデアもさることながら、水野さんの最大の功績はレシピを惜しげもなく披露した点にある。というのも、当時は絵柄のレシピを秘匿する風潮があったからだ。それに対して、水野さんは講習会を積極的に開催し、「太巻き寿司」の魅力を県内各地に発信していった。
こうした背景から、市原市の郷土料理である「房総太巻き寿司」のルーツを読み解き、市原市で料理教室「ヘルシークッキング」を主宰する、管理栄養士の上田悦子さんだ。
上田さんの長年のフィールドワークに基づき、「内房の『伝承ずし』が『房総太巻き寿司』の源流である」と提唱している。上田さんは「房総太巻き寿司を伝える会」も主催し、地元で小学生向けにワークショップを開催する等、その活動は幅広い。
「定番の絵柄でいうと、七五三であれば『祝』という文字を表現したり、桃の節句であれば『おひなさま』を表現したり。結婚式であれば『寿』の文字をモチーフにした絵柄をつくることもあります。また、葬儀のときは地味な配色の絵柄を提供するのが慣わしです」。
上田さんは、生まれも育ちも市原市。「房総太巻き寿司」の思い出を次のように話す。
「飲食関係の事業を営んでいた父は地域でも顔が広く、人からよく『房総太巻き寿司』をいただいていました。一昔前は寿司飯がとても甘く味つけされていて、まるでお菓子を食べているかのようでした。けれども、砂糖が貴重だった時代はそれがなによりのごちそうだったんです」。
参考:上田さんによる様々な絵柄の太巻き寿司
「房総太巻き寿司」にこめられた思いを次世代につなぐ
上田さんは「房総太巻き寿司」の伝統技術を若い世代に伝えるべく、月3回、「房総太巻き寿司教室」を開催している。教室でよくレクチャーする「梅」は、梅の花を表現した古典的な絵柄で、初心者にも再現しやすいとのこと。
「かつては海苔の一大産地だった内房地域ですが、現在は最盛期ほどの生産量はありません。市原市にいたっては、昭和30年代に大規模な埋め立て工事があったため、海苔の生産が途絶えてしまいました。昔の景観は写真や映像で振り返るしかありませんが、内房地域で生まれた『房総太巻き寿司』を受け継いでいくことはできます。それを思うと、保存活動にも身が入ります」と、上田さん。
見て楽しい、食べて美味しく体にも良い、作って楽しい「房総太巻き寿司」は、内房地域で生まれたおもてなし精神の象徴。先人たちが絵柄にこめた想いは、上田さんをはじめとする担い手たちに受け継がれ、今を確かに生きている。