大山の清らかな湧き水に育まれた、大山のとうふ料理
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「大山詣り」のお供に欠かせない「大山とうふ」
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丹沢山塊の東側に位置し、伊勢原市・秦野市・厚木市にまたがる「大山」。標高1252m、ピラミッド型の美しい山容は古代より山岳信仰の対象とされてきた。雨乞いの山としても伝わり、「雨降山」(あふりさん)の別名も。その山頂には「阿夫利神社」(あふりじんじゃ)の本社が一帯を見守るように鎮座する。
江戸時代に入ると、レジャー感覚で楽しめる「大山詣り」が関東一円で流行。江戸の人口が100万人の時代に、年間20万人の参拝者が訪れたという。庶民の間では「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」とも評され、大山と富士山の「両詣り」も盛んに行われていた。
伊勢原市にある伊勢原駅は、いわば大山の玄関口。北口の改札を抜けると、阿夫利神社の大鳥居がお目見えする。迫力のある佇まいでいながら、街並みに違和感なく調和。門前町の風情を今に伝えている。
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この地の名物である「大山とうふ」も大山詣りに由来する。参拝者が奉納した大豆が大山に集中したため、僧侶たちが豆腐を精進料理に使っていたため、大山の湧き水がとうふづくりに適していたため……など、さまざまな条件が重なって地域に根づいていった。
その昔は、手のひらに乗せたとうふをすすりながら参道を歩く参拝者もいたという。暑い夏の盛り、湧き水で冷えたとうふは格別の味わいだったに違いない。
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大山とうふは観光資源になっており、例年3月下旬には大山地区で「大山とうふまつり」が開催される。1000人分の湯豆腐を提供する「仙人鍋」にはじまり、とうふをテーマにしたパネルディスカッションやライブパフォーマンスなど、とうふ尽くしの2日間となっている。
世代を超えて愛される、小出とうふ店の逸品
「大山とうふ」は、あくまでも大山周辺を生産地とする豆腐の総称だ。製造方法や原材料に細かな決まりがないため、製造業者が各々で趣向を凝らし、独自の味を追求している。
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明治15年創業の「小出とうふ店」もそのひとつ。伊勢原駅前から車でおよそ20分、緑豊かな県道を進むと「鈴川」の流域に突如として店舗が現れる。
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「大山から引いた水でとうふをつくっています。とうふの成分はほとんどが水分なので、この湧き水がなくてはうちの味にはなりません。今でこそ珍しくなりましたが、水道が普及する前は、こうしたスタイルが一般的だったのでは」
そう話すのは、四代目店主の加藤貴克さん。お店はもともと小田原に拠点を置いていたが、参拝者の需要を見込んだ曾祖父が大山地区への移転を決めた。
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大豆を引く石臼は全自動の粉砕機に、大豆のしぼり汁を煮る薪釜はボイラー釜に。工程の一部は機械化したものの、基本的な製法は創業時から変わらない。朝8時の開店に合わせて、午前2時半には釜に火を入れる。
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「豆乳を型に流しこんで凝固させたら、しばらくの間、流水にさらします。昔ながらの製法に忠実なだけで、特別なことをしている自覚はありません。経験や勘に頼る部分も多く、豆乳を凝固させる際に攪拌する『寄せ』の作業は、とくに注意を払います。上手く『寄せ』ないと味にムラが出てしまうので、未だに気が抜けません」
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はたして、スーパーマーケットに並んでいるとうふとのちがいとは? この問いかけに対して、加藤さんは「食べたらわかる」と、いわんばかりに、絹ごし豆腐をふるまってくれた。
まず驚いたのが、その弾力。箸でつまんでも崩れることなく、容易に持ち上げられる。それでいて、口あたりはなめらか。あっさりとしているから、さまざまな料理に活用できる。
「冷奴で食べるときは、よくオリーブオイルをかけています。妻の一押しは麻婆豆腐。市販の麻婆豆腐の素に入れるだけでも、充分美味しく仕上がりますよ」

丹精こめたとうふは、店舗で直売されるほか、近隣の旅館や飲食店にも卸されている。小学校の給食に出ることもあり、今や世代を超えて親しまれている。しかしながら、現在、大山地区にあるとうふ店は「小出とうふ店」を含めて、2軒のみ。山岳信仰からはじまった「大山とうふ」の文化は、細々と地域に繋ぎ止められているのが現状だ。
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「一時期、体調をくずしていて、休業を余儀なくされました。そのときは、体力的にもそろそろ潮時かな、と思いましたね。けれど、馴染みのお客さんから激励の手紙をいただいたんです。その思いに、気持ちが奮い立ちましたよ。今は少しでも長く、店を続けていきたいです」
江戸時代の「宿坊」にルーツをもつ、とうふ料理専門店
「小出とうふ店」から県道沿いをさらに進むと、土産店や「宿坊」が軒を連ねる「こま参道」に合流する。「宿坊」とは、「大山詣り」の参拝者を迎える宿のこと。現代ほど道路が整備されていない時代は、宿の主人が「先導師」となって、山頂までの険しい登山道を案内した。この風習は現在でも受け継がれており、大きな行事があるときは現役の先導師たちが訪れた人たちをサポートする。
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参道の終点近くに差し掛かると、立派な門構えが見えてくる。看板には「とうふ処 小川家」の文字が。こちらも宿坊にルーツをもつ、とうふ料理専門店である。オーナーの小川惠巳さんは、お店の成り立ちを次のように話す。
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「関東大震災で過去の資料は失われてしまいましたが、江戸時代初期の創業だとされています。もともと宿坊を営んでいましたが、1970年代から飲食業にシフトしていきました。当時は一般の参拝客が増えはじめた時期で、名物の大山とうふを提供できないかと考えたのです」
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小川家では、コース仕立てで多彩なとうふ料理が楽しめる。この日用意していただいた「7品コース」は、裏ごししたとうふとほうれん草を和えた白和えや、とうふのグラタン、とうふや豆乳を使ったデザートなどで、アレンジの幅広さには恐れ入る。
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「湯豆腐、揚げ物、蒸し物に小出とうふ店の絹ごし豆腐を使っています。喉越しの良い食感を活かすことがポイント。今回のラインナップはほんの一例で、季節ごとに内容を変化させています」
近年は、息子とともに若者向けのメニューも積極的に開発。とうふ料理だけではなく、地域をあげてジビエの活用にも取り組んでいる。
「ヘルシーな食材のとうふは、訪日観光客からの認知度も高い。『大山とうふ』を通じて、この地に根づく風習や文化などを広く知ってもらえると嬉しいですね」
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一風変わったいきさつで生まれ、名水によって育まれてきた「大山とうふ」。唯一無二の味わいは、作り手たちが守り続けてきた誠実さを物語っている。