一日一層の積み重ね。日光の名水がもたらす「天然氷」

栃木県日光市
天然氷
(取材月: January 2022)
冬の厳しい寒さから生まれる「天然氷」。『日本書紀』にもその存在が記され『枕草子』には今でいう「かき氷」が登場する。しかし現在、天然氷の蔵元は全国に5軒を残すのみ。そのうちの3軒が栃木県日光市に集結しており、古くからの風物詩を今に伝えている。

山岳地から湧き出る名水が育んだ日光の食文化

日光連山

栃木県の北西部に位置する日光市。1450平方キロメートルの総面積は、県土の1/4にあたり、そのうち約9割を森林が占めている。地形に大きな起伏があり、標高200メートル程度の平坦な市街地と比べて山岳地は標高2000メートルを超える。

山岳地帯の一部を形成する男体山(なんたいさん)は、市を代表する名山のひとつ。中禅寺湖の北東に鎮座し、円錐状に盛り上がった美しい山容から“日光富士”と称されることも。男体山や女峰山(にょほうさん)、大真名子山(おおまなごさん)などから構成される「日光連山」は、古来より山岳信仰の対象となり山そのものが神体とされた。

湧き水

山々から流れ出た湧き水や雪解け水は、地下を流れて地域一帯に清らかな水をもたらす。こうした名水は、特産品のお米や日本酒、そば、湯波などをつくる上で欠かすことができない。日光の食文化は、名水とともに育まれてきたのだ。

土づくりからはじまる、日光の氷づくり

日光で百年以上の歴史を誇る天然氷も名水なくして語れない。天然氷とは、冬の寒暖差を利用して製氷された氷のこと。食用はもちろんのこと、冷蔵庫のない時代は食品の保存用や医療用としても重宝された。

製氷を担う蔵元は「氷室」(ひむろ)と呼ばれる。昭和初期には全国各地に100軒近い氷室があったそうだが、機械製氷や冷蔵・冷凍技術の発達した現在では5軒にまで減少。そのうちの3軒が日光市に集まっている。

四代目徳次郎代表山本雄一郎さん

「氷づくりは天候がダイレクトに影響する。毎年気が抜けません」

そう話すのは、氷室「四代目徳次郎」の代表・山本雄一郎さんだ。「四代目徳次郎」の氷づくりはほかの2軒と同様に「氷池」が使われる。縦15メートル、横30メートル、深さ50センチほどの石造りの溜池で、底は畑のように土がならされている。

氷池

一見すると浅めのプールといったところ。この「氷池」に山から流れる湧き水を引き、氷をつくる。木々に囲まれた氷池は一年中日陰になっており、真冬は周囲よりも一層寒くなる。この環境が氷づくりに最適なのだ。

「まず、秋頃から氷池の『土づくり』がはじまります。氷は水面から下に向かって凍るので、底の土が固いと成長が阻まれてしまいます。そのため、あらかじめ土を耕す必要があるんです。12月頃になると池の水が凍りはじめるのですが、この時期の氷は柔らかく不純物も多い。売り物にならないのですべて叩き割って廃棄します」。

氷づくりが本番を迎えるのは、1年で最も寒くなる1月から2月にかけて。気圧配置を読み寒波到来を察知したら「氷池」に採水。2週間かけて氷を育てていく。

氷池での作業

氷の成長は1日につきおよそ1センチ。ある程度の厚みになっても安心はできない。ゴミやほこりを取り除くために毎朝氷の上をほうきで掃かなくてはならないのだ。降りそそぐ雪も大敵。ほこりを含んでいるばかりか、降雪を放置していると氷の表面が溶けてしまう。2016年は稀に見る大雪で、18時間連続で氷の上を掃き続けたという。

氷の切り出し

氷の厚さが15センチ程度にまで成長したら、いよいよ採氷のための切り出しを行う。作業は早朝からはじまり、雄一郎さんと息子の仁一郎さんのほか、氷を卸している飲食店のスタッフやボランティアスタッフが一致団結。動力カッターによる氷の切り出し、氷の引きあげ、貯蔵庫「氷室」への収納といった、一連の作業すべてが人の手によって行われる。

氷室

氷を貯蔵する際に周囲におがくずで覆うのは、古式にならった保存方法。おがくずに表面の水分を吸収させて、氷が溶けるのを防いでいるのだ。

氷の断面の層

「上手く氷が成長すると、氷の断面に層ができるんです。一日一層、これこそ手間暇かけた証です。地表から熱が放出される『放射冷却』を利用した製氷方法は、冷気を与えて氷をつくる機械製氷よりも固く溶けにくい氷に仕上がる。後ろが透けて見えるほどの透明感も機械製氷で再現するのは難しいでしょう」と、雄一郎さんも誇らしげに語る。

後世に受け継がれる、日光の原風景

徳次郎看板

雄一郎さんが氷室の四代目を継いだのは、2006年のこと。もともとは、市内にある霧降高原でレジャー施設の「チロリン村」を営んでいた。施設内に設けていたカフェに氷を提供していたのが、三代目徳次郎にあたる吉新良次さんだ。

今でこそ日光の名物となっている天然氷だが、当時は斜陽化の真っ只なか。すでに老齢にさしかかっていた吉新さんは操業に限界を感じており、その年を最後に廃業を決めていた。それを人伝てに聞いた雄一郎さんは、吉新さんに直談判。自身が氷室を引き継ぎたいと申し出た。

四代目徳次郎代表山本雄一郎さん

「一昔前なら市内のスーパーで、天然氷が数百円で買えました。地元民がその価値に気づいていなかったんです。それが衰退を招いたわけですが、そのまま廃れてしまうのはあまりにも惜しい。切り出しの風景は日光の冬の風物詩。原風景ともいえる文化なのですから」と、雄一郎さん。

思いの丈を語った雄一郎さんだったが、吉新さんはそう簡単に首を縦にふらなかった。しかし、雄一郎さんはあきらめない。連日、新良さんのもとに通い説得を続けた。それから数週間後、懇願を繰り返す雄一郎さんに、吉新さんもとうとう根負け。作業には手を出さず助言のみをおこなう、という条件付きで事業継承を受け入れた。

「当初は池に氷を張れば氷ができると思っていたけど、これほど大変な作業だったとは……。氷をつくったはいいものの、買い手もほとんどつきませんでしたね」と、雄一郎さんはふりかえる。

転機が訪れたのは2008年、有志とともに天然氷のブランディングを図るため、都内の食品見本市に出展。ほか2軒の氷室と競合を避けるための措置でもあったが、首都圏需要の読みは見事に的中。バイヤーの目にとまり、都内の百貨店で天然氷を使ったかき氷が期間限定で販売された。

天然氷を削ったかき氷

「せっかく攻めるなら“都”を目指そう、ゆくゆくはイタリアのローマへ! なんて夢だけは大きかったですね。かき氷のシロップは、地元でとれたいちごやブルーベリーを使いリッチなフレーバーにしました。『かき氷は子どもの食べもの』と思っている人たちを感動させたかったんです」

天然氷を削ったかき氷はまるでわたあめのような食感で、多くの人を魅了。地球環境問題をテーマにした洞爺湖サミットの開催も重なり、かき氷は“エコなスイーツ”として世間の注目を集めることに。2000年代に起こったかき氷ブームも追い風となり、日光の天然氷の底力を世に知らしめた。

「天然氷の成功は、氷づくりの過程や文化を消費者に受け入れてもらえたから」と、雄一郎さんは述懐。三代目の跡を継いでおよそ15年、ここまで続けてこられた原動力を聞いてみた。

「食べてくれた人たちの喜ぶ顔ですよね。大人も子どもも感動した表情でなかなか手をつけない。そんな光景を目の当たりにすると苦労も報われます。息子にも氷づくりをおおかた任せられるようになったので、ひとまず安心。これからも『四代目徳次郎』の味、ひいては日光の文化を多くの方々に伝えていきたいです」。

氷池

口に運ぶと儚く消える天然氷のかき氷。その一瞬の涼感には氷室たちが代々受け継いできた日光の歴史と文化が凝縮されている。氷づくりの背景に目を向ければ、その美味しさもひとしおだ。

Writer : NAOYA NAKAYAMA
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Photographer : SATOSHI TACHIBANA

㈲チロリン村

所在地 栃木県日光市所野1535-4

栃木県  観光情報

japan-guide.com https://www.japan-guide.com/list/e1210.html
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