乳酸菌が導く 畜産業の明るい未来
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“バイオバランス®”と呼ばれる、特殊な乳酸菌株を添付した飼料を牛の餌に混ぜ合わせることで、牛の腸内環境が改善され、悪玉菌を抑制することで病原菌や悪臭が軽減。飼育環境全体が健全化されることで、牛へのストレスもなくなり、結果として栄養をしっかりと蓄えた美味しい肉が出来るというのだ。その効果に多くの生産者が魅了され、導入する牧場が全国各地に増えているという。
少ない手間で健やかに育つ牛
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神奈川県三浦半島の西部に位置する葉山町。海と山に囲まれ比較的温暖なこの地では畜産業や水産、農業などが営まれている。そんな葉山町一帯で育てられる黒毛和牛「葉山牛」は関東を中心に高い人気を誇るブランド牛だ。
その葉山牛を飼育している石井牧場を訪ねた。
山合いの傾斜地で30年程前から70頭近くの和牛を育てている。この石井牧場も2017年の春からバイオバランス®を導入した牧場の一つだ。
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石井牧場の2代目である石井裕一さんに牛舎を案内してもらうと、最初に驚くのが、牛舎独特の臭いが少ないことだ。しかも牛の鳴き声すら聞こえてこない。
「バイオバランス®を導入してから糞の臭いも軽減されて、牛にとっても、飼育側にとっても環境が大きく改善されました。鳴き声が聞こえてこないというのは、牛がストレスを感じていないということの証です」と石井さんが説明してくれた。
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牛に与えている飼料は、大麦におからにビール粕、そして炊いた白米などを独自に配合し加熱発酵したもの。そこに新たにバイオバランス®を加えている。この特殊な乳酸菌を牛が摂取することで、大腸菌などの悪玉菌が減り、栄養を蓄えやすくなる善玉菌が増えるのだそうだ。
牛の寝床である敷料(牛の寝床に敷くワラやオガクズなどのこと)にも特徴がある。一般的には敷料は菌を繁殖させないために乾燥させる事が大前提となっているが、この牛舎の敷料は水分量が多い。バイオバランス®を含有した糞と尿は、木くずをまぜて発酵させることで熱が発生し、その熱が病気の原因になる有害な菌を滅ぼしてくれるのだという。
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事実として、バイオバランス®を導入して約8ヶ月、牛が病気にかかり獣医を呼んだのは1回のみ。それまで飼料や敷料に発生することが多かったカビもゼロになったそうだ。
「今までいろいろ試してきたが、ここまで結果が明確に見えてくるものはなかった。手間をかけなくても自然に牛が健康的にすくすく育っていくことが驚き。できるお肉も美味しいうえに、飼育の作業や治療費などのコストまで軽減できるのもありがたいです」と、石井さん。
“微生物の力を活かす”ある研究者の信念が生んだバイオバランス®
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石井さんがバイオバランス®のことを知り自ら連絡を取ったのが、株式会社バイオバランス代表の内藤善夫さん。内藤さんは、バイオバランス®を提供するだけでなく、その効果を最大化させるため、飼育サイクルや健康管理に至るまで、きめ細やかに石井牧場の飼育活動をサポートしている。
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バイオバランス®とは、正確には抗カビ活性をもつ特別な乳酸菌株であるアンティムッファ株という乳酸菌を添加した飼料のこと。このアンティムッファ株を世界で初めて発見したのが内藤さんだ。日本をはじめ中国や韓国、アメリカで特許を取得。2002年からバイオバランス®の製造会社を設立し、今では全国200ヶ所以上の牧場等で、その導入を軸にした飼育指導と飼育管理を実践している。
内藤さんの研究者としての経歴はユニークだ。
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高校卒業後に留学先とした選んだ中国で、普段の食事が体に合わず体調を崩し、食と健康の密接な関わりを実感したという内藤さん。その後イタリアの友人からもらった1本の高級ワインを飲み、その味に感動する。美味しいワインが生まれる背景を探りたいという強い衝動にかられた内藤さんは、23歳の時にイタリアに渡り、以後ワイン作りの勉強に専念したそうだ。
「美味しいワインを作るためには、当然おいしいブドウが必要で、さらに深く掘り下げると、おいしいブドウのためには、良い土壌があることが大前提ということを知りました。そして良い土壌には微生物が関与している事実を知り、土から菌へと興味が変わっていったのです」。
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帰国後に乳酸菌の権威として知られる大学教授に師事し、数年間に亘って乳酸菌を研究。その後、アンティムッファ株を発見することになったのだ。
「乳酸菌を使って牛の腸内環境をよくすることはひとつの手段です。人間都合の飼育ではなく、自然に近い姿、自然が本来持つ微生物の力をしっかり理解し活用することで、家畜にとっても生産者にとっても消費者にとっても無理のない畜産業の循環を作りたい」と内藤さんは語る。
見据える先は地域を豊かにする循環型農業
石井牧場が内藤さんのバイオバランス®を導入することで得た恩恵は、堆肥作りにも及んでいる。
バイオバランス®に含まれる乳酸菌は牛の糞にも残り、それが良質な堆肥を養ってくれるのだ。従来は、蓄積した糞を撹拌させることで空気と混ぜて発酵させていたうえ、十分な状態に仕上げるまでに長期間かかっていたが、バイオバランス®を取り入れた牛の糞は、乳酸菌の働きもあって積んでおくだけで勝手に発酵が進むのだという。乳酸菌による発酵は温度が60℃前後までにしか上がらないため、有用な微生物が生きた状態の堆肥が出来上がるのだ。
堆肥は産業廃棄物扱いとなるため、状態が悪く処理できない堆肥はお金をかけて捨てるケースが多いそうで、畜産農家にとってそのメリットは決して小さくはない。
石井さんは今後、このバイオバランス®の堆肥を葉山周辺で野菜を育てている農家に積極的に普及させていきたいと考えている。
「よい環境で牛を育てることが、周辺でよい野菜を育てることにも繋がる。将来的には、バイオバランス®を軸に、牛舎と農場、そして直売所とレストランまで一体となった観光施設を葉山に作るのが夢なんです」と石井さんが語ってくれた。
内藤さんが開発し、石井さんら多くの生産者からの共感を集めているこのバイオバランス®。現在の畜産業と農業が抱える課題を解決し、持続可能な産業に変革させていく大きな切り札に成り得るかもしれない。