江戸を支えた郷土料理「深川めし」
江戸の労働者に愛されたスタミナ飯
東京都江東区の西部に位置する深川。主に門前仲町から清澄白河辺りの地域を差し、下町情緒が漂う、のんびりとした雰囲気が魅力のエリアだ。かつて、松尾芭蕉や伊能忠敬が暮らしていたまちとしても知られている。
現在の門前仲町を中心に、深川の辺りはもともと海が広がっていた。江戸時代の深川は寺町、材木商店が多く集まる木場、江戸の物流の一大拠点である倉庫街、そして漁師町といった様々な機能を持ち、多くの人がこの地域で働き、江戸の繁栄を支えていた。そんな力仕事に関わる労働者たちを支えた食の一つが、深川めしだ。
深川めしというと、よく駅弁にも見られるアサリの炊き込みご飯をイメージする人が多いだろう。しかし、深川めしとは元来、ざっくりと切った葱と生のアサリを味噌で煮込んで、熱いご飯にぶっかけたものをさす。
「当時深川は貝類が豊富に獲れる漁師町として有名で、アサリを“ワク”と呼ぶくらい、湧くように獲れたそうです。だから、気軽に使いやすかったんでしょうね。昔は保温ジャーなんてないですから、家で炊いてきたお米が冷めたところに、サッと味噌で煮立てたアツアツのアサリを汁ごとぶっかけて、ささっとかきこんでいたようです」
そう話すのは、2代目店主・日東寺麻紀さん。当時はまだ醤油が高価な調味料だったことから、味噌で煮込んでいたのだという。アサリはタウリンのほか、鉄や亜鉛などのミネラルを豊富に含んでおり、栄養価が非常に高い。力仕事をする人にはもってこいの食材である。
明治時代に入ると、庶民が気軽に醤油を使えるようになり、大工などの職人が弁当として持っていきやすいようにと、醤油で炊き込んだ深川めしが生まれた。それから昭和の初期までは、深川めしを売る屋台や一膳飯屋も多く存在し、一般家庭でも食べられていた。
「当時の深川を知る人に聞くと、まちを歩けばアサリの潮の香り、角を曲がれば材木問屋さんの木の匂いがしたそうです」
失われかけていた食文化を再び
しかし、水の汚れと埋め立てによって、深川の漁業は昭和30年代に終焉を迎える。海が遠くなり、深川から漁師が姿を消していくことで、深川めしも食べられる機会がほとんど無くなってしまった。
そんななか、深川の食文化である深川めしを、郷土料理として復活させようと奮起したのが、「深川宿」の初代であり、麻紀さんの父・日東寺隆美さんだ。もともと材木関係の仕事をしていたそうだが、飲食業に関心があり、結婚を機にその道に入った。
「女将さん(母)が料理上手だったのもあって、2人でいろいろな飲食業をやっていたそうなんです。そうしたら、たまたまこの土地が空いて。当時は、材木屋さんもまだまだ多くて、職人さんはじめ独身の男性が多かったので、ご飯とお酒の両方を楽しめるダイニングバーのような店をやっていました」
当時はもう、このエリアに深川めしを提供する店はほとんど残っていなかったという。しかし昭和60年前後になると、まちに少しずつ変化の兆しが。江戸の風情が残る門前仲町〜森下までの深川エリアを、観光地として盛り上げていこうという取り組みが江東区で始まったのだ。
日東寺家が営むダイニングバーの目の前にも、「深川江戸資料館」が開館することが決定。それならば、江戸から続く深川の食文化である深川めしを、たくさんの人に知ってもらいたいと考えた隆美さんは、深川めし専門店を始めることを決意した。
ダイニングバーを改装し、昭和62年(1987年)に「深川宿」をオープン。隆美さんの仲間の材木屋や大工職人からの提案で、江戸時代から建つ家を取り壊した際に出た板を、店の看板やテーブルなどに使用していて、江戸風情が漂う粋な店へと変身した。
生アサリにこだわった、甘めの味噌仕立ての深川めし
「深川宿」では、元祖深川めしの「ぶっかけ」と、炊き込みご飯の「浜松風」、どちらも提供しているが、この日いただいたのは両方のミニ丼が楽しめる「辰巳好み」。江戸時代を中心に深川で活躍した芸者「辰巳芸者」からとり、「彼女たちだったらきっと両方の深川めしを食べたいのではないか」と想像して、名づけたメニューだそう。
「お店を始めるにあたって、親方(父)は元漁師さんに実際にぶっかけの深川めしを作ってもらったんです。ただ、大人の男性が力仕事をしたときに食べるものなので、かなり塩辛い味付けだったと。当時から食べる人によって、ちょっとずつ味を変えていたそうなんですね。そこでうちでは、小さいお子さんからご年配の方まで幅広く食べてもらえるように試行錯誤して、甘めの味噌仕立てになりました」
ぶっかけは、アツアツの汁がしみ込んだご飯を混ぜていただく。長野生まれで味噌の扱いが上手な麻紀さんの母・紀美子さんが編みだしたという、赤味噌と白味噌がブレンドされた秘伝の味噌は、ほっとするやさしい味わいだ。一方、炊き込みはあっさりとしていて上品。おにぎりにして何個も食べたくなる美味しさだ。
味の決め手となるアサリは、昔から付き合いのある浦安の貝屋さんから仕入れた生アサリを使用。冷凍ものは一切使わず、獲れたての新鮮なアサリにこだわっている。そのため臭みもなく、生姜を入れなくても美味しく仕上がるのだそう。
「アサリって北海道から九州まで、幅広く獲れるんですよ。でも、深川めしに一番合うアサリ、ご飯と合わせたときにちょうどいい硬さ、大きさってあるんです。酒蒸しにするなら大きくて歯ごたえがあるアサリがいいけれど、それを深川めしに合わせるとご飯が負けちゃうんですよね」
「今日は割といいアサリが入ったんで、よかったら見てみてください」と麻紀さんが見せてくれたのは、ぷっくりとした美味しそうなアサリたち。“旬”の5〜6月になると、産卵に向けて身がパンパンになり、甘みが増すのだそう。
深川の歴史や文化を次の世代へ
今では専門店のみならず、蕎麦屋や中華、居酒屋など、様々な飲食店が提供している深川めし。
家によって少しずつ味が異なる家庭料理のように、深川めしもまた、お店によって独自の味が楽しめると思うと、深川に何度も訪れたくなりそうだ。
今の「深川宿 本店」の客層は、清澄白河に散歩をしにきた若いカップルや友人同士から、お年寄りまで幅広い。アジアやヨーロッパからの外国人観光客の来店も増えている。
21歳から先代とともに仕入れや調理を担い、2016年にお店を継いだ麻紀さんの深川への想いは深い。
「本当に深川が好きなんです。小さい頃からこのまちのお寺で遊んだり、近所のおじいちゃんおばあちゃんに声を掛けてもらったりして、深川に育ててもらったという感覚なんですよね。高校卒業後に、語学留学で2年間アメリカに行かせてもらったときに、自分のまちについて話す授業があって、これだけ人に語る内容があるっていうのは特別なのかもしれないなと思って。深川の歴史や文化を後世に残していくためにも、もっととたくさんの方に深川めしを知ってもらいたいですね」
「深川宿」も加盟している「深川めし振興協議会」では、江東区民祭りや東京マラソンなどのイベントで深川めしを提供したり、歴史を学べるブースを出したりするなど、その魅力を発信している。麻紀さん自身も、ゆくゆくはまちの小中学校の調理実習などで、ぶっかけの深川めしの作り方を教えにいきたいと考えているそう。
深川めしという食文化が、まちを愛する人たちの手で復活し、こうしてさらに広がっていこうとしていることに、大きな希望を感じた。