夏に飲みたい発酵飲料「甘酒」 神への供物から庶民の嗜好品に
製法によって個性が別れる、二種類の甘酒
千年以上の歴史をもつ、日本の伝統的な甘味飲料「甘酒」。古代は高貴な供物に用いられ、現代においても大晦日や、桃の節供などの行事食として親しまれている。
その長い歴史を紐解いていく前に、甘酒の種類について概観しよう。甘酒は主に「麹甘酒」と「酒粕甘酒」の2種類にわけられる。それぞれで製法が大きく異なり、その違いが味や風味に反映される。
麹甘酒は、米麹の働きが味の決め手になる。簡易的な製造方法だと、蒸したお米と米麹、水を攪拌して発酵させれば一晩で完成する。発酵の過程で、米麹のもつ酵素が米のデンプンをブドウ糖や麦芽糖などに分解。この「糖化」の作用により、砂糖を使わずとも自然な甘さが引き出される。アルコール分を含まないので、市場に出るときは清涼飲料水扱い。お酒が苦手な人や子どもでも美味しくいただける。
一方の「酒粕甘酒」は「酒粕」が主原料になる。酒粕とは、日本酒の製造過程で生産される「もろみ」を圧搾した際に出る固形物。これをお湯で煮溶かして、砂糖で調味すれば出来上がる。まろやかな口あたりの麹甘酒に対し、こちらは酒粕独自の芳醇な風味が持ち味。ただし、加熱しているとはいえ酒粕のアルコールが微量ながら残っている。
甘酒のもつ機能性についても注目したい。近年は成分の研究が進み、アミノ酸やビタミン類などの栄養素を含んでいることが確認されている。麹甘酒に含まれているオリゴ糖やブドウ糖は、身体を動かすためのエネルギー源に。酒粕甘酒に含まれているレジスタントプロテインというたんぱく質は、コレステロールの摂取を抑え、ダイエット効果が期待できるという。
幕府も効果を認めた、江戸っ子たちの栄養ドリンク
甘酒の存在が歴史書に示されたのは、奈良時代に編纂された『日本書紀』から。これによると、288年頃、古代の先住民が応神天皇に「醴酒」(こさけ)を捧げたとの記述がある。醴酒とは米や麹などでつくったお酒で、麹甘酒のルーツを見ることができる。
同じく『日本書紀』に記述されている「天甜酒」(あまのたむざけ)も甘酒の原型とされる。こちらは、日本神話に登場する女神「木花咲耶姫」(コノハナサクヤヒメ)が子を成したことを祝って醸したお酒である。
また、奈良時代の歌人・山上憶良が詠んだ「貧窮問答歌」には、酒粕をお湯に溶いた「糟湯酒」(かすゆざけ)が登場。寒い夜、糟湯酒を飲んで暖をとる庶民のわびしさがしみじみと描き出されている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
室町時代になると甘酒の行商も現れるようになり、江戸時代には庶民の間に麹甘酒が浸透する。すでに製法が確立されていたようで、甘酒づくりを内職にする武士も少なくなかった。
現代は冬に飲むイメージが強い甘酒だが、江戸の庶民には通年飲まれていた。特に夏場の必需品で、夏バテ予防や疲労回復のための栄養ドリンクとして重宝されたという。その効果を認めた幕府は、甘酒の上限価格を設定。手ごろな価格が維持されたことも普及の後押しに。
ところが、大正末期以降に状況が一変。関東大震災の影響や、東京大空襲が追い打ちとなり、多くの甘酒売りが廃業を余儀なくされる。やがて高度経済成長期に突入し、庶民の生活様式も変化。甘酒は暮しから遠ざかり、行事食としての側面が色濃くなっていった。
しかし、長きにわたる停滞期も2000年代に終わりを遂げる。甘酒のもつ健康・美容効果が再注目され、ブームが到来。発酵食品ブームも追い風となって、酒造メーカーや醸造メーカーが市場に参入。飲用だけではなく、甘酒を使った料理やスイーツなども登場し、いまなお進化を続けている。
170年以上愛される、五日仕込みの名店の味
東京都千代田区、JR御茶ノ水駅から中山道(国道17号)に出て、秋葉原方面に歩くこと数分。江戸総鎮守「神田明神」の鳥居脇に昔ながらの風情を残した茶店が現れる。ここ、「天野屋」は170余年の歴史を誇る甘酒店。江戸時代から変わらぬ製法で、糀甘酒をつくり続けている。
かけつけに冷やし甘酒を一杯――。ミルキーな味わいとともに優しい甘さがとろりと喉をすり抜けて、炎天下を歩いてきた身体にじんわり沁みる。
「飲みやすいでしょ? うちは砂糖も香料も無添加なんですよ」。
そう話すのは、女将の天野史子さん。姉妹で天野屋に嫁いでおよそ60年、姉の寿美子さんと二人で店を切り盛りしている。
「何十年も頑張ってこれたのは、毎日飲んでいる甘酒のおかげ。甘酒の効果が見直されてきたからか、ここ数年間は若いカップルや外国の方の来店が増えています」
天野屋の甘酒は、地下6メートルに掘られた「室」(むろ)という地下室で製造される。一帯に広がる関東ローム層は地盤が強固で、室づくりにうってつけ。室温も一定に保たれており、急な温度変化を嫌う糀を育てるには、絶好の環境なのだ。そうした土地柄もあって、江戸時代の湯島台地には100軒近い甘酒屋が軒を連ねていたという。
甘酒激戦区を勝ち抜いた老舗の味を守るのが七代目店主・天野太介さんだ。この道18年、甘酒を離乳食に育ち、幼少時代は室が遊び場代わりだった。
「甘酒づくりは男の仕事。これが天野屋のしきたりです。レシピやマニュアルは存在せず、身体で覚えていきます」
天野屋の甘酒は糀の仕込みも含めて、五日がかりで製造される。一日目はうるち米を洗って水に浸し、二日目の朝にその米を蒸して攪拌器に投入。
そこへ複数の糀菌を散布して、地下の「床場」(とこば)へ送りこむ。糀菌によって粘り気がついたお米を毛布で包み、しばらく休ませる。
夕方になったら毛布を解いて「床もみ」の作業に移る。くっついた米を手でほぐしながら、温度や水分をチェック。翌日に米の中が42℃くらいになるように温度調整が行われる。
そして三日目の朝、米を発酵器に移して発酵を促進。20時間が経過した四日目の朝、発酵器に入れた米がサラサラになっていれば、米糀の完成だ。ここまでくると工程も最終段階に。米糀に蒸した米と熱湯を加えて攪拌。さらに60℃前後の温蔵庫で一日熟成させたら、いよいよ甘酒が出来上がる。
「温度が高すぎるとベタっとして糊のような口あたりになるし、低すぎると酸っぱくなってしまいます。一部を機械化しているとはいえ、一つひとつの工程を人の手で管理しなくてはなりません」と、太介さん。
毎日が体力勝負だというが「うちはずっとこの製法でやってきましたから」と、ほがらかな笑顔を見せる。
天野屋は甘酒の製造・販売のみならず、糀づくりや甘酒づくりの講座にも積極的に協力。古より脈々と受け継がれてきた発酵食文化をいまに伝えている。
最後に、これからの暑い時期にぴったりな夏期限定の氷甘酒を紹介したい。甘酒特有の甘みと冷たい氷が醸し出す上品な味わいで、甘酒の魅力を再発見できる逸品だ。
歴史を感じる涼やかな空間で、ぜひ味わっていただきたい。