欧州の人々をも魅了した最高級の日本茶「玉露」
製法の違いで別物となる「煎茶」と「玉露」
煎茶と抹茶が異なるように、ふだん私たちが飲んでいる煎茶と玉露は別物だ。一本の茶の木からも、栽培方法と製造方法の違いでさまざまな味わいのお茶が生まれることが、日本茶の奥深さである。
煎茶とは、収穫した茶葉を蒸してから揉むという工程を経て作られるお茶で、その蒸し時間の長さによって普通の「煎茶」と「深蒸し茶」とに区別される。
一方玉露とは、蒸して揉む工程は一緒だが、収穫前の約20日間、覆いをかぶせて新芽を日光に当てずに柔らかい状態の茶葉だけを使う。しかも一番茶のみしか収穫しない。これにより渋みの元となるタンニンが抑えられ、うま味成分の濃い、まったりとした甘い味わいになる。
また、玉露と同様に覆いをかぶせた生葉(なまは)を、蒸してから揉まずに乾燥させ、茎や葉脈を取り除いたものを碾茶(てんちゃ)という。これを臼で挽くと抹茶になるのだ。
味と香りのよい茶を育てる清流域
静岡茶の祖といわれるのは、駿河国(するがのくに)出身の聖一国師という高僧だ。鎌倉時代に修業先の宋から茶の種を持ち帰り、駿河国に蒔いたのが始まりとされている。室町時代には、同じ駿河国の朝比奈川沿岸でも茶が栽培されていたと伝わる。朝比奈川の上流から中流域は早朝、朝霧のたつような冷涼な気候で、香りと味のよい茶葉が育つのに適していたようだ。
一方、玉露の製法は江戸時代末期に江戸の茶商によって、より高級な煎茶を目指して考案された。朝比奈で玉露が栽培されるようになったのは明治30年頃から。昭和には京都の宇治、福岡の八女、そして朝比奈が三大産地と呼ばれるようになるが、それぞれに個性があり、ここ朝比奈では「静岡式」と呼ばれる針のように鋭く尖らせた茶葉の揉み方に特長がある。
玉露づくり60年、前島東平名人の仕事
朝比奈で60年、玉露づくりを手がける名人、前島東平さんの工房を訪ねた。季節は5月初旬、玉露用の一番茶を収穫できる期間はわずか1ヵ月たらずだという。しかも、東平さんの茶畑は減農薬、なおかつ完全手摘みを行っているため、生産量は非常に限られている。
「昭和の半ば頃は集落の全員が玉露を作っていました。高級料亭とか、趣味の茶人とかがお客さんでね。今では生産者は8〜9人に減ったかな。手間が大変なわりに儲かりはしないんだよ。これからの若い人には無理な仕事になっているかもしれんなあ」と、東平さん。
それでも続けてきたのは「東平玉露」と、自分の名前で逸品を生み出してきたから。26歳の時、叔父の指導を受けて品評会に出したお茶が一等賞に輝いた。その後、何度も農林水産大臣賞を受賞、玉露づくりをとことん極める人生が始まったのだ。
そんな東平さんの玉露づくりの工程をおしえていただいた。
①茶畑の土づくり、手入れ
一年のうち11ヵ月は収穫のない玉露畑。土づくりや木の保全に費やす。東平さんの畑では「さえみどり」「ごこう」「おくみどり」「やぶきた」の4品種を育てているが、現在、品評会で圧倒的に人気があるのは、まろやかでやさしい味わいの「さえみどり」だという。
②摘採
菰(こも=わらを編んでつくった覆い)の下でひとつひとつ新芽を手摘みする。
③萎凋(いちょう)
一日竹籠に入れた生葉に手を入れて平均的に乾かすことで、香りを際立たせる。
④蒸熱(じょうねつ)
茶葉を蒸すことにより、酸化酵素の働きを止め、葉の緑色を保つ。
⑤粗揉(そじゅう)
茶葉を柔らかくするため、打圧をかけて揉んだりほぐしたりしながら、人肌程度の熱風によってじっくり時間をかけながら約40%程度まで水分を飛ばしていく。水分量の見極めにも、名人の勘がさえる。
⑥揉捻(じゅうねん)
さらに茶葉の成分を浸出しやすくするため、加熱なしで圧力をかけて揉む。東平さんは圧力を微調整し、葉の手触りと香りを確認しながら茶葉の味が変化する過程を見守っている
⑦中揉(ちゅうじゅう)
再び35℃前後の熱風をかけながら水分量を30%程度まで落とす。次の工程で茶葉を整形しやすいように乾燥させている。
⑧精揉(せいじゅう)〜乾燥
針のような茶葉に整えながら、乾燥させる。東平さんのつくる玉露はこの整形も特長的で、「アザミの花びらのよう」に整えることが味の面からも理想だという。また、水分含有量を5%程度まで下げることによって、茶葉に美しい照りが生まれ、保存性が高まる。
「これが日本一小さな中揉機だよ」と、東平さんがみせてくれた中揉機の容量は35kg。一般的には200kgくらいを一度に揉むが、味を左右する工程だけに、東平さんは集中できる量としてこれ以上の量は扱わない。
その茶葉が精揉まで終え、完成品として袋につめられたときは5kgの重さになっていた。これが東平さんの1日の生産量とは、いかに玉露づくりが手間のかかるものかがわかるだろう。
玉露はいま、世界のGYOKUROへ
東平さんの畑では、10年以上前から減農薬栽培を手掛けてきた。
「収穫予定日の180日前、11月頃から親葉にも農薬はかけないようにしている。うちの畑は、水はけのいい急斜面にあるし、根をしっかりと張らせているから木が丈夫。あとは土づくりが重要だね」。
そのこだわりが認められ、特に農薬規制の厳しいフランスの検査に合格。フランスの有名な専門店がGYOKUROとして世界に売り出しているのは東平さんの茶葉だ。ほかにもドイツや中国などから引き合いが続き、今では輸出が60〜70%を占めている。
「海外の人はインターネットを見て、直接朝比奈まで来てしまうんだよね。こちらもその気になって伝統的な玉露の茶ばらを見せてやりたいと、昔ながらの藁を編んだ菰(こも)を使いつづけたり、茶畑に見晴し台『もてなし処茶ばら』を自分で作ったり。やはり産地で畑を眺めながら本物の玉露を味わってもらうと、みなさん感動してくれます」と、東平さん。
近年、新東名高速道路の藤枝岡部インターチェンジが開通。そこから車で約15分程度とアクセスも便利になり、これからは玉露の茶ばらに行くのがもっと身近になりそうだ。
「つゆ茶」で味わう玉露
東平さんの玉露の味わい方がわかる、「つゆ茶」という淹れ方で一服頂戴した。
一煎目
蓋付きの湯呑み茶碗を用意し、約3〜4gの玉露を入れる。
別の容器に約20ccの湯を注ぎ、40℃前後まで冷ます。
その冷ましたお湯を、湯呑み茶碗の茶葉の周囲から静かに注ぐ。
湯呑み茶碗の蓋を閉じて2分半ほど待つ。
蓋を少しずらして、その隙間からしみ出る玉露の“つゆ”を、すするようにいただく。
これがお茶なのかと驚く。ほんのひとしずくで、出汁あるいは海苔のような強いうま味を感じ、その余韻は時間が経ってもなかなか消えることがなかった。
二煎目/三煎目
一煎目と同じ方法で、しだいにお湯の温度を少し高め、量も少し多めに注ぐ。
玉露を食べる
二煎目/三煎目の後に、ポン酢少々と鰹節をかけ、よく混ぜる。青菜のおひたしのような味わいで食べられる。
「喉を潤すのは煎茶、心を潤すのが玉露」と、くりかえし語っていた東平さん。たしかに、喉が渇いて飲むものではなく、香りを楽しみ、豊かな時間を味わうためのお茶だった。
心を潤す玉露とはどのようなものか、ぜひ経験していただきたい。