旬のしじみは“音”で採る
昔ながらの「手採りカッター漁」とは
東京から高速道路を利用し、車でおよそ2時間。うっすらと筑波山を背景に、青々と広がる涸沼には、圧巻の風景が待ち構えていた。一寸法師のように長い竿を水面に刺した木舟が100隻近く浮かんでいる。わずかな風の音と、しじみを収穫している音であろうか、時折響く「シャリンシャリン」という音だけが、のどかな景色に静かに響きわたる。
「涸沼のしじみ専門の漁師は、全部で240人。乱獲を防ぐために、権利をもつ人間を制限しているんだ。いまも空きを待っている人が大勢いるよ」と迎えてくれたのは、しじみ漁歴10年の古橋政道さん。資源を守るため、漁の時間は午前7時?11時まで、漁獲量は100kg、径12mm以下は採らないなど、ルールが厳しく定められているという。
舟の上では何が行われているのか。これから漁に向かうという古橋さんの舟に同乗させて頂いた。涸沼のしじみは、「手採りカッター漁」という、現在では大変珍しい昔ながらの漁法で採られている。船外機などの動力に一切頼らずに、舟から湖底に下ろした「カッター」と呼ばれるカゴ付きの竿を使う。潮の流れや風の力を利用し、少しずつ舟を動かしながら、湖底の砂の上に生息するしじみをカッターで巧みにかきあげるのだ。
あれよ、あれよという間に大量のしじみを収穫する古橋さん、一見、単純な作業で簡単そうにも映るが、長く修行を積んだ熟練のなせる技なのだとか。「やってみるとなかなか難しい。潮の流れが強くてもだめ、潮の流れがなくてもだめ、舟の揺れに調子を合わせ、体重や竿のしなりを上手く使う感じ。力を入れすぎると、土まですくってしまって竿が重くなる」と古橋さん。そして何より難しいのが、湖底の世界が全く目に見えないこと。「どこに、どれだけのしじみがあるのか、まったく分からない上、カゴの中にしじみがちゃんと入ったかどうかも分からないから大変なんだ」。そこで古橋さんが頼りにしているのが、湖底から竿を伝って聞こえてくる「シャリンシャリン」という音なのだそう。土としじみの隙間に綺麗に竿が入った時は、貝だけがカゴに入り、貝と貝がこすれ合う「シャリンシャリン」という軽妙な音が、湖底から円筒の竿を通じて聞こえてくるという。古橋さんは「昔から涸沼のしじみは音で採るって言われてきた。何年も続けていると、その音だけで、しじみがどれぐらいあるのか、5m下の湖底の景色を把握できるようになる」と音の大切さを語ってくれた。
こだわりたいのは、しじみの鮮度
涸沼のしじみ漁師は、なぜ、わざわざ、そんな地道な漁法にこだわるのであろうか。その理由は、やはり、しじみの鮮度を守りたいから。「船外機の動力で、大きなカゴで、一気に底をすくいあげる方が効率的であるとは思いますが、しじみは、べろを出して土に潜っているわけですから、機械を使ってがばっていくと、しじみがびっくりしちゃうんですよ」と古橋さん。機械漁だと、貝に傷がつく上、しじみにストレスがかかり、砂を吐かなくなるという。涸沼のしじみの鮮度が長く続くのは、漁師さんが昔ながらの手採りで丁寧に漁を続けているからなのだ。
漁から上がると、次は、カゴ一杯に収穫したしじみの山から、ゴミや死骸を取り除く選別作業に移る。涸沼では、ここから先は、夫婦の共同作業になるのが一般的だ。古橋さんも奥さんの真由美さんと一緒に2時間かけて、毎日しじみの選別を行っている。ゴミを取り除くまでは機械に任せるが、死骸のしじみを見極めるのは、その道10年の真由美さんの経験がものをいう。同じ貝なので、外見からは生きているのか、死んでいるのか、区別がつかない。ここでも頼りにするのが「音」だ。両手で掴んだしじみの山を、順番に石台の上に落としていき、その落ちた時のしじみの音の響きで判断しているのだそう。死んでいるしじみは、実が細り、貝の中の空洞が増えるため、その音が軽いのだという。真由美さんは、一度に10?15個のしじみを振るい、瞬時に、死んでいる貝を音だけで見極める。素人では絶対に分からない、ほとんど手品の領域だ。
東日本大震災の影響で、地形が変わり、水深が30cm?40cm沈んだという涸沼。潮の流れが以前より強くなり、しじみ漁には、ますます技術と体力が必要になったという。古橋さんの手を見せてもらうと、毎日竿を力一杯握り、擦れた影響で、グローブのように、ぱんぱんに腫れ上がっていた。それでも、しじみ漁の奥深さに魅了されているという古橋さん。体が動く限り、ずっとしじみ漁を続けたいと語る。
「とにかく、楽しいんですよ。自分の勘とか読みが当たったり、外れたりで。同じ日が一度としてない。毎回道具を少し改良したり、漁場を微妙に変えたり。努力した分、それが結果として帰ってくるので」と笑顔を浮かべる。
取材の帰りに涸沼のお食事処「うおふね」で、しじみ汁を頂いた。
あさりと見紛う、涸沼の大玉のしじみから、出汁がよく出ているのか、コクがあり、深い味わいが口一杯に広がる。むき身にしたしじみの佃煮も粒が大きく、食感があり、やみつきになった。
自然が育てた極上の恵みを、人間の繊細な技術と誠実さを持って、食卓に届ける。
世界に誇る日本の食文化の一端を涸沼のしじみ漁に垣間みた気がした。