自然と人の力で甘みを増す、飴色の干し柿
なかでも島根県松江市東出雲町にある畑(はた)地区は、昔から干し柿の生産がさかんな地域だ。日本海に面した標高150〜200mの山間に位置し、山の傾斜に沿って乾燥した風が吹き込むことから、干し柿作りに適しているのだ。
柿の収穫を終え、干し柿のカーテンがかかる頃、我々は畑地区を訪れた。
寒冷な気候と土作りから生まれる良質な柿
日本各地で栽培されている柿だが、気候や土壌の違いによって、大きさ、形、食感などが異なる。
畑地区で栽培されている柿は、中国地方の代表的品種「西条柿」だ。溝が入った縦長の形で、渋柿のため、畑地区ではほとんど干し柿に加工する。
「西条柿」の干し柿の歴史は古く、戦国時代にまで遡る。
現在の広島周辺を治めていた毛利氏が、中国地方の覇権をめぐり出雲に攻め入る際に、干し柿が戦場での携帯食になるとして「西条柿」の苗木を持ち込んだことが始まりだといわれている。実際、畑地区には樹齢400年以上の古木が点在しており、その歴史の深さが伺い知れる。
畑ほし生産組合・組合長を務める石橋修治さんに、畑地区の干し柿作りについてお話を伺った。
「渋柿は寒冷地に適した品種といわれています。さらに、このあたりは土壌が粘土質なので、より良質な柿が育ちやすいんです」。
畑地区で育てられている「西条柿」の木はおよそ4,000本。冬の間に剪定をおこない、春になると堆肥を使って土作りをおこなっているという。
「農薬や化学肥料をできるだけ使わない生産方法に積極的に取り組んでいます。環境にやさしい持続性の高い農業をおこなう生産者、“エコファーマー”として、全農家が島根県の認定も受けているんです」と石橋さん。
土地の風土に恵まれているだけでなく、自然の力を活かした良質な土づくりをおこなっていることも、美味しい「西条柿」ができる秘訣なのだろう。
代々受け継がれた自然乾燥の技
柿が収穫されると、すぐに干し柿作りが始まる。畑地区では、生産をおこなう19戸それぞれに専用の「柿小屋」があり、加工から乾燥までをおこなっている。
「柿小屋は2~3階建ての木造の建物で、1階が作業スペース、2階、3階は干し場になっています。こうした専用の小屋があるのは、おそらくこの地区だけでしょう」と石橋さん。
畑地区ではおよそ二百年前から「柿小屋」で自然乾燥の干し柿を作り始めており、いまもなお二酸化硫黄による燻蒸もせず、その伝統的な手法は大切に守り続けられている。
干し柿作りは、まず紐で吊るすための加工から始まる。専用の機械でヘタ部分を取り除き、1個ずつ丁寧に皮をむき、重さごとに仕分けしたうえで紐に取り付けていく。一部は機械が使われているが、ほとんどの工程は手作業でおこなわれる。毎年秋になると地域の人が集まり数名がかりで進められるそうだが、柿小屋一棟あたり柿2〜3万個にもなり、大変な作業だ。
しかし、肝心なのはここからだという。
「干し柿作りで一番重要なのは乾燥です。私たちは自然乾燥にこだわり抜いています。これには熟練した経験と知識が必要で、限られた人にしかできません。晴天の日には窓を開放し、雨が降ったら窓を閉めるなど、室内の風通しがよくなるように天候によって調整しています。一番の大敵は湿気ですが、風をあてすぎても硬くなってしまうので、乾燥の度合いによって小屋のなかで吊るす位置や階を変えて、細かく加減しているのです」。
特に秋から冬にかけて、朝晩の気温が大きく異なるため、この作業は昼夜問わずおこなわれるという。
「夜中でも頻繁に柿の様子を見に行くので、この時期の睡眠は平均3〜4時間。遠出するなど家を空けることはまずないですね。手間暇はかかりますが、それだけいい商品ができるということです」。
こうして丁寧に乾燥され飴色になった干し柿は、甘みが凝縮し、糖度は80度前後にもなるという。
畑地区の柿小屋は、日中も干し柿のカーテンがなびき絶景だが、夜間も作業の灯りで、柿小屋がライトアップされ、それもまた美しいのだそうだ。
干し柿文化を後世に受け継ぐ
手間暇をかけて作られた干し柿は、「まる畑干し柿」として関西や関東の高級食材店や大手スーパーでも扱われている。
2015年に開催されたミラノ万博にも出品し、海外の方からも好評で、問い合わせが殺到したという。
これからさらに干し柿作りを拡大していくのかと思いきや、「そうではない」と石橋さん。実は「柿小屋」は干せる柿の量が決まっているため、生産量は増やせないのだという。さらには、最近では地域内の高齢化と後継者不足が深刻化している。
そうした状況を打破するため、畑地区ではさまざまな取り組みを始まっている。
その一つが「柿オーナー制度」だ。柿の木のオーナーになると、地域の人の指導を受けながら、実を育てて収穫するところまでを楽しむことができる。1本につき200個の収穫を保証しており、毎年たくさんの応募があるようだ。
さらに、若い世代の人に畑地区の干し柿文化を知ってもらうために、地域の小、中学生の総合学習を受け入れているほか、干し柿のカーテンができる頃、撮影をしに観光に訪れる方を相手に、柿や干し柿を提供する特設のカフェを開くなど、交流イベントも積極的におこなっているのだ。
畑地区の人たちは、代々受け継がれてきた技術を守り伝えつつ、新しいことにも挑戦し続けている。
干し柿文化は、気候や風土だけでなく、地域の人々によってここまで長く続いてきたのだ。