湖畔の恵みが育む“すっぽん”と“うなぎ”
静岡県浜松市にある浜名湖もその一つ。
太平洋、遠州灘に面する浜名湖の周囲は114km、汽水湖としては日本一の周囲長を誇る。一日でおよそ4,000万トンの海水が出入りし、海水・淡水の700種を超える魚介類が生息している資源豊富な湖だ。こうした自然環境のもと、浜名湖周辺では“すっぽん”と“うなぎ”の養殖が営まれてきた。どちらも日本有数の産地とされ、先人たちの知恵と技術が、いまもなお受け継がれている。
本来の旨みにこだわる すっぽん養殖
浜名湖の湖畔にある広大な沼地を利用してすっぽんを養殖している服部中村養鼈場(ようべつじょう)を訪れた。
養殖池では捕獲作業が行われている最中。7?8人の作業者が膝下まで沼に浸かりながら、鍬を用いて土にまみれたすっぽんをすくいあげていた。甲羅に傷をつけまいと、慎重に歩を進め、鍬を入れていく。
服部中村養鼈場の代表取締役、服部征二さんは「すっぽんの養殖は、いかに自然に近い環境で育てることができるかが勝負」と話す。
「私たちは露地養殖(自然条件のもとにおこなう養殖方法)にこだわっています。すっぽんは非常に繊細な生き物なので、機械を使わないことはもちろんのこと、除草剤などの薬剤も一切使用しません。自然に近い形の養殖方法ゆえに、当然、脱走したり途中で死んでしまうリスクもありますが、すっぽん本来の味を引き出すには、露地養殖によってストレスを与えないことが何より大切です」。
露地養殖のすっぽんは、夏場に大量のエサを食べ活動し、冬場は冬眠するという、すっぽん本来の成長に合わせたサイクルを繰り返して育てるため、出荷用の大きさに成長するまで3?4年かかるとされる。また、成長に応じて池が手狭になるため、定期的にすっぽんを他の池へと移し替える作業が必要になるのだそうだ。
服部中村養鼈場の創業は明治12年(1879年)に東京都・深川でうなぎの飼育研究を開始したことにはじまる。創業者の服部倉治郎は、それ以前から川魚商の仕事と並行して続けていたすっぽんの飼育研究の実績を活かし、養殖事業を始めるにあたって、浜名湖をその地に選んだという。
周辺の気候が温暖であったこと、すっぽんに必要なエサが豊富であったこと、東京と大阪という二大消費地の両方に出荷するときの距離といった地理的利便性など、浜名湖はすっぽん養殖業を営む上で数々の恵まれた条件を備えていた。以来、百数十年にわたり、露地養殖という手法ですっぽん養殖が続けられてきた。
近年はコラーゲンを多く含むことから女性からも注目されるようになったものの、依然として高級食材としてのイメージが強く、すっぽんの魅力が広く普及していない現状を改善することが今後の課題だという。
「一度食べていただく機会さえあれば、皆さんにすっぽんを美味しいと思ってもらえる自信があります。自然環境で育つすっぽんは濃厚さと淡白さ、旨みが凝縮されています。この本物の味を一人でも多くの人に感じてほしい」と、熱い思いを抱くのは服部中村養鼈場、代表取締役会長の服部訓明さん。
服部中村養鼈場では気軽にすっぽんを楽しめるよう、加工品の開発もおこなっている。スープやカレーなど家庭で食べられる製品のラインナップを揃え、その普及が図られている。
先人たちの知恵が支える 浜名湖のうなぎ
続いて訪れたのが、同じく浜名湖で養殖うなぎを生産している浜名湖養魚漁業協同組合。話を聞くと、うなぎの養殖もすっぽん養殖と同じ人物、服部倉治郎が同時期に浜名湖で始めたことがきっかけだという。
浜名湖では温暖な気候はもちろんのこと、冬から春にかけて黒潮に乗ってやって来る、うなぎの稚魚となるシラスウナギが豊富に獲れることもあって、うなぎの養殖が栄えてきた。
うなぎの稚魚は人間の足音でも過敏に反応するほどの繊細さを持つそうで、それゆえ、うなぎの養殖は片時も注意を怠ることなく、手間ひまかけて育てられていく。
そして、出荷時期となると長年の経験が必要となるうなぎの選別作業がはじまる。養殖場から水揚げされた大量のうなぎを、「より台」と呼ばれる木製の選別台に流し込み、職人達が長さと太さなどを見極め振り分けていく。
サイズによって1匹あたりの値段は大きく異なるため、慎重に正確に判断する必要がある一方で、その物量の多さゆえ手早く裁いていくスピード感も求められる作業だ。
「昔からより台は地元の船大工さんに特注して作ってもらっています。実はこの素材が木製であることにも意味があります。木の表面が適度にざらついていることで、台の上をうなぎが速すぎない程度にうまく滑り落ちてくれるから、正確に選別できることができるんです」と組合の大石哲也さんは教えてくれた。
すっぽんの養殖と同様、ここでも長年続いている現場らしい工夫を垣間見ることできた。
濃厚な旨みが凝縮されたすっぽん料理
最後は、すっぽんの味を体験するべく、浜松駅近くにあるすっぽん料理店「座房」を訪れた。すっぽんは甲羅以外すべて食べられるそうで、この店では様々な調理方法によるすっぽん料理が提供されている。
最初にいただいたのはすっぽんの「首」の炭火焼。首は伸び縮みでよく動かす部位ということもあり、弾力があって食べ応え十分。
珍しいところでは、すっぽんの卵も食することができた。イクラを一回り大きくさせた見た目だが、その一粒ひと粒のなかに実に濃厚な卵黄の旨みが凝縮されていた。
そして何より感動したのが、すっぽんの旨みがスープに凝縮されたすっぽん鍋。水と少々の酒、醤油を除くと、一切がすっぽんを煮出して得られるエキスのみという。その濃厚な出汁は、あらゆる食用生物の中で最もアミノ酸を多く含むすっぽんならではだ。
「とにかく余計なものは一切入れない。800度の温度まで耐えられる特殊な鍋を使い一気に高温で炊く。服部さんが育てたすっぽんで、どこまで出汁を出せるかが僕たちの勝負。このすっぽんは臭みがまったくなく、濃厚な出汁がよく出るんです」と、その旨みの理由を座房のオーナー、秋元健一さんが教えてくれた。
湖畔の恵みを最大限に活かし大切に育てる生産者と、その美味しさを最大限に引き出す料理人たち。長い間受け継がれる浜名湖の食文化を充分に堪能してみてはいかがだろうか。
浜名湖「すっぽん」
情報提供:服部中村養鼈場 服部征二さん“旬”の時期
一年中食べられるが、栄養を蓄えて冬眠に入る晩秋から冬にかけてのすっぽんは脂が乗っているのでおすすめ
美味しい食べ方
スープ。一気に高温で熱し、旨み成分を抽出するのがポイント。