職人の技と秘伝の塩汁が生み出す、沼津の干物
日本人と干物の長い付き合い
縄文時代からあったと考えられる日本の干物は、奈良時代には都への貴重な献上品として扱われ、平安時代には「唐物(からもの)」と呼ばれ、貴族の酒席を彩るご馳走となった。干物づくりが大きく発展したのは江戸時代。各藩が競って干物の産業化を奨励したため、個性豊かな郷土食として全国で展開され、しだいに庶民の口にも入る食べ物になった。
ただし、近世までの干物は固く塩辛いものであったようだ。いわゆる“一夜干し”で水分を残してふっくらやわらかく仕上げ、うま味をいかした現代の干物に生まれ変わったのは昭和の半ば頃。ここ沼津もその頃からアジの干物の特産地として名を馳せ、最盛期は近辺に250軒もの干物屋がひしめいていたという。
原料の質の違いがそのまま味の違いに現れる干物づくり
富士山を背負う風光明媚な駿河湾。最深部が水深2,500mという日本一深い湾で、湾内には約1,000種の魚類が生息し、首都圏からもアクセスしやすい人気の釣り場となっている。その東部に位置する沼津港は、寿司店や干物屋、土産物屋が軒を連ね、観光地としても活気にあふれた港だ。しかしながら温暖化の影響もあって、近年の漁獲量は減っているという。
沼津港で創業130年の歴史を誇る干物屋、「四代目弥平」こと株式会社マルヤ水産を訪ね、藁科正美社長にお話を伺った。
「昭和30年代頃は、沼津産の天然あじを中心に1日3〜5万枚もの干物をつくっていました。しかし今は、全国のスーパーから寄せられる注文に応えられるだけの漁獲量がありません。地球温暖化の影響で、近海アジの脂ノリが不足していることも悩みです」と、藁科さん。
原料は魚と塩汁(しょしる=魚を漬けこむ塩水)だけというシンプルな干物には、もともとの魚がもっている身質の違いがダイレクトに出てしまう。そこでマルヤ水産では、長年培った目利きと技術を生かすため、約30年前から国内はもちろん、世界各国から干物に向いた「脂ノリのいい」魚を旬の時期に買い付けて、通年安定した干物生産を続けている。
干物ができるまで
現在、1日約2万〜2万5000点の生産をおこなうマルヤ水産の工場を案内していただいた。
「昔はアジの干物だけで80%を占めていましたが、現在では魚種もサバやホッケ、サンマ、金目鯛など、約20種を多品種生産しています。それぞれの魚に合わせて、塩浸時間や乾燥時間もきめ細かく変えています」と、工場長の樋口和夫さんは話す。
干物づくりの工程は非常にシンプルだが、そこには長年の技術と経験が詰まっていた。
① 魚を開く
この工程は多くの場合、職人による手仕事で行われる。内臓や血管を完璧に取り去ることが、雑味のない干物のおいしさを生み出す重要なポイントだ。
② 富士山の伏流水での洗浄
シャワーで自動洗浄した後、再度、手作業によって洗浄。富士山から湧き出た柿田川水系の伏流水でジャブジャブと洗い流すことが、沼津の干物の特長でもある。
③ 塩汁につける
最も神経をつかう味付け作業。椎茸などのうまみ成分を加えた秘伝の塩汁に漬ける。塩にもこだわりをもって甘味を含んだ鳴門の海水塩を使っており、濃度は控えめの18度に保持。継ぎ足しながら使い続けることで、味を安定させている。
④ 乾燥させる
ステンレス製の網に干し、温風除湿乾燥機で乾燥させる。乾燥時間は魚種やその日の天候によって変えるが、室内温度は通年25℃を保っている。
また、沼津港の直営店では朝開いた魚を乾燥終了の手前で店の軒先に並べ、天日干しによって最後の仕上げをおこなっている。
⑤ 冷凍する
冷凍庫で一気にマイナス40℃まで下げ、約1時間で急速凍結。その後トレイや真空パックにして出荷される。
おいしい干物の味わい方
このようにして作られた干物を、家庭でおいしく食べるにはどうしたらいいのか。
「ご家庭の場合はフライパンで焼くのが一番。電子レンジよりもおいしく、グリルよりもカリッと仕上がると思います。大きな魚の場合は食べやすい大きさに切ってからフライパンへ。また、少し焦がし気味にしたほうが炭の香りが食欲をそそりますよ」と、藁科さん。屋外バーベキューで干物を焼いて、大勢で楽しむのも沼津市民の常識だそうだ。
この四代目弥平の干物は沼津港の料理店「踊りあじ あした葉」でも食べることができる。「四代目弥平のあじの干物定食」は、つくりたての干物をオーブンで3分加熱、さらにバーナーで表面を香ばしく焼き上げて提供している。たっぷりの大根おろしでいただき、締めにはだし茶漬けにして味わえる。そのほか、養殖アジの刺身定食やアジフライ定食も人気の店だ。
干物の産地として名を馳せた沼津。時代が移り変わる中で、その技と伝統を守ろうとする人々の意志と想いが沼津の干物には込められている。スーパーマーケットで購入できる気軽な日常食として、時には上質な贈答品・嗜好品として、その多様で豊かな味わいを楽しんでみて欲しい。