あんこう鍋のルーツ「どぶ汁」がうまれた港町・平潟
港町、平潟で発展したあんこう漁
茨城県最北端に位置する北茨城市平潟町は、福島県境に位置する太平洋沿岸の港町である。港町としてのはじまりは江戸時代初期のこと。寛永年間(1624~1643)に、仙台藩が年貢米を江戸へ運ぶ際の寄港地として築港された。平潟港は天然の入り江を利用した良港で、江戸と奥羽を結ぶ重要な寄港地として栄えた。
しかし、明治時代に入り、船舶が大型化していくと小規模な平潟港は対応できず、鉄道の開通による陸上輸送の発達もあり、平潟港は物流の結節点としての重要性を失っていった。一方、1887年頃に底引き網漁がはじまるなど、次第に漁港としての性格を強めていくことに。平潟漁業協同組合の武子尚之さんは「そこからが、今の平潟漁港のはじまりだったんです」と、語る。
港のある常磐沖で行われる「底引き網漁」は、巨大な袋状の網を海底へと放ち、中に入り込んだ魚を一網打尽にすくい上げる豪快なもの。茨城県の県魚・ヒラメのほか様々な魚種に混じってあんこうも水揚げされ、その量は年間30~40トンほど。平潟漁港では県全体の約三分の一と有数の漁獲量を誇る。
寒流の親潮と暖流の黒潮が交わる栄養豊かなこの海域で獲れるあんこうは、産卵を終える7~8月の間が禁漁とされる他は、年間を通じて漁がおこなわれる。漁獲量は秋口から増え始め、冬場の寒い時期に最も多くなるのだとか。
獲れるのは主として、“きあんこう”。あんこうは200種類以上あるとされるが、食用はきあんこうとくつあんこうの2種だけ。
「一般的には、両者いっしょくたにされることが多いものの、黒褐色をした“くつあんこう”に対し、“きあんこう”は名前の通りやや黄色みがかっているという違いがあります」と、尚之さん。午前に水揚げされたあんこうは、時間を置かずせりにかけられ、やがて県外含む市場へと当日中に運ばれてゆく。
漁師町で生まれたあんこうの郷土料理「どぶ汁」
平潟は、漁師たちの間で自然発生的に生まれたあんこう料理「どぶ汁」発祥の地でもある。今一般的に食されるあんこう鍋のいわばルーツにあたるもの。
その調理法はというと、漁師飯らしくワイルドなもので、あんこうと野菜からしみ出る水分だけで煮込まれる。船上では真水が貴重なため、水分の多いあんこうが用いられたという。余計な水分を使わないため、「海のフォアグラ」として名高い肝の濃厚な味が溶けだし、滋味あふれる一品となるのだ。
「日々、寒く厳しい冬の沖合に立つ漁師たちを、どぶ汁は身体の内側から温めたことでしょう。私自身、小さい頃は食卓に味噌汁代わりに毎日のぼるものだから、ちょっと嫌になってしまっていたくらい」と、笑いながら回想する尚之さん。
漁師たちの腹を満たしていたどぶ汁は、漁法の技術革新であんこうがたくさん獲れるにつれ、平潟の庶民の間にも広まっていった。
名だたる冬の高級味覚は、地域の誇り
漁師飯として親しまれていたあんこうが食材として現在の地位を築いたのは、料理人の手によるところも大きい。第二次世界大戦後、平潟で初めての民宿として開かれ、現在ではあんこうの宿として営む「まるみつ旅館」の代表取締役、武子能久さんは話す。
「もともと港で仲買人をしていた祖父母が、禁漁期で仕事がない7~8月の間も収入を得られるようにと、1960年代に地域で初の民宿を開きました。海水浴目当ての観光客が大勢平潟を訪れ始めた頃のことです。ところが夏を過ぎると客足はさっぱり。このままではいけないと一念発起し、あんこう料理が地域の名物料理と知られるよう、腕を磨き、研究開発が進められていきました」。
平潟では長い間、底引き網によって漁獲されるあんこうは雑魚として取り扱われていたが、ご当地グルメとしてあんこうが注目されるようになったことで、1993年頃より民宿協会では「どぶ汁」を観光客に提供するようになっていった。
釣り針に吊るした状態から、部位ごとに切り落とす伝統の「吊るし切り」を鮮やかにこなす能久さん。体表が粘液に覆われ、ぬめりのあるあんこうはまな板の上では捌きづらく、吊るして回しながら捌くのが昔ながらの方法だ。エラが切り落とされ、皮が両手で剥ぎ落とされ、大きなあんこうがものの見事に解体されていく様はパフォーマンス的にも映える。
切り落とされた部位はそのほとんどが美味しく食べることができることから、「身、肝、胃、皮、卵巣、エラ、ヒレ」は俗に“あんこうの七つ道具”と呼ばれている。「まるみつ旅館」では、血抜きなどの下処理を丁寧におこない、雑味を取り除き、味わいが洗練されたどぶ汁をはじめ、共酢(ともず)、刺身、唐揚げ、蒸し肝といった多彩なメニューとして供される。
一般的なあんこう鍋が醤油や塩で味つけられるのとは異なり、どぶ汁は味噌ベース。あん肝との相性もすこぶる良く、七つ道具が溶け込んだ滋味豊かな味わいを雑炊として最後まで堪能することもできる。
また「共酢」は、ゆでたあんこうの各部位を、裏ごししたあん肝を酢味噌に混ぜたものと共にいただく料理で、ぷりっと淡白な身、弾力に富んだ皮等々、部位ごとの食感をつぶさに比較できる。さまざまな料理で部位の食べ比べも楽しむことができる。
能久さんは2015年に、まるみつ旅館の向かいに「あんこう研究所」を設立した。1階で店舗、2階でレストランを運営し、新たなあんこう料理の研究開発に取り組んでいる。あん肝を溶かしながらいただく「あん肝ラーメン」を世に送り出したかと思えば、次なる挑戦はあんこうの宇宙食というから聞き捨てならない。
平潟ゆかりのあんこう料理は、今なお広がりをみせている。