人が受け継ぐ、豊かな市場の食文化
コールドチェーンの確立で魚の品質がさらに向上
ゆりかもめ「市場前」駅を降りると目の前に広がる低層のビル群。敷地面積約40ha、近未来都市的な景観を有する豊洲市場。閉鎖型の施設となり、生鮮品の温度管理がより適切になされるようになった。「食の安全供給第一主義」、それが豊洲市場の最大の特長だ。
「密閉空間になり、衛生管理面は格段によくなった」と、市場で働く事業者は口を揃える。築地では壁面が少なかったため外気が入り、夏の作業場は気温30℃を越えることもあったが、豊洲では一年中10℃前後という一定温度に保たれている。
「人が冷蔵庫の中に入って仕事をしているようなものなので、いつも長袖ジャケットを着用するようになったね。働く人にとっては厳しい環境だけど、魚の品質にとっては間違いなくいいよ」と、セリ人は笑いながら言う。魚の品質がよいという意味でも世界のトップクラスで、まさに日本の食文化を支えている魚市場として、誇るべき施設となった。
場内は床と壁の境目が丸い曲面形状になっており、汚れがたまりにくい設計になっている。また冷気を逃がさないシャッターカーテン、ホコリや虫の侵入を防ぐエアーカーテン、手洗い設備などが随所に設けられ、高い基準の衛生管理を維持できる。
「水産卸売棟」は衛生管理上と観光客誘致の両面を取り入れる形で見学用の通路と予約制見学デッキが設けられた。通路は入場者数の制限がなくなり好きな時間にセリ場の様子を見る事ができる。見学デッキは前月に予約が必要だが、より近くから臨場感のあるセリを体感できる。一日約1000本ものマグロがセリに出され、5時半のセリ開始から数時間後にはセリ場からマグロが姿を消す。セリを見るために、取材日も早朝から大勢の外国人観光客で賑わっていた。
日本独自の市場システムが果たす役割
セリが始まる前の午前4時頃には、大卸(売り手)がずらりと並べたマグロの尾の部分をカットしていく。マグロが揃った頃に仲卸(買い手)が目利きをはじめ、マグロの体型、尾の断面の色合いや脂のノリをしっかり確認してセリに備える。仲卸は顧客である鮮魚店や料理人の好みのマグロを入手するために皆真剣だ。
築地から豊洲へと場所が移っても変わらないのは、こうした「目利き」の仕事ぶりだ。
たとえば、魚は火を通してから食すことが多い諸外国では、ここまで魚の身質の違いにこだわることは少なく、重量換算で十分だ。日本人として当たり前に手に入れている生食文化の豊かさは、このような中央卸売システムによって成り立っている。
生産地(漁場)の状況を知り尽くした「大卸」、目利きをして買い付ける「仲卸」といった仕組みは、日本独特のものである。
市場では、漁師、卸、流通、飲食店まで、それぞれの立場からプロフェッショナルに役割を果たすという共通認識ができあがっている。このような“仕組み”と、それを支える“人”の存在があるからこそ日本では多種多様な食材がきめこまかく流通しながらも、品質と相場の安定が保たれているといえる。
日本の豊かな食文化は、市場の場所が変わろうが、いままでも、これからも「人から人」。人によって受け継がれ、支えられている。豊洲市場を訪れて、またその思いを新たにした。
築地から受け継がれたプロフェッショナルの横顔
「人から人」によって受け継がれる日本の食文化。我々はその思いを知るために、豊洲市場で働く人に会いに行った。
和食の中心・魚食文化を守るために
【大卸】大都魚類(だいとぎょるい) マグロ部マグロ一課 生田貴浩さん(セリ人)
世界最大級の水産物取引の一端を担う大都魚類。同社のマグロ部は国内の主要産地のほか、オーストラリアやメキシコ、ヨーロッパ各国の天然・養殖のマグロを、1日約300~500本、セリ売りを中心として扱っている。
市場の花形、マグロのセリ人になるには免許がいる。3年の実務経験と筆記試験をパスして、生マグロの目利きとして働いているのが生田さんだ。実家は北海道で祖父の代から漁業を営んでいる。生田さんは築地で働くことに憧れてこの道に入ったという。
「セリ人になるには、とにかく魚をたくさん見続けること。魚のかたち、鮮度、脂、これらは季節によっても変化します。日々入荷する魚を追いかけて、経験を積んでいくしかありません」と、生田さん。
ちなみに、セリ人は、漁師(生産者・船主)から販売を委託されている立場にあり、漁師のことを“荷主さん”と呼ぶ。
生田さんは「モットーは荷主さんの立場になって責任感をもち、公正公平な取引を心がけています」という。
セリが終わった後には仲卸の店舗まで出向いていき、仲卸の評価を聞く。魚の状態を最後まで見届けて、荷主さんに情報をフィードバックすることも大卸の大切な役目だ。
「市場とは公共性が高く、誰かが続けていかなければならない仕事。魚食文化を守っていく、そのことに誇りをもって、築地時代と何も変わらずやるべきことをしっかりとやっていくだけ」と、自らの仕事観を語ってくれた。
目利きの仕事は残り続ける
【大卸】大都魚類 特種部特種課 原田武範さん
大都魚類の特種課は料亭や寿司など高級店を相手に、最上級の鮮魚を扱う仕事だ。原田さんは入社2年目からたった1人でカニを担当。
最初は何もわからず「北海道の主要なハマ(水揚港)をくまなく巡って、カニの種類や産地を生産者に教わりに行きました」と、原田さん。
毎日、セリ場に出向くのは午前2時半。カニは8割が事前注文のため、品物のチェックと注文確認をする。追加注文を受けながら午前5時頃までには売りさばき、翌日の荷の準備と事務処理を終えるのが午前7〜8時頃というのが、原田さんの平均的な日課だ。
カニは高級食材だけに、活きがよいこと、カタチがよく身入りがよいこと、茹で上がりの色がよいことなど、厳しい客先からの注文が入る。しかも「暑い季節は売れなくて、お正月はめちゃくちゃ忙しい。季節変動が激しく相場の値動きが大きいので大変です。仕事に必死になりすぎて、カニに追いかけられる夢まで見たくらい」と笑う。今では相場をアタマに入れ、極端にブレることはなくなったという。
「たとえば日経平均が上がったらカニ食べにいくなあとか、ワールドカップの試合があるので外食する人が減りそうだなあとか、毎日の仕入れは、3〜4日先を予想する情報戦のようなものですね」。
大卸の仕事に大切なのは、人と人との人間関係ともいう。
「この人から買いたいなと思ってもらえるような信頼関係の積み重ねを心がけています。特に特種物の世界は“目利き”。プロ意識を大切にしていれば、この仕事は残り続けるものと確信しています」。
もっと気楽に魚を食べよう〜まちの食育講座にも取り組む
【仲卸】髙徳(たかとく) 代表取締役社長 小川万寿男さん
小川さんは、金融企業の営業マンから脱サラして仲卸に転身し、2006年に髙徳を創業したという異色の社長だ。築地から豊洲にきて、冷凍マグロ専門店と鮮魚店の計4店舗を構え、営業形態もユニークな独自路線をゆく。
「移転前から日本橋や銀座などのお得意様から、豊洲に引っ越したら行きにくくなるという声を聞いており、ならばと、こちらからお届けするという配送システムをつくってしまいました」。
最近ではメールやECショップを経由しての注文も多く入ってきているという。
小川さんは「魚料理が一般家庭の食卓にのぼらない」ということに危機感を持ち、食育をテーマにした「魚料理教室」を開催。こちらは奥様が主体となって中央区の公共施設やスポーツクラブで講座を開催し、近隣に住む若い母親たちから好評を得ている。
「豊洲のまちはここ数年で大きく変わりました。街づくりのイベントに市場関係者も一緒にとお声がけいただけるので、町内会の催しに参加したり、地域のシェフとコラボしたりといったことを地道に続けています」。
目指すのは、地元の人にも親しんでもらえる仲卸市場。
「ITなどを活用するのは、空いた時間を、フェイストゥフェイスを大切にしたお客様との関係づくりに使っていきたいからです。行政は豊洲市場という立派なハードを作ってくれました。移転したその時から、我々市場人は“どうソフトを構築していくか”、その勝負の土俵に立っているんです」と、語ってくれた。
加工場を開設し、新たな豊洲ブランドをつくる
【仲卸】倉田商店 代表取締役 倉田俊之さん
「豊洲に移転してよかったことは、市場としての機能が数段上がっていること。魚の加工事業に積極的に注力する契機となりました」と、語る倉田さん。
築地では作業場の温度帯などの問題があり、積極的な業務、営業活動の実現に至らなかったが、豊洲に来て衛生管理基準がクリアでき、切り身加工や小骨取り、干物づくりなどへの進出が可能になった。現在は病院や保育園の調理場、フードトラック事業者、飲食店などに、品質のよい豊洲の魚を顧客の要望に応じて、フィーレ、三枚おろし、開き、切身などにして出荷している
「鮮魚だけでは、仕入れから販売までのリードタイムが短く、顧客への情報伝達や、きめ細かいニーズに対応することが困難で、当日売れ残ったらフードロスになってしまいます。しかし、加工品にすれば、良質なのに規格外として外されてしまう魚なども積極的に使うことができます。たとえば規格外の大小不揃いな魚を、イベント用に食べやすく持ち歩きがしやすいひと口サイズやフィンガーカットに加工し提供したフィッシュ&チップスは、土曜マルシェに出品したところ、非常に好評でした」と、倉田さん。
また、この秋から食品宅配の企業と組んで、ミールキットや鍋セットなども販売を開始するという。仲卸の領域に留まらないのは「うちはうちのやり方で、よそがやらないことをやる」という倉田さんのポリシーだ。
「移転して得られたメリットはフルに生かしていきたい。いま新しい豊洲ブランドに育てるべく、独自の自社製干物や切身・漬魚などで、家庭でもフライパンで簡単に調理できる商品やフードトラックで販売できる商品などを開発しています。卸売市場法の改正による規制緩和により時代が大きく変わろうとしているなか、われわれも自らの存在価値を高めつつ、産地と消費者の架け橋であり続けたいですね」。
人々が求めるニーズや時代の変化に合わせ、市場で働く人々もしなやかに変化しながら、自身の技術の研鑽やできることの模索をし続けている。「美味しい魚を人々へ届ける」というプロたちの変わらぬ情熱が受け継がれていく限り、日本の魚文化は今後も発展していく。