万人が味わえる大晦日のご馳走「年越し蕎麦」

年越し蕎麦
(取材月: October 2022)
大晦日に食べる「年越し蕎麦」。全国的な知名度があり、現代でも若者からお年寄りまで幅広い年齢層に親しまれているポピュラーな行事食の一つだが、その由来や発祥はよく知らない人が多いだろう。

今回はそんな年越し蕎麦について掘り下げるべく、江戸時代の食文化に造詣が深い近世食文化研究家・大久保洋子先生に歴史的背景を紐解いてもらった。さらに大晦日の1日で8000食もの蕎麦が売れるという名店「神田まつや」を訪れ、現代の年越し蕎麦模様を取材した。今年の年越し蕎麦は、いつもとは違った心持ちで味わえるかもしれない。

「月末は蕎麦」が定番の献立に。生活の一部だった江戸のソウルフード

私たちに馴染みがある麺状の蕎麦は、1700年代から庶民の生活に入ってきたと言われている。現在の東京・銀座周辺は商人の町として栄えており、蕎麦は日銭を稼いだ働き人のお腹を満たすファストフードとして浸透していった。幕末には現在の23区よりも小さな江戸に、3700軒もの蕎麦屋があったと言われているのだから、その繁盛ぶりが想像できる。

江戸時代の蕎麦
「忠臣蔵世界の幕なし : 3巻」出典:国立国会図書館デジタルコレクション

大久保先生の話では、大坂繁花風土記(1814年)という資料に「年越し蕎麦」というワードが出てくることから、この年代には大坂で年越し蕎麦が食べられていたと考えられるという。

蕎麦は粉もの(蕎麦餅、蕎麦がきなど)として古くから食べられていたが、麺状のものは室町から江戸時代にかけて、寺院で発祥したといわれている。特に庶民に広がったのは江戸時代で、安永元年(1772年)には江戸市中には寿司、蕎麦など屋台が流行したという。
「江戸でうどんよりも蕎麦が人気を呼んだのは、うどんと比較して調理時間が短くて済むということが一つの要因ではないかと考えています」。
大久保先生はもっと身近な町民の風習が年越し蕎麦へと発展していったのではないかと予想する。

大久保先生

「江戸時代の商家や小作人などを有する農家などでは、毎月5の日は魚の日にするなど、献立を決めていました。そのうち、江戸のような都市部で毎月末の日は蕎麦を食べる『晦日蕎麦』という習慣が流行。“晦日”は月の最後の日という意味なのですが、晦日に蕎麦を食べることで、その月を無事に過ごせたことをお祝いする意味もありました。食べる物と日を決めることは、日々の食事の用意においても合理的だったと思いますね。また江戸では、家の内外を清掃する暮れの行事『すす払い』の日に盛り蕎麦を外注して食べていたようです。そうやって段々と晦日蕎麦は12月の晦日に限られていきました。『年越し蕎麦』という名称が定着するのはかなり後のこと。つまり外食店が発達していた江戸の習慣が、やがて地方へ伝播していったといえます」

「年越し蕎麦」を食べる人々の願いに思いを馳せる。

蕎麦が細く長いので延命・長寿のご利益がある、切れやすい麺が旧年の厄災を切ってくれる、金箔職人が金粉の小さなかけらを集めるために、粘着性のある“蕎麦がき”を使っていたことから蕎麦はお金を集めてくれる……など、どれも新年を迎えるタイミングであやかりたいご利益だ。

さまざまな人の願いを込めて食べられてきたということ自体に年越し蕎麦の真髄があると大久保先生は言う。

大久保先生

「私たちは、年末に食べる『年越し蕎麦』を当然として受け入れていますが、その由来にも関心を持ってほしいですね。江戸の人々の年末は、『商人は掛け取りに、庶民は掛けを払う』というやりとりからも分かるように、お金の工面が必要な厳しい季節でした。そんな生活の中で、運が向くことを祈って語呂合わせやいわれを作り、蕎麦を食べる風習を作っていったのです。なかには日々を必死に生きて、せめて大晦日だけは、みんなと同じ蕎麦を食べられることがうれしいという人もいたでしょう。また蕎麦はビタミンB1やB2などを含んでいて、白米ばかり食べて脚気に悩む江戸の人達にとっての脚気予防にもなりましたし、安くて美味しくてヘルシーなファストフードでもあったといえます」

新潟県へぎ蕎麦
©うちの郷土料理

ちなみに日本には地域ごとにさまざまな蕎麦料理のスタイルがある。新潟県ではつなぎに“ふのり”を使った「へぎ蕎麦」、京都と北海道では「にしん蕎麦」、福井県では大根おろしを入れるなどが代表的な例だが、これらの文化は「年越し蕎麦」にも影響するのだろうか。

にしん蕎麦
©うちの郷土料理

「ご当地の蕎麦料理が年越蕎麦になるという決まりはないようですよ。どの蕎麦を年越し蕎麦に決めるというような資料がありませんし、家庭単位で異なるのではないでしょうか? でも『今年は新潟風にしよう!』という具合に、あえて「ご当地蕎麦」バージョンを選ぶのは楽しそうですね」と、大久保先生。年越し蕎麦は自由。好きな蕎麦と一緒に新年を迎えれば良いようだ。

若年層でも大晦日にカップ麺の蕎麦を食べるなど、「年越し蕎麦」は比較的幅広い年齢層に根付いている風習だと言える。
「今後も何が起こるかわからない世の中ですけれど、こうして全員で願いを込めて共有できる風習があるのは、なんだか良いものですよね」。と、大久保先生。

大晦日に日本一行列ができると言われる、江戸前蕎麦「神田まつや」

神田まつや

東京・神田で1884年創業の「神田まつや」が“日本一の年越し蕎麦”と言われるのは、この店の蕎麦で年を越したいという人々が毎年大行列をつくるからだ。店を仕切る六代目店主の小髙孝之さんに聞けば、大晦日の1日だけで8000食もの蕎麦が出るという。

小髙さん

「12月20日前後に『ゆず切り』という冬至限定の蕎麦を出すんですが、そこから大晦日までが一年で一番忙しいですね。どうしてうちに来てくださるのかはわからないけれど、『年越し蕎麦はまつやで』と決めてくださっている方も多くて。本当にありがたいですね」。と、小高さん。

蕎麦の作業の様子

神田まつやの蕎麦はすべて手打ち。職人歴35年になる小髙さんは、木鉢でしっかりと練った蕎麦粉の生地を、均等な厚さに伸ばすことが蕎麦打ちで何よりも重要だと言う。小髙さんが「汁」と呼ぶつゆは江戸前らしく、濃口醤油と鰹節で仕上げる濃い目がまつや流。蕎麦とつゆのバランスを熟考した伝統の味を守っている。蕎麦粉は季節によって変わるが、小髙さんが「うちの味」と豪語するのは茨城県産の「常陸秋そば」。パンチのある力強い風味がまつやのつゆに抜群に合うのだそう。早ければ11月後半から「常陸秋そば」に切り替わるので、年越し蕎麦の時期にはベストな蕎麦を味わえるはずだ。

小髙さん

「僕の汁取りのコンセプトは、“飲んじゃ辛いが食っちゃうまい”。蕎麦と一緒に食べたらおいしいし、蕎麦湯を入れるとなおうまい。そういう汁。暖かい蕎麦も冷たい蕎麦も、最後に蕎麦湯を入れて味わってもらいたい。味は一代だと思っていて、先代とまったく同じにはできないけれど、近づけることはできる。まつやの味を守ることを僕は大切にしたいと思っています」。穏やかな表情の奥に、まつやの味への誇りを感じる。

この先の未来にも続いて欲しい蕎麦文化

年越し蕎麦パッケージ

ちなみに小髙さんは年越し蕎麦をいつ食べるのだろうか。
「うちは1月1日の朝に食べます。家族総出で大晦日の営業が終わったら、家に帰るのが1日の朝4、5時。そこからみんなで仮眠して、起きてきた順番に蕎麦を食べます。雑煮じゃなくてうちは蕎麦。暖かい蕎麦を家庭で作るのは面倒なので、冷たい蕎麦ですよ」。年明けに食べる蕎麦も、なんだか清々しくて美味しそうだ。

天ぷら蕎麦

コロナ前は修学旅行生を積極的に受け入れていたという小髙さん。一緒に蕎麦がきを作ったり、好きなお蕎麦をご馳走したりと若い世代に蕎麦の魅力を伝えてきた。この先の未来も「神田まつや」と、蕎麦文化が続いていけばと小髙さんは話す。
「うちに年越し蕎麦を食べにくる方の中にも若い方がたくさんいらっしゃいますよ。とてもうれしいなと思いますね。年越し蕎麦はもちろん、これからも末長く蕎麦を楽しんでいただきたいですね」

Writer : ASAKO INOUE
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Photographer : SHIOMI KITAURA

一般社団法人和食文化国民会議(略称:和食会議)

所在地 東京都台東区東上野1丁目13-2成田第2ビル4階B
営業時間 受付時間:平日10:00-17:00
URL https://washokujapan.jp/

神田まつや 本店

神田まつやの外観
所在地 東京都千代田区神田須田町1丁目1-13
TEL 03-3251-1556
定休日 日曜日
営業時間 月~金 11:00~20:30 (L.O. 20:00) 土・祝 11:00~19:30 (L.O. 19:00)
URL http://www.kanda-matsuya.jp/
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