手の中で生まれる、日本人の日常食「おにぎり」
しかしおにぎりは、毎日のお弁当や行楽のお供、夜食など様々なシーンで食べられ、コンビニエンスストアでも気軽に手に入れることができる、日本人の食生活に深く浸透している料理ともいえる。
時代とともに歩む「おにぎり」
おにぎりの歴史は古く、その始まりは、紀元前一世紀頃の遺跡から発見された、供え物と考えられる米の塊や、平安時代に貴族が宴で従者に振る舞った、蒸したもち米を握り固めた「屯食(とんじき)」と呼ばれる食べ物ではないかといわれている。
おにぎりが広く食べられるようになったのは鎌倉時代、持ち歩くことができ、手で食べられるという携行性の高さから、武士の陣中食として広まっていったそうだ。ご飯に海苔を巻いて食べるようになったのは、東京湾で海苔の養殖が始まった江戸中期になってからのこと。海苔の風味が加わって美味しく、米が指につかず食べやすいと、現在のおにぎりのかたちができあがっていった。
東京で最も古いおにぎり屋「浅草 宿六」
おにぎりの美味しさとは何かを求めて、1954年に浅草で創業したおにぎり専門店「おにぎり 浅草 宿六(やどろく)」を訪ねた。寿司屋のように、カウンターに座ってガラスケース内の具材を選び、目の前で握ってもらった出来立てを食べる、粋なスタイルのお店だ。夜はお酒も用意されているが、あくまでおにぎりを味わってもらうためにお酒は一人一杯までと決まっている。
宿六の三代目・三浦洋介さんに、早速おにぎりを握ってもらった。宿六ではにぎり始めに木型を使うが、これは具材を真ん中にきれいに収めるための補助的なもの。あくまで手でにぎるのが宿六の作法。握りすぎず、ふんわりと仕上げられたおにぎりは、ほおばるたびに、ほろりとほぐれていく感じが心地よい。
聞けば創業当時は、白いご飯が高級品だったそう。東京随一の繁華街であった浅草で、老若男女誰にでも好まれ繁盛するようにと、初代である三浦さんの祖母がおにぎり屋を始めたそうだ。具材は常時20種ほど。さけ、梅、おかか、たらこなどの定番を中心に、あみ、山ごぼう、生姜味噌漬けなど昔ながらの具材が並ぶ。ほとんどの具材は、初代が全国各地から厳選したもので、創業当初からほとんど変えていない。おにぎりに巻く海苔も、江戸前海苔一筋だという。
米は毎年新米の季節に食べ比べ、その年ごとに最も美味しい、握りやすいと感じたものを選んでいると話す三浦さん。
「味と香りがしっかりと濃いかどうかが、米の美味しさですね。うちはブレンド米を使いません。やはり単一の品種の方が、米粒も風味もまとまっていて、その美味しさをより実感できるんです」。
ご飯、海苔、具材というシンプルな材料だからこそ、厳選したものを使い、具材に合わせた最適なバランスのご飯の量でにぎる。これが、おにぎりの美味しさを生み出すこだわりだ
「おにぎり」には世界に羽ばたくフレキシビリティがある
こうした宿六のおにぎりを求めて、遠くから訪れるお客さんも多いという。長く愛される宿六のおにぎりの信条はいたってシンプルで、“美味しいと思ったものを作る”だけだそうだ。
「おにぎりって“間違いのない”美味しさがあって、それが食べる人に安心感を与え、日常で頻繁に食べられていると思うんです。米の炊き方や塩の加減は日によって変わったりもします。そういう小さな変化を楽しみながらも、安心して美味しく食べられるのが、おにぎりの美味しさじゃないかな」。
三浦さんは、店舗以外のイベントやワークショップなどでもおにぎりを握っている。2015年にはミラノ万博でおにぎりをふるまった。
「おにぎりは、米と具材が合ってしまえばうまい!といえる料理。外国人が初めてつくる日本料理になり得るし、ベジタリアンの人でも食べられる日本食として、世界にも広まる可能性があると思います」と語ってくれた。食の好みは人それぞれ、国を越えればさらに好みも多様になってくるが、様々な食材に合い、にぎるだけで美味しさを発信できるのが、おにぎりの底力なのだ。
素朴でありながら思わずひと口頬張りたくなる、そうした魅力が、おにぎりには詰まっている。