銘茶の里で知る日本文化の可能性
紅葉も見ごろとなる11月下旬の京都。京都市上京区にある北野天満宮では、毎年この時期になると、神前にお茶を奉献する「御茶壷奉献祭・口切式」が行われる。この「御茶壷奉献祭・口切式」は、天正15年(1587年)に豊臣秀吉が催した北野大茶会を機に毎年12月1日に行われる「献茶祭」に使用する抹茶の原料となる「てん茶」を奉献する由緒ある祭礼である。「献茶祭」に先立ち、その年に採れた茶を入れて封をした茶壺の口をこの時に切ることから「口切式」とよばれる。奉献をする茶師たちは、木幡(こはた)、宇治、菟道(とどう)、伏見桃山、小倉、八幡、京都、山城などの宇治茶産地の名茶師と家元たちだ。そして、その「口切式」で最初に口を切る“一の茶壺”が宇治市木幡の茶壺である。
宇治は、世界遺産としても名高い「平等院鳳凰堂」や「宇治上神社」などの名建築や史跡が多くある歴史の深い文化的な地域。
そして、高品質な日本茶として名高い宇治茶の産地の一つとしても有名である。茶の栽培に適した、冷涼で霜が少なく水捌けの良い土壌をもつ気候風土を備えており、古くから茶の栽培を行っている地である。
300年以上続く宇治の老舗 松北園茶店
北野天満宮での「口切式」で“一の茶壺”である木幡の茶壷を担っているのが、正保2年(1645年)から300年以上に渡り宇治茶の文化を伝え続ける松北園茶店。伝統を守り続けながら、今様の工夫をこらして日本茶を創りつづけている松北園茶店では、自然仕立ての手摘み茶葉を原料にして作られた「玉露」や「抹茶」を代表とする宇治茶を長く世に送り出している。
茶樹の株には、いくつかの仕立て(形状)があり、機械摘み用の弧状仕立てや三角仕立て、水平仕立てなどがある。その中で、自然仕立ては、数ある仕立ての中でも最も手がかかるといわれており、茶を摘み取る摘採も手摘みでなければできない。自然仕立ての手摘みの「玉露」や「抹茶」は高級茶といわれている。
その高級茶とよばれる「玉露」と「抹茶」は、茶樹の成長過程で、一定期間、光を遮るために黒い布や藁で覆いをする被覆(ひふく)という方法で栽培される。被覆によって、茶樹の光合成が抑制されていき、旨みのもととなる茶葉のアミノ酸が増え、渋みのもととなるタンニンが少なくなり、まろやかなお茶の味わいを作り出していく。
我々は、生産者の古川嘉嗣さんの茶畑を訪れた。古川さんは宇治のなかでも、高品質の茶葉を育てる生産者として一目置かれている存在。松北園茶店が取り扱う「抹茶」の一部も古川さんの茶葉を使っている。
我々が訪れたこの時期の茶畑では、5月の一番茶の摘採に向けて茶樹と土壌の手入れを行っていた。宇治の玉露園では一番茶しか摘採を行わず、その1年に1回の摘採のために、残りの月日は茶樹と土壌の手入れをひたすら行うという。
この日々の茶畑に対する手間ひまが、高品質な茶葉を育てるということはいうまでもないだろう。
古川さんに高品質の茶葉を作るポイントを尋ねると、返ってきた言葉は一言だった。
「自然の中でつくること」
年に1回の摘採のために日々の手入れを行うのは当然のことで、一番大事なのは宇治の気候、風土を土台とした自然の流れに合わせて育てることだという。例えば、雨が降ると肥料が土に浸透しやすくなるため、雨が降るとわかればその数日前に肥料を施すという。このように自然の流れに逆らわず、茶葉にとって最適なことをしてあげることによって高品質の茶葉は生まれていくのだ。この古川さんの答えは、お茶本来の深い味わいを引き出すといわれる自然仕立ての茶畑が表しており、また、宇治の茶畑が長きに渡り日本が誇る高品質な宇治茶を生んでいることからも証明できるだろう。
茶師の経験と技術に裏打ちされた仕上げ
そんな端正に作られた茶葉がお茶になるまでの製造工程はとても多い。摘採された茶葉は農家の手によって、殺青(さっせい:摘み取った茶葉を加熱し発酵を抑える作業)、蒸し、揉捻(じゅうねん:茶葉を揉む作業)、乾燥などの工程を経て、やっと生茶葉の水分を抜いた状態の”荒茶”となるのだが、”荒茶”とは、まだ製品前の1次加工の状態。この後、“荒茶”は茶師たちの手に渡り、整形、分別、火入れ(焙煎)、合組(ブレンド作業)といった仕上げ加工へと移っていく。
我々は、松北園茶店の仕上げ加工を見せていただいた。茶の心地よい香りが充満する仕上げ加工場では、各工程の機械が小気味良い音をだしており、その中で職人たちがキビキビと動き回っていた。
現場責任者の杉村さんが各工程の機械の役割を一つひとつ丁寧に説明してくれた。火入れの工程では、茶葉に合わせてマイクロ波や遠赤外線で茶葉の水分を抜いていく機械までもが導入されていた。我々はその説明を聞きながら老舗茶店に持っていたイメージと、仕上げ加工場に導入している先端テクノロジーとのギャップに驚いた。そのテクノロジーを見に松北園茶店の視察に訪れる同業者も多いという。
松北園茶店、代表取締役社長の杉本剛さんは、「仕上げ加工によって、それぞれの茶店の味が表現されていく」と教えてくれた。
松北園茶店では、これだけのテクノロジーを有していても、それだけで松北園茶店の味ができるわけではないという。仕上げ加工においては、それぞれの“荒茶”の状態を見て、工程を飛ばしたり、入れ替えたりしている。また、火入れの時間や茶葉のカットの仕方など、お茶の味を決める仕上げ加工は茶葉の特徴を見ながら、職人がそれぞれの茶葉に合った組み合わせを決めていく。どんなにテクノロジーが発達したとしても、茶店の味を分ける決め手となるのは、その茶店の伝統と職人の技術と経験が頼りとなっていくのだ。
杉本社長は、仕入れる茶葉の見た目や味を確かめる“拝見場”という部屋へと我々を案内してくれた。“拝見場”に入ると、茶畑の取材で訪れた古川さんの「てん茶」の他、「玉露」、「煎茶」、「玄米茶」などの数種類の茶葉が並べらていた。
その茶葉たちに100℃のお湯をかけると、杉本社長は真剣な眼差しで一つひとつの茶葉の香りを確かめていった。茶は60℃~80℃のお湯で淹れることによって本来の味が堪能できるというが、ここで、100℃のお湯をかける理由は、過酷な状況下でどれだけ茶葉の持ち味をだせるかを確認するためだ。
また、この“拝見場”は、味だけではなく茶葉の見た目も確認するために蛍光灯の光量までこだわった設計となっている。姿形が良い茶葉ということもお茶の内質を表す宇治茶の重要な条件なのである。
こうした環境の中で茶師たちは、茶葉の味や香り、姿までを細かく確認し、茶店で仕入れる茶葉か否かの判断をしていく。
こうした茶師たちの目利きがあってこそ、宇治茶が高品質な日本茶のブランドとして、今も引き継がれているのだ。
300年以上に渡る老舗の伝統を受け継ぎながらも、それにおもねることなくテクノロジーと職人たちの技術を追求しつづける松北園茶店の姿勢に、日本茶の文化という範囲にとどまらない、日本文化を繋いでいく手掛かりを垣間見た気がした。
宇治茶の奥深さを味わう
我々は、宇治茶の楽しみ方を知るために宇治茶道場「匠の館」に伺った。
宇治川のほとりにある「匠の館」では、日本茶のインストラクターが丁寧にお茶の淹れ方を教えてくれる。
ここでは「宇治玉露」「宇治抹茶・煎茶のセット」「品評会出品茶・かぶせ茶」の3つのメニューが味わえるが、今回我々は「宇治玉露」を味わうことにした。
まずは、熱いお湯を器に移し、お湯を冷ますところから始まる。
松北園茶店の“拝見場”でも教わった通り、「玉露」は、60℃程度の冷ましたお湯で淹れることによって渋みが抑えられ、旨みが茶葉から出てくるという。そして、そのお湯を急須に入れ、茶葉が広がっていくまで1~2分程度待ってから、湯呑みに入れて飲むと、「玉露」本来の味でもある旨みと甘みが口の中で広がっていく。その後も、2煎目、3煎目と、淹れるたびに違った「玉露」の味を堪能することができて、飲むたびに「玉露」の奥深さを体験できる。
また、「玉露」の楽しみ方はこれで終わりでない。インストラクターが新たな楽しみ方を教えてくれた。何煎か淹れ終わったあと、茶葉を急須から取り出し、ポン酢をかけて食べるのだ。茶葉の風味とさっぱりしたポン酢の味が調和した優しい味わいに我々は驚きを隠せなかった。
是非、宇治を訪れた際には、宇治茶文化に触れることができる「匠の館」で自らが淹れたお茶を飲んでみることをおすすめしたい。
長い歴史と伝統によって培われてきた日本茶の文化。その魅力は我々、日本人だけでなく、今や海外でも注目される文化へと発展している。
そして、ここ京都の地で脈々と受け継がれる宇治茶の歴史は、これからも世界中の粋な人々の口を潤してくれることだろう。