貴族の嗜みから大衆へ。屋形船と江戸前天ぷら
屋形船の源流は特権階級の舟遊びにあり
平安時代の貴族が舟遊びを楽しんだように、江戸時代の武家や豪商も遊覧のための「屋形舟」を所有するようになった。舟遊びは特権階級だけの娯楽だったが、風流を好む江戸っ子がこれをほうっておくはずがない。庶民は小舟に屋根を据えた「屋根舟」で遊覧を始め、四季折々の情景を楽しんだ。やがて、舟宿も屋形船を所有するようになり、現在のクルージングのようなスタイルが築かれていく。
明治時代、柳橋一帯は高級料亭街、花街としてにぎわいを見せ、新橋と並ぶほどの一大ナイトスポットとなった。料亭の客は芸者を従えて屋形船に乗船。隅田川や神田川は、何隻もの屋形船が往来したという。
「昭和初期は柳橋から蔵前橋のあたりまで日本家屋の料亭が並び、じつに絵になる光景だったといいます。そのころは、料亭が舟宿とお客さんの取り次ぎ役。料亭から連絡を受けた舟宿が、料亭に併設された桟橋に舟をつけて、お客さんを迎えていました」。
そう話すのは「舟宿 小松屋」の四代目店主を務める佐藤勉さん。「小松屋」が柳橋で屋形船を始めたのは1927年のこと。昭和から現在に至るまで、時代の変遷を目の当たりにしてきた舟宿だ。
“屋形船=天ぷら”を確立した老舗舟宿の挑戦
景気がよかった料亭、舟宿も昭和30年代半ばには下火になる。理由のひとつが、水害対策で隅田川両岸に建てられた堤防だ。
「高い堤防によって水辺の風景が遮られてしまったんです。景観が売りの料亭街にとっては大打撃。もちろん、舟宿にも影響がおよびます。さらに悪いことに、当時は高度経済成長の時代でした。工業排水で汚染された川は臭いがとてもひどく、舟遊びなんてできる状態ではなかった」。
そういった状況もあって、「小松屋」をふくめた柳橋の舟宿は川を離れ、東京湾へ釣りに出たり休業状態を余儀なくされる。「小松屋」が営業を再開できたのは、それから10年近く経過した1977年のことだった。川の水質改善が進み、なじみの料亭も再開を強く望んでいたという。
また、1980年には木造の屋形船を進水させた。木挽き職人が千葉県山武郡で目利きした資材を使い、伝統的な和船の技術で造船したというから、その文化伝承への意気込みは並々ならぬものだったに違いない。再開にあたってのこだわりは料理にも見てとれる。
「昔は船上から網を投げて獲ったキスやボラ、クロダイなどをその場でさばいて天ぷらにしていたんです。魚の中骨から出汁をとって天つゆにしたりして。いまでもちゃんと船内で揚げて天ぷらをお出ししています。“屋形船=天ぷら”というイメージができたのは、こういった投網漁をしていたことに由来しているんですよ」と、佐藤さん。
たとえ時代は変わっても、出来たての料理が一番なのは当時の江戸っ子も現代人もおなじこと。熱々の天ぷらをほおばって、ありし日の隅田川に思いを馳せるのもまた楽しい。
赤い屋形船に乗りこんで、いざ隅田川周遊へ
4月の初旬、屋形船体験者、未経験者をふくめた16人で実際に屋形船に乗船した。乗船したのは真っ赤な船体が目をひく「第八小松丸」だ。旅客店員は最大69名、小松屋の主力となる舟で、船内は畳敷きになっていてゆっくりくつろげる。
周遊コース「花見舟 墨堤めぐり」は、柳橋を出発地点に隅田川に出て、吾妻橋、言問橋、桜橋などをくぐり再び柳橋に帰ってくる2時間半のコース。隅田川両岸の要所要所には桜が植わっており、開花するころにはこれ以上ないお花見スポットになる。
「小松屋」の女将、佐藤純子さんによると「春はお花見、夏はお台場のほうまで出て夕涼みや、隅田川の花火大会をご覧いただけます。秋はお月見、冬は忘年会・新年会など、屋形船はそれぞれの“旬”な楽しみ方がある」という。
天ぷら屋仕込みの江戸前天ぷらを船上で
船上の風景もさることながら、船内で提供される料理も気になるところ。まずはじめに並んだのは、色とりどりの和風おつまみだ。おつまみにある有頭海老の具足煮、伊達巻き、筍サラダは江戸料理といわれるもの。純子さんの「なにか江戸料理にちなんだおつまみを」という粋なはからいが卓上をより華やかせる。
柳橋を出発して30分ほど経ったころ、舟はスカイツリーを仰ぐかたちで停泊。そして、メインディッシュとなる江戸前天ぷらがお出まし。最初に供されたのは、江戸前で獲れた穴子の天ぷら。20センチほどの大きさに、各テーブルではワっと歓声が挙がる。「小松屋」は、この「ワっ」を何十年にも渡って聞いてきたにちがいない。
船内の厨房を預かるのは船頭の大矢敏昭さんだ。バブルの好景気も経験した、この道20年以上のベテラン。旧来のならわしを守って、調理と舟の操縦を兼任している。
「天ぷらの仕込みも船頭の仕事の一つ。この頃は仕込みまでできる船頭が減ってきた気がしますね。魚はできるだけ江戸前で獲れたものを使うようにしているし、揚げ油の配合や衣も工夫しています」と、大矢さん。
穴子天に続いて、キス天、イカ天、エビ天、3種の野菜天……と30分ほどかけて次々と提供される。天ぷらはどれも揚げたてで、衣はさくりと小気味よい。じつは、「小松屋」は屋形船を休業している間、天ぷら屋を営んでいた実績がある。そのころのノウハウは営業再開後も顕在だ。
出発してからおよそ2時間で、船は出発地点の柳橋へ進路を変え、舟遊びもいよいよ終盤にさしかかった。酒宴は佳境を迎え、江戸前天ぷらでおなかを満たした参加者たちは小波に揺られて余韻に浸る。
四季折々の風景が屋形船の“華”なのは言うまでもないが、卓上を彩る料理もまた屋形船には欠かせない“華”。貴族の嗜みに始まり大衆文化へと波及した舟遊びの魅力は「小松屋」をはじめとする舟宿の矜持によって支えられている。
今回、取材に同行した外国人記者の体験記事は、外国人観光客のための訪日旅行サイト「DiGJAPAN!」に掲載しています。そちらも併せてご覧ください。
「DiGJAPAN!」屋形船体験記事(英語記事)
https://digjapan.travel/en/blog/id=12088