循環型農業の担い手たちが築いたSDGs未来都市の礎
岩手県からは岩手町が名乗りを上げた。年間約135億円の農業粗生産額を誇る、県を代表する食料生産地。意外にも思えるが、実は岩手町では数十年も前からSDGsに通じる取り組みが実践されてきた。そのロールモデルともいえる生産者が町内の「菊池牧場」と「アンドファーム」だ。時代の先を行く、2人の先駆者を訪ねた。
肉牛が健やかに育つ、自然放牧と牧草飼育
東北新幹線いわて沼宮内駅から車でおよそ30分。市街地を抜けて木立のなかを突き進むと、林道脇に「菊池牧場」の飼育舎が現れる。開場は1967年。現在は、二代目当主の菊池淑人さんとその妻・暢子さん、そして息子の三人で切り盛りしている。
経営の柱になるのが、自社牧場の肉牛を使ったソーセージとハムの加工・販売だ。先代から自然放牧を取り入れており、125ヘクタールの牧草地で、約100頭の肉牛を飼育する。牧草地に案内してくれた淑人さんの視線の先には、泥んこになって走り回る牛たちが。日が暮れて牛舎に帰るまで、牛たちは自由気ままに一日を過ごす。
「冬は牛舎に入れていますが、それ以外の季節は基本的に自然に近い状態で育てています。いくら食肉用とはいえ、牛だって生きていますから。なるべくストレスをかけたくないんです」。
牛たちは牧草や乾草だけを与える飼育方法「グラスフェッド」で育てられている。牧草地には数年ごとに種をまくが、化学肥料や農薬は一切使わない。配合飼料に頼っている従来の畜産とは一線を画す取り組みである。
「うちの肉牛は運動量が多く餌も適量なので、肉付きが少なく引き締まったからだをしています。収量を求めるなら、大量に餌を与えて太らせるべきかもしれませんね。けれど、それってうちのやり方には合わないかな」と、暢子さん。
暢子さんが現在の飼育方法に確信を持つきっかけになったのが、2011年の東日本大震災だ。ほとんどの物流が途絶えるなかで、牛の飼料を調達できない同業者の苦境を目の当たりにした。一方、牧草を自分たちでまかなっていた菊池夫妻は難を逃れることができた。「身の丈に合った酪農こそ、いざというとき強さを発揮する」。その時の思いは、いまも心に深く刻まれている。
菊池牧場の肉牛は、従来の3倍近い期間をかけて育成され、4歳を境にしてソーセージ・ハムに加工される。定番の「ウインナーソーセージ」、ピリ辛の「フランクフルト」、煮こみ料理に最適な「バイスブルスト」など、ラインナップはおよそ30種類。ドイツ、オーストリアで修業した淑人さんの腕が冴えわたる。最も美味しいタイミングを見計らって加工されるので、季節によっては取り扱わない商品も。しかし、それこそが菊池牧場の持ち味だ。
「うちの商品は手づくり、無添加。自然放牧ならではの野性味のある肉の味わいが自慢です。季節やその時の肉によって味わいは少しずつ変わるし、大量生産もできないので大手メーカーの基準には適合しませんが、畜産の“正解”はひとつではありません」。
商品は町内の道の駅で販売するほか、通信販売によって全国各地に送り届けられる。長年に渡って購入を続けるリピーターも少なくない。菊池牧場も商品をより美味しく食べてもらおうとアレンジレシピを開発している。
「応援し続けてくれるお客さんがいるからいまがある。今後も私たちの方針を守り続けます」。
耕畜連携によって実現した、上質な土づくり
「アンドファーム」は、岩手県内でも名の知れた大規模な農業法人だ。作付け総面積は約100ヘクタール。標高250メートルから700メートルまで、10か所以上に圃場が点在する。ポリシーは「適地・適作・適品種」。春・秋は低所で、夏は冷涼な高所で、といった具合に、農地の気候に合わせて農産物や栽培方法を決める。
農園の二代目社長を務める三浦正美さんは、この道40年の大ベテラン。やると決めたらとことん突きつめる性分で、バイヤーから新たな品種のリクエストがあれば、一から研究して安定供給にこぎつける。父親の跡を継いでからは取り扱う品目が4倍以上に増えた。特産品のキャベツ「いわて春みどり」やトウモロコシ、大根、にんじんなどが契約先の量販店を介して県内外に流通する。加工品も販売しており、自社開発の「黒にんにく」はあまりの人気ぶりに生産が追い付かないほど。
近年注目を集めるスマート農業にも着手。生育環境の分析にはドローンの空撮画像を、除草作業には自動操縦補助システム搭載トラクターを用いる。「居眠りする人間よりよほど信用できるよね」と、三浦さんが冗談めかす。
最新技術を柔軟に取り入れる三浦さんが、何十年にも渡って貫き通してきたのが「土づくり」へのこだわりだ。出荷シーズンが終盤を迎える毎年秋ごろ、農地に牛糞・豚糞を発酵させた有機発酵堆肥を散布する。堆肥は数か月かけて土になじんでいき、春を迎えるころには良質の土壌が育まれる。
「堆肥に含まれる有機微生物の力で、病原菌の増加を防ぐことができます。化学肥料は否定しませんが、多用は禁物。野菜に苦みやえぐみが出やすくなるし、コストもかかってしまう」。
農園では、年間3千トン近い有機発酵堆肥が使用される。20年ほど前までは農園で自作していたが、事業規模の拡大にともなって、地元の畜産農家から入手するようになった。しかし当初は、有機発酵堆肥の有用性が理解されず苦労したという。
「畜産農家にとって、牛糞・豚糞はただの産業廃棄物。それを一年かけて完全発酵させなくてはならないわけですから。“なぜ、そこまで手間をかけなくてはいけない!?”と反発を受けましたよ」。
畜産農家の説得には一年を費やした。決め手になったのは、「耕畜連携」から生まれる双方のメリットだった。
「耕種農家は、畜産農家のつくった堆肥で米や野菜を育てる。一方の畜産農家は、耕種農家のつくった飼料作物で牛や豚を育てる。堆肥の質が上がれば、作物の質も上がります。すると、作物を食べる家畜も健康に育つわけです。この循環が上手く回れば、地域の農業全体に底上げになるんだと、長い時間をかけて主張しました」と、三浦さん。
案内された農園の一角には堆肥が山になっていた。堆肥を手に取ると、白い湯気があがる。悪臭は一切無く、微生物の力で発酵が進んでいるため冬場でも温かいそうだ。
現在では、この資源循環システムも定着。岩手町のように同一自治体内で耕畜連携を実現している地域は国内でも数少ない。
全国各地の農家で担い手不足が叫ばれているなか、三浦さんは研修生の受け入れも積極的だ。その思いは屋号にも現れている。
「『農業と健康』、『農業と教育』、『農業と環境』など、農業はあらゆる分野とつながります。人間の営みに寄り添う農業の可能性をアンドファームの『and』に込めました。そのなかには『農業と次世代』も含まれている。そして、未来の農業を託せる若手を育てて、私も早く『安堵』したいんです(笑)」。
「SDGs」という言葉が生まれるずっと前から、その基盤が築かれていた岩手町。高い志をもった生産者たちの取り組みは、持続可能な地域の取り組みとして有益な示唆を与えてくれるに違いない。