Iwakura Experienceが目指す、岩蔵地域の新しい農業
再生が進む「梅の里」で、新たな特産品誕生の兆し
都心から電車で1時間あまり。青梅市は東京都内にありながら、まちのそこかしこにのどかな風景が広がっている。市の総面積の約6割を森林が占め、山地・丘陵地が市街地を取り囲むように分布。市域を横切る多摩川流域には緑地や公園が整備されており、上流では渓流釣りやカヤックなどの水辺のアクティビティが楽しめる。
また青梅市は平安時代の武将・平将門ゆかりの地としても知られる。平将門がこの地を訪れた際、馬の鞭に使っていた梅の枝を地面に挿したところ、たちまち枝葉を延ばして繁茂。ところが、梅の実はいつまでも熟すことなく青いまま。世にも不思議な現象に、村人たちはこの地を「青梅」と呼ぶようになったという。
その伝説を裏づけるかのように、江戸時代から梅栽培が営まれてきたが、2010年頃から「ウメ輪紋ウイルス」が蔓延。作付面積が激減したばかりか、まちのシンボルだった「梅の公園」の梅1700本も全伐採された。再生・復興計画が進められたものの、すべての市域で梅の再植栽が認められるまで、およそ10年を要した。
しかし、青梅市の特産品は梅だけに限らない。火山灰を含んだ土壌は水はけがよく、農業に最適。柚子や柿、茶の栽培は梅と並ぶほどの歴史があり、ブルーベリーは都内でもトップレベルの収穫量を誇る。
市内の北東、温泉郷・岩蔵温泉を中心とする岩蔵地域では、新たな特産品が生まれる兆しも見えてきた。仕掛けるのは、一般社団法人「Iwakura Experience」。岩蔵地域の周辺でとれた野菜を「岩蔵野菜」と名づけ、ブランディングを進めている。
その一端を担うのが繁昌知洋さんだ。「繁昌農園」を運営する若き生産者であり「Iwakura Experience」のメンバーでもある。もともと百貨店勤めだったが、学生時の夢を叶えるために農家研修に参加。2年間経験を積んだのち、2016年に独立を果たす。岩蔵地域を開業の地に選んだのは「都市部と適度な距離感で交流できる」からだ。
少しずつ規模を広げていき、今では岩蔵地域を含めた市内10数か所に圃場をもっている。作付面積も3反から20反まで増えた。レタス、ねぎ、じゃがいも、大根……と年間を通じて、様々な農作物を育てる少量多品目栽培。お客さんからリクエストがあればパクチーを育て、自身が興味をもてば「江戸東京野菜」にもチャレンジする。栽培する農作物は増えに増え、気づけば200種類を超えていた。
「岩蔵地域は平地が少ないので、どうしても農地を複数もつ必要があります。そうなると大規模農園のような単一品目栽培は難しくなるので、自ずと多品目栽培になるんです」
繁昌さんは、収穫体験や農業体験の受け入れにも積極的。とりわけ、食育をテーマにした子ども向けの農業体験に熱が入る。「野菜を育てる面白さを知って、『食』や農業に興味をもってほしいんです」と、どこまでも屈託がない。地域で独自の存在感を放つ繁昌さんと「Iwakura Experience」が巡り合ったのは、自然の成り行きだったのかもしれない。
農産物、名跡、旅館……あの手この手で岩蔵の魅力を発信
「Iwakura Experience」が発足されたのは2019年のこと。細々と続いてきた岩蔵温泉にコロナ禍が直撃したタイミングだった。
「岩蔵温泉はもともとマイナーなスポットではありましたが、コロナ禍のときは人の流れがパタリと途切れてしまいました。ちょうど良いタイミングだと、そこで思考を変え、原点に戻ることにしました。岩蔵地域の魅力とは何か?を考えた時に、その長い歴史と文化だったんです。その魅力を発信し、不特定多数ではなく“興味のある人”だけに来て欲しいという女将の意思もあり自分たちが関心のある歴史文化や農業に基づいた発信をしていくためにIwakura Experienceを立ち上げました」
そう話すのは、団体の代表を務める本橋大輔さん。青梅市出身で地元の信用金庫に勤めていた本橋さんは、人脈の広さを活かして岩蔵地域の活性化に乗り出した。岩蔵温泉でただ一つの旅館「儘多屋」(ままだや)の女将・儘田菜つ美さんもメンバーに加わり、あの手この手で岩蔵地域の魅力を発信する。
たとえば、東京都指定無形民俗文化財「フセギのワラジ」や、ヤマトタケルが武具を収めたという「大岩」などの名所・名跡を紹介するイラストマップをつくったり、謎解きイベントを兼ねた宿泊ツアーを企画したり。なかでも、宿泊ツアー「欲に負ける夜」は日本人の三大欲求を満たすことをテーマとしたパッケージで、落語の艶話や春画のレクチャー、岩蔵野菜のディナーが楽しめる盛りだくさんの内容で、リピーターも出る人気ぶりだ。
活動の一環として、2020年から「岩蔵CSA」を実施。「CSA」(Community Supported Agriculture)とは、消費者が代金前払いで生産者と定期契約するなど、相互に支え合う仕組みのこと。「地域支援型農業」とも呼ばれており、生産者は収穫量が変動しても安定した収入が得られ、消費者は産地直送の農作物が楽しめる。
「岩蔵CSA」の会員には、5月から12月にかけて毎月2回、農産物が提供される。「繁昌農園」をはじめとする4軒の生産者が参加しているため、定期便の中身は多種多様。定番野菜やハーブ、「江戸東京野菜」など個性豊かなラインナップになっている。市内外の一般家庭が会員の中心だが、ゆくゆくは地元の飲食店との連携も目指しているという。
サンシャイン水族館と連携して、次世代の循環型農業を追求
「Iwakura Experience」は、水耕栽培と魚の養殖を掛け合わせた循環型農法「アクアポニックス」にも注目。水槽の魚が出す排泄物を微生物が分解し、それを農産物が栄養として吸収、微生物と植物によって浄化された水は、再び水槽へ戻される。いわば、生態系の縮図ともいえる農法なのだ。
「儘多屋」が運営するカフェ「CAFE YUBA」の裏手にまわると、茂みの奥に突如としてビニールハウスが現われる。本橋さんたちが建てた「アクアポニックス」の専用施設だ。中の水槽を覗くとパンガシウスやニシキゴイなどの淡水魚が悠々と泳いでおり、その傍の水耕タワーでは、青々とした葉野菜やハーブがずらりと並ぶ。本格的な実用化には至っていないが、ここで育てたレタスをイベントで販売した実績もある。
2022年には、池袋にある「サンシャイン水族館」との合同プロジェクト「アクアリウムファーム東京」もスタート。サンシャイン水族館は以前より、展示生物の餌料を自給自足するための「アクアポニックス」に着手していた。しかし、農業のノウハウがなかったため、農産物の栽培は難航していた。
一方、「Iwakura Experience」は農業のノウハウはあるものの、魚の飼育に苦戦していた。それならば、両者の強みを提供しあって「アクアポニックス」の技術を追求してはどうか、と合同プロジェクトが実現。本橋さんは観光資源化も視野に入れており「岩蔵の農業の一スタイルとして、成果を出したい」と意気込む。
逆境をバネに地域の活性化を目指す「Iwakura Experience」。彼らが後押しする岩蔵地域の農業は、地元を飛び出して静かな広がりを見せている。