THE ROOTS OF SHUN(February 2017)

野菜がつなぐ“物語”「江戸東京野菜」

― 東京都

江戸東京野菜

(取材月:December 2016)

長い年月をかけてその土地の気候や風土に定着した伝統野菜。
大都市東京にも、江戸時代から脈々と受け継がれてきた伝統野菜がある。我々は、近年“東京のおもてなし食材”としても注目される「江戸東京野菜」を伝えつなぐ人々を取材した。

伝え残したい、昔ながらの地場野菜

江戸東京野菜の始まりは江戸時代の初め。当時の江戸の町には、インフラ整備のために全国から多くの人が集まり、急激な人口増加で新鮮な野菜が不足していた。そこで幕府は、近郷に畑を設け、関西から呼び寄せた農民たちに野菜を作らせた。参勤交代によって江戸に集められた地方の大名たちもまた、国元から持ち込んだ野菜の種で栽培を始めた。こうして全国の野菜の種が江戸に集まり、江戸の気候や風土に合った野菜だけが固定種として定着したというのが、江戸東京野菜のルーツである。

「固定種というのは、種をまいて、育てて、種を採って、またまいて、というサイクルの繰り返し。江戸時代からずっと種をつないできた江戸東京野菜には、一代限りの交配種にはない、歴史や文化にまつわる“物語”があるんです」。

そう話すのは、江戸東京・伝統野菜研究会の代表、大竹道茂さんだ。

JA東京中央会在職中だった1970~1980年代にかけて、安定供給や大量生産に向いている交配種の野菜が市場に出回るようなり、さらには農地の宅地化も進められていく状況のなか、「江戸東京野菜がなくなってしまう」と危機感を募らせた大竹さん。それから、農家を回って種を探したり、江戸東京野菜に関する本を刊行したりと、30年以上にわたり江戸東京野菜の復活・普及をライフワークとしてきた。

「江戸東京野菜一つひとつに伝わる“物語”を話すと、地域の人々が興味を持ってくれるんですよ。小学校で栽培しようとか、神社で収穫祭を催して野菜を配ろうとか、“物語”をつないでいこうという想いになってくれます」。

こうした大竹さんの活動は着実に実を結んでおり、いまや東京の至る所で、江戸東京野菜による町おこしがおこなわれているそうだ。

固定種の野菜は、大きさや形の個体差が生じ、規格通りに育たないのが難点だが、それが魅力だと大竹さんはいう。

「野菜は本来、気候や土によって育ち方が違うので、同じように育たないのは“自然”のこと。それにいまは、苦みや臭いを無くした交配種の野菜によって、野菜本来の味もわからなくなっている。昔ながらの“自然”の野菜を、次の世代に伝えていきたいんです」。

大竹道茂さん写真

固定種の野菜写真

江戸東京野菜がつなぐ“物語”

「自然相手の野菜作りは、天候に左右されるし、今年は病気も多かった。苦労は多いよ」と話すのは、大竹さんが紹介してくれた練馬区平和台で「ファーム渡戸」を営む渡戸秀行さん。

冬場、渡戸さんが栽培する江戸東京野菜は6種にも及ぶ。しかもそのすべてが露地栽培だ。

それぞれの江戸東京野菜の特徴や歴史について、大竹さんと渡戸さんに解説してもらった。

渡戸秀行さん写真

亀戸大根

亀戸大根

亀戸大根は、一説によると、江戸初期に現在の江東区砂町へ入植してきた関西の農民たちが種を持ち込み、隣接する亀戸に定着したものだといわれている。

春先の青物が少ない時期に出荷されることから、初物を好む江戸っ子が競って亀戸大根を買い求め、食したことを自慢したという。

最大の特徴である白い茎は、実は幕末に突然変異で出てきたもの。そこで農家は種を採り翌年市場へ持っていくと、その白の美しさから「これは粋な大根だ」と3倍の値が付いたという。

練馬大根

練馬大根

5代将軍徳川綱吉が病気療養のため練馬を訪れた際に、尾張から大根の種を取り寄せて栽培を命じたといわれる練馬大根。
練馬の土は火山灰土層が深く柔らかいため、1mもの長い大根が育ったという。

「いまの青首大根と違って、粋な江戸っ子は白首大根なんだよ」と大竹さん。肉質は緻密で辛味系だが、加熱すると辛味がとんで旨みになるそうだ。

品川かぶ

品川かぶ

江戸時代、品川一帯で栽培されていた品川かぶは、見た目は大根に似た長かぶ。一度は絶滅したが、2008年に復活。その後、北品川の八百屋が町おこしに導入し、いまでは地域一体となり普及に取り組んでいる。

毎年12月に品川神社で開かれる品評会では、青森県川内町に伝わる郷土料理「品川汁」(豆腐をすり潰した汁物)に品川かぶを入れて、来場者に提供されている。

この「品川汁」には、ある逸話がある。江戸時代に川内の船乗りたちが江戸沖で難破したところを品川の漁師に助けられ、その際に振る舞われた温かい汁物を川内へ帰って「品川汁」と名付け、感謝の意を忘れぬよう次代へ伝えたという。こうした逸話の縁から、品川で当時の品川汁を再現しようということになったそうだ。

馬込(まごめ)三寸人参

馬込(まごめ)三寸人参

大竹さんが「とても甘くて美味しいよ」と話す馬込三寸人参は、その名の通り長さ 3寸(約10cm)ほどで、普段見慣れている人参と比べると、ころんとした体形がなんとも可愛らしい。

かつて人参といえば、長さ1mにも及ぶ「滝野川人参」など、東洋種の長根人参しかなかったが、長くて収穫が大変だからと、明治の初めに短根の西洋種が導入された。

昭和に入り、西馬込の篤農家が周辺で栽培されていた「砂村三寸」と「川崎三寸」をかけ合わせ、10年もの歳月をかけて色も味も良い固定種を生み出した。それが馬込三寸人参の始まりだそうだ。

伝統小松菜

伝統小松菜

8代将軍徳川吉宗が名付け親の小松菜。小松川へ鷹狩りに出掛けた吉宗は、休息のため新小岩の香取神社を訪れた。そこで振る舞われた餅のすまし汁に入っていた青菜を気に入り、神主にその名を尋ねると、「このあたりに生えている、名もない菜です」というので、小松川の地名にちなんで「では小松菜とするがよい」と命名したそうだ。

交配種に比べてえぐみが少ないので、農家では大きく育っても漬物にして食べていたと大竹さんは教えてくれた。

しんとり菜

しんとり菜

しんとり菜の歴史は比較的新しく、1960年半ば頃から江戸川あたりで盛んに栽培され始めた。
当時まだ日本に導入されていなかった中国野菜の代わりとして、芯だけをとって中華料理の高級食材として使われていたことから、「しんとり菜」と呼ばれるようになったそう。

クセのない味わいで、白菜と同じ感覚で料理できるしんとり菜は、葉っぱも一緒にオイスターソースでさっと炒めるのが渡戸さんのおすすめ。

江戸東京の“レガシー”を未来へ

現在栽培されている江戸東京野菜は45種。最近では知名度やブランド力も徐々に上がり、飲食店での取り扱いも増えている。

次なる目標を大竹さんに尋ねると、「2020年の東京オリンピックまでには50種に増やし、江戸東京野菜を東京の“レガシー”にしたい」と語ってくれた。

渡戸さんも、「来年は新たに下山千歳白菜の栽培にも挑戦したい」と意欲的だ。

江戸東京野菜が生きる遺産として、これからどんな新しい“物語”を紡いでいくのか、とても楽しみだ。

大竹さん

Writer : AYAKO KOMATSU / Photographer : CHIE MARUYAMA

プロフィール

大竹道茂 (江戸東京・伝統野菜研究会代表)

東京都生まれ。JA東京中央会で1989年より江戸東京野菜の復活に取り組む。著書に「江戸東京野菜(物語篇)」、監修の「江戸東京野菜(図鑑篇)」。ブログ「江戸東京野菜通信」(http://edoyasai.sblo.jp/)で情報を発信中。

大竹道茂さん写真

ファーム渡戸

住所 東京都練馬区平和台3-27
TEL 03-3933-4078