阿武隈の食文化をつなぐ「かーちゃんの力」
ところが、東日本大震災の影響によって、 阿武隈地域に住む多くの人がこの地を離れざるを得ない事態になった。阿武隈食文化を培い、伝えてきた人々の生活が止まってしまったのだ。
このままでは阿武隈の食文化が失われてしまう。そんな状況に立ち上がったのが、飯舘村で農業を営んでいた渡邊とみ子さんだ。渡邊さんは自分と同じように阿武隈地域から避難してきた女性農業者たちを集め、「かーちゃんの力・プロジェクト」を発足。“つなぐ”をキーワードに、未来に受け継ぐべき阿武隈の食文化を自分たちで発信し始めたのだ。
先輩かーちゃんたちから教わる故郷の味
「かーちゃんの力・プロジェクト」は、2011年10月にスタート。以来、渡邊さんはプロジェクト協議会の代表としてメンバーを引っ張っている。
「春には田植えをして、それが終わる頃に柏餅を作り、冬には大根を凍結・乾燥させて『凍み大根』を作る。今までは当たり前のようにやってきた事が、飯舘村を離れたことで全部できなくなってしまいました。また、こうした状況をつらく思っている女性たちがたくさんいたんです。じゃあ、私たちの生きがいづくりと阿武隈の食文化を残していくために、何かできることがあるんじゃないかと思ったんです」。
その活動の一つが、2013年から始めた「あぶくま食の遺産」。
阿武隈地域で生きてきた70?90歳代の“先輩かーちゃん”たちを訪ね歩き、彼女たちが代々受け継いできた郷土料理や伝統料理を教えてもらう取組だ。 「“その人の手に教わる”ということを大事にしています。阿武隈地域には26の市町村があって、同じ郷土料理でも各地で微妙に作り方が違います。山一つ越えただけで具に違うものを使っているとか、そういった小さな違いも大切にしたい。また、教えてくれる先輩かーちゃんたちがどんな土地で生まれ育ち、どんな時にその料理を食べたのかという歴史も一緒に残していきたいという想いもありました」。
先輩かーちゃんたちからインタビューした内容は、渡邊さんたちがウェブサイトや講演会を通して発信。また、先輩かーちゃんたちや自分たちのレシピで作る餅やねぎ味噌などの加工品を開発し、福島市内にある「コミュニティ茶ロン あぶくま茶屋」で販売している。
阿武隈地域には「凍み文化」という食文化が受け継がれている。「凍み文化」とは厳しい寒さの中で食材を寒風にさらして、作られる保存食。渡邊さんの暮らしていた飯舘村では「凍み大根」「凍み餅」「凍み豆腐」が主に作られ、家の軒先に大根や餅が吊るされた光景は冬の風物詩だったという。
実際に凍み大根を見せてもらうと、一度凍って乾燥させた大根の輪切りがラスクのような形になっていた。これをお湯で戻し、人参や椎茸、昆布、飯舘村ではニシンなどと一緒に煮物にすると、とてもいい出汁がとれて美味しいという。
飯舘村で生まれた「いいたて雪っ娘かぼちゃ」
渡邊さんにはもう一つ、未来につながなければいけないものがある。
飯舘村のオリジナル品種「いいたて雪っ娘かぼちゃ」だ。このカボチャは元農学校教師で育種家(いくしゅか:農作物の改良品種を生みだす職業)の菅野元一さんと共に開発した品種。
菅野さんは飯館村だからこその環境条件で、美味しく栽培しやすいことを目標に何十年もかけて育種に取り組んでいる。
「いいたて雪っ娘かぼちゃ」は、ほぼ白色に近い薄緑色の表皮が特長で、果肉はきめ細かく、とても甘いカボチャだ。
渡邊さんは飯舘村で生まれ育ったこのカボチャの種を途絶えさせぬように、なんとか避難先の福島市でも作っていきたいという想いがあったが、異なる土地での畑作りは容易ではなかったと話す。
「飯舘村とは水も土も全く違い、苦労しました。初めて芽ができた時は、涙が出るほどうれしかった。5年経った今もまだまだだけど、ほら、こうして伸びてきてくれるようになったのよ」。
そう話す渡邊さんの指さす方に目をやると、葉の根本に小さな実の膨らみがある。飯舘村生まれのカボチャは、離れたこの地で確かに育っていた。
「いいたて雪っ娘かぼちゃ」の美味しさを全国に知ってもらおうと、渡邊さんは「いいたて雪っ娘かぼちゃ」を使ったマドレーヌやラスク、カレー、スープなどの加工品の開発に奮闘中だ。
マドレーヌを一ついただくと、しっとりとした生地から広がるカボチャの濃厚な甘味に驚いた。
「もともとは農家のかーちゃんだから、カッコイイものは作れないけどね。阿武隈の食文化と一緒に、『いいたて雪っ娘かぼちゃ』もどんどん広めていきたいの」と笑いながら、カボチャ畑を愛おしそうに眺めて渡邊さんは話す。
逆境に負けないパワフルなかーちゃんたちがいる限り、阿武隈地域の食文化は、これからも受け継がれていくだろう。